2014年3月31日月曜日

天空に放たれた言葉



「結局のところ、男って夢見るばかりで、女は現実的なのよね。夢を持つことは素晴らしいけれど、夢を見ているだけでは実現はしない。行動に移さないと。」

そう書いてしまってから、しまった、と思うも後の祭り。
相手は9千キロの彼方にいる初恋の彼。このところ、すっかり音信不通状態。厳密には、こちらから連絡を途絶えていた状態であった。最後の交信は年始の挨拶に遡ろうか。簡単な挨拶で済ませたくない間柄とのお互いに思い入れがあるから始末が悪い。ハローだけでは、物足りず、だからといって、事細かに今抱えている問題を報告し合う程、近距離にいるわけではない。いや、そもそも、20年以上も会っていない。しかも、こちらには報告する程の話はない。むしろ、根掘り葉掘り問われれば、正直に答えざるを得ず、そうしたら説教されるに決まっている。そんなことよりも、突き詰めれば、再会のときめきの可能性など皆無に等しいと悟ってから、どうも彼に対するテンションが下がってしまっていた。

それでも、時々、チャットが入る。ああ、元気にしているんだな、と確認し、返事もせずに放っておくと、また忘れた頃にチャットが入るといった感じであった。そして、アカウントのステータスは常にアイドル状態。「こちらは常に繋がっているから、何かあったら連絡を。」といったメッセージが隠されているようで、どうにも重たく感じていた。勿論、本当の理由なんて説明されたこともなく、相変わらず、こちらが勝手に解釈し、勝手に感じているだけに過ぎないことは分かっていた。

そして今回も、いつも通りの元気確認チャットが入る。
ここのところ何か思うように掴めず、若干投げやりな気分にもなっていて、それでいて、現状打破を焦燥感を持って願っており、「変化は自分から」との言葉が胸に突き刺さるように思われ、それでも右足と右手を一緒に出して歩ってしまっている様な変な感覚が続いていた。

9千キロ彼方の彼は元気なのだろうか。
「久しぶり。元気にしている?」そう打つと、連打で答えが返ってくる。
暫く、たわいない話をする。それから、再会を希求する言葉が連なり始める。

リッピサービスだ、なんて思わない。真摯さに欠けるとは決して言わない。でも、現実味を伴わず、どこか空疎で、そこに悲しみを見出してしまう。何度エアチケットを調べ、ホテルを探し、色々な再会の場を思い描いただろう。そうしてはっきりと分かったことがある。彼は国に全てを捧げており、24時間、時間的な拘束がある。そして、常にボディーガードに見守られ、プレイべートな時間などない。国外に旅行など考えられず、詳細なる計画を政府に提出し承認される必要があり、現実的に旅行などほぼ無理。辛うじて、相手国から正式な招待を受けてのミッションとなれば、国外に出られるが、その時には過密なスケジュールが待っている。分かってはいるが、つい、書いてしまった。
「いつ正式に遊びにおいでよって招待してくれるのかしら。」
「いつでも大歓迎だよ。ずうっと会いに来てくれるのを待っているよ。」
だから、誠実さが伴っていないのよ。嘘ばっかり。無理じゃない。
「ありがとう。でも、本当に私がそこに行ったら、困るでしょう。」
すると、これまたいつものことで、「なんとかするよ。シンガポールかバンコクあたりに行けたらいいんだけど。」
「公式ミッションで?」
「いや、違う。」
「そんなこと、できるの?」
「できたらいいと思っているよ。」
「退職するまで、そんな自由はないのかと思っていたわ。ねえ、じゃあ、私はあなたの国に行くよりも、東南アジアに行く方がいいのかしら。」
「いろんな選択肢を考えて、チャンスを待つ。」

その答えを聞いて、先程の言葉を書いてしまっていた。
「結局のところ、男って夢見るばかりで、女は現実的なのよね。夢を持つことは素晴らしいけれど、夢を見ているだけでは実現はしない。行動に移さないと。」

「君の言う通りだよ。」

一体、それがどんな意味なのか。どんな結果に繋がっていくのか。
一つ変わったこと。それは、彼のアカウントのステータスがアイドル状態ではなく、ログアウトの状態となったこと。

夢は実現させないと。
今、天空に放たれたその言葉が、確かな重みを持って戻ってくる。
行動せよ。
活力が腹の底から湧いてくる。




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2014年3月29日土曜日

春の宵に






誰もいないキッチンに一週間分の買い物袋を並べ
冷蔵庫と整理戸棚に一週間後にはなくなるであろう品々を突っ込み
ぼんやりとキッチンの窓から外を眺めやると、
夕闇迫る薄暗さの中で、ふっくらとした塊が真白く輝き放っている。

外に飛び出す。
昼間の陽気さをたっぷりと残した暖かさの中で、
さくらんぼの木に、純白の花がふっくらと咲き誇っている。

去年の今頃、花咲か爺さんとなるべく、幾つか枝を斬り、
暖房の効いた部屋で蕾に霧吹きをし、
歌を歌ってやったことが思い出される。
真夜中に通りで満開となっている大ぶりの枝を失敬した仲間もいたっけ。
森に咲き誇っている枝を探しに出かけ、幾つか採ってきた仲間もいたはず。
知恵と気合で見事な枝を再現した仲間もいた。
皆が一つになってイベントの成功に向け奮闘していた、去年の今頃。

さくらんぼの純白で可憐な花を見ながら、
心の底から仲間たちへの感謝と愛しさが突き上げてくる。

この庭のさくらんぼが咲くたびに、
きっと思い出すであろう。
あの時の興奮。
分かち合った時間と空間。

久しぶりに、皆に声を掛けようか。
月明かりに、さくらんぼ酒でも飲みながら、
春の宵を一緒に、どう。





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2014年3月27日木曜日

大満足の最高の境地




ぼんやりとしていて、腹の底から力が出てこない。こんな時って、無性に美味しいものが食べたくなる。でも、どうやら今回の無気力は、それこそ体の奥底からのものらしく、珍しく、何もアイディアが浮かび上がってこない。

「何か、とっても美味しいものが食べたいよね。」
そうつぶやいたら、息子バッタがすかさず、「うん!熱々の白いご飯が食べたいっ!」
そう来たか。分かるけど、ちょっと違う。そうじゃないんだよね。その無言の思いが通じたのか、今度は『餃子』が食べたいという。餃子、ね。

スーパーに餃子の皮なんて便利なものは売っていない。タピオカの粉さえ売っていないのだから。そうか、アジア食料品店を経営しようか。店頭では珍珠奶茶あたりを扱えば人気になろう。一人悦に入っていると、隣で息子バッタが浮かない顔をしている。大丈夫。千と千尋の神隠しに出てくるような店構えにして、それこそ、名無しのようなお面を被るから、誰も君のママだとは分からないわよ。「そうじゃないよ。」小さな声が返ってくる。「ここでは、そんなに需要はないと思うよ。」

そうかなぁ。確かにテイクアウトの中華は何軒か街中にある。中国人や台湾人たちは、そこで外帯(ワイタイ)しちゃえば事足りるし、わざわざ自家製に拘る必要もないのか。しかも、お店だって実のところパリの中華街から仕入れているのだろうし。時々、むらむらっと美味しいものを手作りしたくなっちゃう顧客向けの食材屋など、儲けが見込めるどころか、商品の回転が悪くて冴えないか。一瞬にして、提灯まで外に出して、朱色を基調とした店構えで、いそいそと名無しのお面をつけて学校帰りのアド(ティーン)達に珍珠奶茶や紅豆湯を振る舞っている姿が消え、白い蛍光灯がぼんやりと、山積みの在庫の上の埃を照らしている様子に変転してしまう。

ま、取り敢えず、今日は餃子にしよう。

小麦粉に水。
確かに、これだけで餃子の皮ができちゃうんだから、食材屋なんて必要ないか。ひとまとめにして、ラップをかけて放置している間に、餃子の中身を用意する。ニンニクと生姜はみじん切り。キャベツはちょっと大きめサイズのみじん切り。ニラがないのでほうれん草を適当に切って、全てボールに入れ込むと、ソーセージの中身となるらしい豚肉と混ぜる。そこに醤油、ごま油、オイスターソース、冷蔵庫にあった白ワインを混ぜる。

餃子の皮は息子バッタに手伝ってもらう。

自分の発案が採用されたからか、喜んで手伝ってくれる。真っ白になりながら、それなりに器用に生地から丸い皮を作り出していく。

その皮にニンニクとごま油が香ばしい中身を入れて包んでいく。あれよ、あれよと24個。足りるのか、足りないのか。

しっかりと熱したフライパンに油をとり、静かに餃子を置いていくと、ジュッツ、ジュッツと心地よい音がする。底がうっすら焼けた頃に、熱湯を回して蓋をして蒸し焼き。欲張り過ぎたか、餃子を沢山入れたことからフライパンは身動きがとれない状態。這う這うの体でお皿に載せると大歓声。

餃子のタレはお醤油とお酢、と言っても、バッタ達は醤油しか用意しない。好きな味付けで食べることが最高なのだから、まあ良しとするか。

皮は思った以上にもっちりとしていて、こんがり焼けた底が香ばしい。野菜たっぷりの身もジューシー。

あっという間に二回目に焼いた餃子も一つを残してなくなってしまう。

「一人6個の勘定。6個以上食べたと思う人は権利なし。」

厳かに宣言すると、末娘バッタと息子バッタは10個以上食べた気がする、と、こそこそし始める。

「へえっ。じゃあ、あたしが食べていいの?」
嬉しそうに長女バッタの箸が伸びる。

あれだけ手間暇かけながら、一瞬にして焼き上がり、一瞬にしてなくなってしまった空っぽのお皿を目の前に、なんだかはぐらかされた思い。

いやいや、これこそ、大満足の最高の境地。
天晴れ、天晴れ。





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2014年3月25日火曜日

変化は自分から始まる




「変化とは、求めるものではなく、自分から行動を起こして得るもの。」
ずしりと重い言葉を残して、40年間の現場での経験を経たクリストフ ボシュアの教育理念に関する二時間のスピーチが終わる。そして、次は実践。

ほんの少し前まで、ママの膝を離れられなかった子達が舞台に10名ほど揃い、スケールの練習が始まる。ミ、シがフラット。ト短調(ソルミナー)なんて名称を知らなくても、彼らは自分のものにして優雅に弾いている。クリストフの音に複雑なリズムが加わるが、集中力のなせる業か、続く子供たちは皆ぴったりと揃っている。そして、バッハのガボット、ソルミナーが始まる。「ここはどんな風に弾こうか」「今の感じ、どう思う?」子供達との対話が始まる。「ほれ、ここはこんな感じで。ほれっ!」なんとも愉快。蜂の集団が近づいてくる感じ、養蜂家が養蜂箱の蓋を閉めた様子、勝手に蜂が出ていく様子、などなど。楽しみながら練習していくうちに、具体的なイメージが音に乗る。教師の指導もさることながら、その教えを見事に反映させる生徒達も立派だと思ってしまう。

子供たちがサイツの曲を弾き始めると、バッタ達が4年前に師の教えを受けた日のことが鮮明に思い出される。そういえば、あの日は私が彼をポワシーの駅に迎えに行ったのか。突然の役割に戸惑うものの、バイオリンを手にした人はそういまい、と、田舎の駅に車を飛ばした。クリストフは驚くほど気さくで、毎年南アフリカの孤児院に行き、子供たちにバイオリンを教えているといったことを、非常に淡々と語ってくれたことが印象的だった。

Perpetual Motionを片足を上げたり、折ったり、跪いたり、飛んだりしながら子供達と弾いてレッスンは終わる。1時間弱。なんというエネルギーだろう。彼は疲れ知らずなのか。休む間もなく次のレッスンを受けるバッタ達が既に舞台には押し寄せていた。

クリストフとのレッスンではヴィヴァルディのコンチェルト、ラミナー(イ短調)の第三楽章およびソルミナー(ト短調)の第一楽章が予定されていた。さびの部分を先週は100回弾くことが課題としてマリから出されており、バッタ達がひーひー言いながら練習していたことを知っている。丁度、そのさびの部分が取り出され、皆が弾くのを聞いて、クリストフが「おお、いいねぇ。ちゃんと練習しているね。」とコメントするや、観客席の隅でマリが円満の笑みにガッツポーズ。マリにしてみれば、普段の彼女の教えを評価されていることにも繋がるわけで、謂わば、子を褒められて嬉しがる親そのもの。バッタ達も満更でもなさそう。様々な弓使いの指導を受けている子供たちを見て、ふと、息子バッタの姿勢に目を見張る。まだまだ大樹のように、ずっしりと構えて立ってはいないが、あれだけ注意しても治らなかった姿勢が気にならない。ヴァイオリンが下を向いていて、まるでそれではチェロじゃないかと嫌味の一つも言いたくなる程だったのが、今ではしっかりと上を向いている。そして、クリストフの冗談を嬉しそうに笑っている。

グループの中では一番の年長となる長女バッタが、爽やかで素直な笑顔でいることも嬉しい。反応も良く、クリストフも、つい彼女に向けて話を進める。いや、そんなことはない。ちゃんと一人一人と対話をし、僅かな時間で皆との温かな交流が感じられる。末娘バッタもひた向きなバンビの瞳で真剣に取り組んでいる。ボーイング、アクセント、ちょっとした指示が音に幅と軽妙さをもたらす。

実は、この二つの曲は、バッタ達にとって随分前に弾いていたもの。それを今回改めて丁寧に詳細に渡って、情緒も加えて弾き方の指導を受けることで、彼らには新たな喜びと発見があることに気が付く。次の曲、新しい曲、と進むことしか考えなかった余裕のない日々も懐かしいが、立ち止まって、昔の曲に戻ることの大切さ、過去と今の連続性と継続性に思いを馳せ、そこに常に新たな発見が満ち溢れていることに気が付いたことに、嬉しさを噛みしめる。

レッスンはあっと言う間に終了してしまう。クリストフが子供達を労っているのだろう。皆、ちょっと下を向いてはにかんでいる。勉強も大変となり、スポーツなど他の活動にも時間を取りたい中で、練習を続けている彼らを激励してくれたのだろう。

「すごい速さでついていけなかったよぉ。」「自分の音しか聞こえなくて心細かった。」「もう終わっちゃったの。」がやがや言いながら、子供たちが舞台から降りてくる。夜のTGVでリヨンに帰るのだろうか。クリストフが外套に身を包み、帽子を被る。そこにバッタ達が駆け寄る。「先生、ありがとうございました。」一人一人を腕に抱いて抱擁し、外に一歩踏み出しながらクリストフが大きな声でにっこりと微笑みながらバッタ達に伝える。「がんばれよ。将来は君たちにかかっているんだぞ。」


思ったほどの渋滞もなく、パリから我が家に戻り、慌てて作った夕食を囲んでいる時、「ほら、いいぞっ」って、何回も褒められちゃったよな、と息子バッタが嬉しそうに言う。「私ね、子供には、もう二歳の頃から音楽を始めるわ。それから、ダンス、そうね、クラシックダンスをさせてあげて、スポーツも何か一つさせてあげるつもりよ。でも、絶対に音楽は二歳から始める。」そう宣言する長女バッタ。「子供の前に、相手がいないと。」そう混ぜ返す息子バッタ。

でもさぁ。それって、ママがみんなにしてきたことじゃない。ママがしたことに賛成してくれるってことよね。

そう言うと、暫く考えた長女バッタが、にっこりと微笑む。「そうだね。そうだよ、ママ。」






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2014年3月21日金曜日

敗者復活-偉大な馬鈴薯の力







マッシュポテトと片栗粉。そう、葛粉でもなく、コーンスターチでも、ましてやマンジョカの粉でもない。主要原材料馬鈴薯、パルメザンチーズ、卵(薄朱色の泥のついた野放し卵!)。





熱々のホクホク、モチモチ。にんまり。

されど、マンジョカの粉探しの旅は続く。。。





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2014年3月20日木曜日

薄朱色の泥のついた野放し卵



冷蔵庫に鎮座している薄朱色の卵たち。前の家のマダムの娘さんが、ノルマンディーの田舎で野放しで育てている鶏の卵。殻には糞やら土やらがしっかりとついていて、いかにもワイルド。卵を割る時には殻を洗わないと、うっかりと余計な栄養までついてきそう。

バッタ達が幼かった、ちょっと前まで、日曜の朝食だけは一緒にゆったりととっていた。バッタ達が目覚める前に家を出ていたことからも、皆で朝食を一緒にとることは優雅さを伴っていた。そうはいっても、特別な料理をするわけでもない。それでも、「たまご、食べる?何がいい?」と聞けば、いつだって元気な声で「とろんとしたの。」「ふわふわの。」と答えが返って来ていた。

そう、あの頃。いや、今だって卵料理はちょっとした贅沢。時間をきっかりと見て作る半熟卵の美味しさは格別。そういった余裕があることが美味しさを一層際立たせるかのよう。オムレツにしても、チーズをすべりこませ、トロリとチーズがとろけ出るオムレツは最高。目玉焼きだって、黄身に薄っすらと白く膜が張った状態を目指す。いつだって真剣勝負。

そうして、泥のついた野放し卵を手にしつつ、20年以上も前の光景が突然思い起こされる。オムレツと言えば、卵オンリーの一品だとばかり思っていたあの頃。玉ねぎのスライス、赤と緑のポワブロンのみじん切り、緑の唐辛子、そして摩訶不思議な香辛料が入った、熱々のオムレツを目の前で調理してもらい、お皿にするりと入れてもらった瞬間。一口食べて、その美味しさに心震わせたあの日。

不思議なことに、記憶の底に押し込まれていて、今まで取り出したことさえなかった。沢山の思いが重なってしまって、このアイテムは忘れ去らていたに違いない。

そうだ、あのスリランカオムレツを作ってみよう。

先ずは、この元気いっぱいの泥つき卵を洗うとしようか。






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終わりなき学びの道



タピオカと言えば、臺灣の珍珠奶茶。太めのストローから、甘いミルクティーと一緒にどろんどろんと口の中に入ってきて、思わずびっくり。むちむちっとした食感が嬉しく、小寒い時にはホットの珍珠奶茶。うだるような暑さの時には、きりりと冷えた珍珠奶茶。世の中、あんな美味しい飲み物があるのかと当初は感動したもの。いや、今だって帰りの臺灣桃園國際機場にて、最後の一杯を求めてしまう。

昨年、末娘バッタが二ヶ月のオーストラリア滞在を経て帰国した際のスーツケースの底に、この乾燥タピオカの袋が潜んでいた。デザートの『frog egg/カエルの卵』が美味しくて、材料がフランスにないかもしれないからと、一袋貰って来たと言う。フランスでは何故か『perle du japon/日本のパール』の商品名で箱入りで売られている。いや、実際は手にしたことがないので、大きさや品質などは不明。我が家では、末娘バッタが何度かオーストラリアから持って帰ったもので、デザートを作り、楽しんでいた。

そうして、今回のブラジル。当地では『mandioca/マンジョカ』の粉を『タピオカ』と呼んでいる。その粉だけを、水も何も入れていない、ただの粉だけを熱したフライパンに薄く敷いて、ごく簡単に両面軽く焼き上げる。すると驚くべきことに、真っ白な薄い皮が焼き上がるのである。それを『クレープ』と呼んでいて、その中に削ったココナツとエバミルクを入れて朝食の一品としている。

そもそも、『タピオカ』の原料こそが、『mandioca/マンジョカ』。これまで『タピオカ、日本のパール』と呼んでいた球状のものは、この『mandioca/マンジョカ』の粉を加工したもの。糊化させたタピオカを容器に入れ、回転させながら雪だるま式に球状に加工し、乾燥させたものを指す。

ここまで煩く拘らなくても、と思われるかもしれない。しかし、拘らなくてはならない理由がある。

先日より『bergamote/ベルガモット』を探し求めている。疲れた時には大いに癒されるアールグレイの香りの素であるベルガモットがマルシェで手に入ると耳にし、非常に興味を持ち、ぜひ、そのベルガモットのゼストとジュースで、ベルガモットケーキを焼き上げたいと思っていた。しかし、マルシェの隅から隅まで彷徨えど、見つからない。自然食のスーパーに立ち寄る。ここにもない。どうやら季節は終わってしまった模様。そんな時、ふと『tapioca/タピオカ』の袋が目に入る。真っ白な小さな顆粒状。末娘バッタがオーストラリアのアジア食料品店から買って来た『frog egg/カエルの卵』の材料と材質が違う。あの袋には『tapioca perle/タピオカパール』と明記されている。そうか。フランスでも、ブラジル同様、『mandioca/マンジョカ』の粉を『タピオカ』として販売しているのか。

小躍りして二パックも購入。既に、得意の思い込みはスタートしていた。

帰る道々、ポンデケージョを作ろうとウキウキしていた。パルメザンチーズの入った、『mandioca/マンジョカ』の粉で作ったチーズパン。香ばしくて、周りはカリリとしながら、中味はモチモチの熱々。

そうして、いつものように時間をかけて幾つものレシピを見比べ、今回使わせてもらうレシピを決め、書き写し、早速作業開始となった。が、どうも、どうも、様子が違う気がする。タピオカの粒が意外に固く、生地としての滑らかさに欠ける。それでもなんとか、丸を作り、オーブンプレートに並べる。あの粉を焼いただけでクレープが作れたのだから、このタピオカは熱を加えられると、しっとりと膨らむに違いない、そんな風に考え、自分を安心させようとしていた。




180度のオーブンで焼き上げる間、香ばしさでキッチンは幸せに包まれる。しかし、どうみてもハリネズミの様相を呈したボールは丸みを帯びてこない。

20分後、6つの期待に輝く瞳の前に、熱々のハリネズミパンが供される。

中はモチモチ。チーズとタピオカが絶妙な味わいを醸し出している。問題は外側。硬さの残る粒は、香ばしいというよりは、乾燥した米粒を焼いた感じ。膨らんでもいないし、頑なにそのままの姿を留めている。

バッタ達は、それぞれに美味しいとの歓声を上げていたが、作成者の意図とは全く違ったものとなってしまう。ひょっとしたら初めての失敗。


そうして、しみじみと冷静になって思う。自然食のスーパーで買った『tapioca』はパール状ではなかったが、『mandioca』の粉を糊加し、乾燥させたもの。粉とは別物であることを再確認するに至る。

溜息。
しかも良く見ると、袋に貼ってある写真はスープやソースに濃さを出す特徴を生かした一品ばかり。

改めて『mandioca』の粉を探し求めて、マルシェに繰り出さねば。



しみじみと、デファクトスタンダードの重要性が思われる。
なんと紛らわしい。いや、これも己の思い込みの激しさからなす結果か。てかてかとした茶色の細長い芋、mandiocaが不敵に笑っているように思われる。

日々是精進。
終わりなき学びの道。




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2014年3月17日月曜日

信じている



急に寒さが戻ったらしく、突き刺さる冷気を頬に感じる。自然界もが、この結末を知っていたかのよう。急速な冷え。同じ目的を持った仲間同士のはずなのに、ここ暫く、歯車が噛み合っていなかった。一歩引いて全体を見渡すことを自分はしている、とお互いに主張していた。そして、自分の見方、考え方が筋が通っていると、それぞれに思っているようであった。だから、一触即発の状況ではあった。いつかは良い方向にいくであろうと誰もが願い、突然の困難が立ちはだかった時、これこそ皆を結託させるであろうと思われた。が、そうとはいかず、一挙に爆発してしまったと言えよう。

謙虚さ、これが皆に欠けているのだと思う。相手への思いやり、尊敬の念も忘れ去られてしまっている。それほど、皆、切羽詰って余裕のない生活を送っていることの証左に違いない。いや、それほど、皆、重い責務に苦しんでいるということか。

ポーンと、一度宇宙に放り投げてしまえばいい。色んなしがらみ、エゴ、思い込み、思い違い、なにかも一遍に。

はたまた、いっそのこと、砂上の楼閣の如く、これまで築き上げてきたと思った信頼関係が崩れていく様を目の当たりにして、茫然自失し、漸く目を覚ますことになるといいのか。

いずれにせよ、このマグマ活動は止むことを知らず、これからいつ新たに噴火するか、分からない状態にある。

血が流れている。傷つけ合い、恨み合い、憎み合う。
そんなことをする必要など、これっぽっちもないのに。

信頼関係なんて、あっという間に吹っ飛んでしまう代物だったのか。
友情なんて、嘘っぱちだったのか。

血だらけに傷つけ合って、一体何が残るのか。
誰かが勝利を得ることは決してなく、全員が壊滅状態に陥るだけ。

こう記す我が身さえ、謙虚さが欠けていよう。誰かを批判するなんておこがましい。

ああ、春はもう手で触れられる程、すぐそこだったのに、
今は急速な冷え。

ねえ、
もう一度、あの時を思い出そうよ。皆、個性的で、得意分野を持っていても、それぞれに完璧じゃない。だからこそ、一緒に活動すると凄いエネルギーになるよね、と笑い合って、お互いを誇らしく思っていた、あの時を。

正義なんてない。
誰かが正しい、なんてこともない。

そう言っていた、あの頃を。誇らしく、思い出そうよ。そうして、もう一度、握手し合おうよ。
一人じゃ、何もできないよ。一緒に、手を取り合おう。まっさらな思いで。

信じている。






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2014年3月14日金曜日

お早う







「お早う!」
その一言が聞きたくて
早起き鳥たちがぺちゃくちゃお喋りする前の
お日様さえも顔を出していない頃に
ふっと目覚めてしまう。
暁を待たずに外に出る。
庭はクリーム、薄紫、紫、ピンク、純白色の小花がびっしりと敷き詰められ絨毯のよう。


寝入ってしまったらしく
鎧戸を開けると朱色の太陽がすっかりと顔を覗かせている。
携帯が久しぶりの軽やかな音を弾く。
ゆっくりと外に出てラッパ水仙に挨拶しよう。
「お早う!」





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2014年3月13日木曜日

思いがけぬメッセージ



いつもより早く春がやってきて、日中はすっかり初夏のような日差しになってしまい、慌てて木の芽が吹き、蕾が膨らみ、あちこちで一斉に花が咲き誇っている。

真っ黄色な連翹、純白の辛夷、兎のミミのような薄桃色の筋の入った木蓮、真っ白な梅、朱色の木瓜、紫のヒアシンス、くっきりとした水仙。

こんなに急いで春が来てしまったら、夏がそこまで来ているように思われ、気もそぞろ。ゆっくりと春を謳歌などと悠長なことは言っていられまい。

なんだか今の自分の心のあり様を写し取られたかのように思えてしまう。

そうして、ちょっと汗ばみながら朝の散歩をしつつ、いつもの雑草だらけの小道に入ったところで電撃に打たれた如くに立ち止ってしまう。

そうか。全ては父の采配だったのか。


バカンスでのお礼のメールをブラジル在住の父の友人夫婦にお送りしたところ、「こちらこそ ありがとう」と題した長いメールをいただく。

「お礼を言わなければいけないのは私たちかもしれません。主人の一番のお友達の貴方のお父さんも一緒に喜んでいると思います。」

のっけから度胆を抜かれる。「特に3人の子供たちと過ごせたこと、本当に感謝しています。子供達3人ともとても仲がよく、私達にもやさしく、いっしょにいるだけでとても幸せでした。」「貴方たち一家と、本当に楽しく、無事に過ごした時を大事な思い出にしまっておきます。来ていていただいて、本当にありがとう。」

日本語は話せるけど、書いたり読んだりすることは苦手、と仰っていた三世の奥様から。それから、Oさんからの文章が続く。

「僕が本当に嬉しかったのは、貴女の3人のお子様が全員、素直で、仲良く、気持ちのよい事です。見ているだけで私達の気持ちが安らぎ、あたたかくなりました。本当に、(父の名前)君にこの感じ、気持ちを届けたいです。旅行中、車の中で、貴女の横で子供達がにらめっこをして笑いあっている光景、本当に(父の名)に見せたかったです。大変失礼ですが、離婚されたと伺っていたので、お子さん達がどうかなと心配してましたが、あんなにすこやかに、成長され、安心し、感心しました。」

「又、成長期の子供がいる夫婦の離婚問題についても、子供のためにするべきでないと思っていましたが、これも考えを180度転向しました。子供のためにも、気持ちのあわない相手とは別れ、子供達と楽しい明るい家庭を作っていくべきですね。今後は誰かから、たずねられたら、貴女の例をだして、子供はちゃんと見ていて判るから、ちゃんと明るく育つと助言します。」

お二人は、私がここに勝手に掲載してしまうことを、きっと許してくれるであろう。
何故なら、こういった言葉が、実は、父からの言葉のように思えてならないからである。

父が、父の大学時代の友人を通して、私に語っているような気がしてしまう。

そもそも、親の大学時代の友人、しかも、遠いブラジルに住んでいる方のところに、何故、今、遊びに行くことになったのか。お二人にはお子さんがおらず、今回の突然の訪問に、大いに戸惑ったであろう。だから、ティーンの子供達が、思った以上に問題がなかったから、こんなメッセージをくださったのだろうか。こんなに手放しに褒めてくださるなんて。

実は、私自身は自分が離婚の身であることを負い目に思うことはあっても、子供達については一切心配をしたことがなかった。だから、改めて指摘されると、なんだか不思議な思いさえしてしまう。

そして、これまで、父が私のことをどう思っているかなどと想像したことなどなかった。
それが、今、父の存在を、強く感じる。

そうか。
この危うい時に、応援に来てくれたのか。メッセージを届けてくれたのか!
それなら、ちょっと、頑張らないと。

「君の思う通りにやってごらん。」

そんな声が聞こえた気がする。




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2014年3月10日月曜日

言葉が出てこない~一つの旅が終わり新たな旅に向けて






大学時代に知り合って学生結婚をした両親から、いや、厳密には母から、二人の出会うきっかけとなる事件について、何度も聞いていた。その話に欠かせない人物である父の友人Oさんについても、幼い時から聞かされていた気がする。当時、父の学生仲間で映画を撮影しようとなり、そのヒロイン役に母が抜擢され、Oさんから声が掛けられ、打ち合わせを重ねているうちに、カメラマン役の一人が、いつもファインダーから母を熱く見つめていることに気が付き始める。夏休み前のキャンパスで、バカンスにはどこぞの宿泊施設でバイトをする予定との母の話に、それなら俺の実家の温泉旅館にバイトにくればいいよ、とカメラを手にした父が誘い、といった展開。どうやら、結婚式では最初に声を掛けたのは僕です、本来なら新郎の席には僕がいた筈でした、と友人のOさんがスピーチして、会場は華やかな笑いに包まれたとか。

そのOさんがご夫婦で遊びにいらした時のことを鮮明に覚えている。6歳か7歳の時。むろん、相手の顔など全く覚えていないが、その時の会話で『ハンモック』の単語が夢のような響きを持って何度も出てきたことが忘れられない。Oさんは大学卒業と同時にブラジルに飛び立っており、現地で日系三世の女性と結婚していた。ブラジルは地球上で日本と丁度反対側にあって、一番遠い国とも聞かされた。あの頃、泥んこ遊びが大好きで、砂場があれば飛んで行って、じょうろに水をたっぷりと入れ、飽きずに泥団子を幾つも作ったっけ。ブラジルが地球の反対側にあると聞くと、本気で穴を掘って、ブラジルに届かないかと頑張った日々。

そのOさんご夫妻のサンパウロのご自宅に、丁度10年前に母が遊びに行っている。リオのカーニバルのビデオを幼いバッタ達に見せて一緒に踊りながら、いつかサンバを踊りにリオに連れて行ってあげるね、と話をしていたらしい(長女バッタの弁)。一方、私にはパンタナル大湿原の話をし、とぼけたバナナの嘴が愛らしいトッカーノ、燃えるような夕日、どこまでも透明で魚たちと一緒に泳ぐ川やボートでの滝下りといった体験を語ってくれた。「あの自然がなくなる前に、ぜひ皆に見せたいわ。」それが母の口癖だった。

そうして実現した今回のブラジル旅行。Oさんは10年前の体力はないよと少々心配気味。前回は全てご自分で運転した行程も、運転手を買って出る私の意見に対し、余りに遠距離であり、時間も限られているし、治安も良くないので、と飛行機の利用を提案してくださっていた。加えてお子さんがいない家庭なので、突然3人ものティーンとなる孫を連れての学生時代の友人の訪問に、どう対処してよいやらと、大いに不安もあったろうと思われる。私にしても最後にお会いした時は6歳か7歳の幼少時。その子供三人といっても、既に親の背を超えた大人サイズ。

「我々は 子供を育てたことが無いので、12歳から16歳の子供?をどう扱うかが、全くわかりません。子供なのか、大人なのか、、、、、、

とにかく、お互いに嫌な事は はっきり云って、意思疎通をはかる以外にないから、何でも遠慮なく云う事が大事です。 どうか、私を日本人と思わず、歳をとって、頑固なブラジル人と思ってください。」そんなメールが出発直前に届く。

すかさず返事を書く。
「私たちフランス組、見た目は日本人ですが、どうか私たちを日本人と思わず、生意気で、おしゃべりなフランス人と思って、到らないところあれば、どしどし、なんでも仰ってください。

いやぁ、Oさん。私も親ですが、ティーンの扱い方、わかりませ~ん。。。今回、初めて親しているもので、、、。こちらの都合で子供してもらったり、逆に子供じゃないんだからと怒ったり。」



そうして飛び立ったブラジル。12日の旅を終えて戻り、Oさんの奥様に教えて頂き、現地で調達した、ブラジル人なら誰でも選ぶとのコーヒーを楽しみながら、今、言葉が出てこない。


夢の様な時間。要所要所で購入した写真、Oさんからいただいた写真、私の携帯で撮影したもの、加えてフィルムで撮影したもの、などなど、沢山の写真を何度も見直しては、あの大自然の凄さに圧倒されてしまっている。



親の背よりも大きくなった生意気ティーンを連れ、母と一緒に5人で乗り込んだOさん宅の素晴らしさに一同感嘆し、嫌がる宿題でさえ、あのテラスやサロンで鳥の鳴き声を応援歌に、はかどったことは言う間でもない。あの自由な空間は過ごしやすく、ゆったりと時間が過ぎていくことに優雅さを覚えた。また、我儘にも、あれもこれもとフルーツやら野菜、お肉をおねだりし、毎回豪華な食事が食卓を飾った。密かに持ち帰ったカシュナッツの種、今、芽が出ないかと、二ヵ所に分けて見守っている。一方で貴重なマンジョカの枝、忘れてきてしまい、残念なことをしてしまった。アボカドはちょっと早過ぎたようながら、既に一つを味見してしまうも、まだ二つ残っており楽しみにしている。

それにしても、ある晩、思いもしなかったタイミングで父の若き頃の写真をお見せ頂き、びっくり仰天、感動。子供達にとっても初めて目にした学生時代のパピー(お爺ちゃん)。父はブラジルのOさんたちのところに遊びに行くことはできなかったが、きっと「こういう人生もあったよな。」と母に声を掛けたことだろうと思う。そして、「Oはすごいよな。立派にブラジルで人生を切り拓いているよ!」と。

サンパウロの郊外にあるOさんの友人の大邸宅(別荘)にお招きいただき、Oさんたちとはまた違った、ブラジルの富裕層の方々とお会いでき、貴重な体験をさせていただく。きらめくプール、ビリヤードにサッカーテーブルゲーム、卓球台が揃った遊技場もびっくりの離れ、豪華なダイニングキッチン、輝く果実がたわわになっている果樹園ばりの広大な庭園。ただ、片隅にひっそりとある管理人の方の住まいが、大きく胸に圧し掛かっていることは否めない。ブラジルは中流層が拡大し、貧困層の生活水準が顕著に改善しているとは言われているが、まだまだ貧富の格差が大きいことを目の当たりにした思いがする。



バッタ達もブラジル呆けで、庭の陰を指して「あっ!カピバラ!」なんてふざけて言っている。息子バッタは我が家の春の鳥たちのさえずりが控えめであると、ブラジルの元気な鳥のにぎやかさを懐かしんでいる。長女バッタはマンゴを恋しがり、「アラーラ」と空に呼びかけ、末娘バッタはトッカーノのキーホルダーを大切にしている。

いつ会っても元気な母。今回もボートでの滝下り、シュノーケルを使っての川遊び、馬乗り、魚釣りなど、大いに楽しむ。ピラニア釣りでは、誰よりも一番に釣れて船上で大喝采を浴びる。


それぞれの胸に、それぞれの思いを残し、今回の旅は終わり、新たな別の旅立ちにつながる。







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2014年3月7日金曜日

カタカナ表記の限界



ビバルディのバイオリン協奏曲。
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲。

ここ数年、「v」は「ヴ」にて表記するようになって久しい。そんなことは分かってはいたが、バッタ達の社会の教科書を見て、隔世の感を禁じ得ない。ヒンズー教ではなく、ヒンドゥー教。イスラム教ではなく、イスラーム教。エルサレムがイェルサレム。ヴェネツィア、ジェノヴァ、ヴェトナム。レオナルドダヴィンチ、カルヴァン。ヴァスコダガマ。イヴァン4世。もちろん、ヴェルサイユ条約。奴隷解放の父はリンカン大統領。ナイティンゲール。ソヴィエト。ニューディール政策を推進した大統領はフランクリンローズヴェルト。蒋介石は蔣介石。

世界で一般的に通用されている(『de facto』的な)発音を重んじるのか、現地の発音を重んじるのか。実は曖昧なところ。偉大な音楽家バッハは、英語圏および仏語圏ではバックと通常呼ばれていることは、多くの人が知っていよう。では、ドボルザーク、いや、失礼、ドヴォルザークはいかがであろうか。ドヴォジャークこそが、チェコ語の発音に近いらしい。

遠き昔、オーストラリアの田舎の高校で、生意気なクラスメート相手に当時のイギリスのサッチャー首相について、背伸びしながらも、馬鹿にしないでね、それぐらい分かっているわよ、の思いを込めて言及したところ、まったく相手にされなかったことを思い出す。あんた達、サッチャーも知らないの?と言わんばかりだったが、漸く私の発音が「th」ではなかったことが原因で相手に伝わっていなかったことが判明。「Oh ! Thatcher !」と叫ばれたことを鮮明に覚えている。「th」と「s」の相違なんて、カタカナ表記ではできない。何故、日本の新聞にサッチャー首相(Margaret Thatcher)程度に表記されていなかったのか。いや、それぐらいは英字新聞や雑誌で目を通してしかるべき『常識』だったのかもしれない。が、いかんせん田舎の16歳。あの時ほど悔しかったことはない。

従って、「b」「v」の違いをカタカナ表記で分別することには至って賛成である。が、だからと言って、日本語での発音自体は正直なところ変わりはないだろう。実際のところ、日本の発音には「v」はないのだから。同じように「r」と「l」の違いはどうだろうか。「Rome」と「London」はいずれも「ローマ」、「ロンドン」の表記。これしかできないのだから、困ってしまう。「th」と「s」の相違を表わせないことと一緒。だから、「b」と「v」の違いをカタカナ表記で分別することなんて、ちゃんちゃら可笑しくて、臍で茶が沸いてしまう。日本語として日本の文化に未だ取り込めていない言葉として、ふわふわと浮いていて頼りない気がする。「バイオリン」で結構ではないか。何を迎合するのだろうか。

「Obrigado/Obrigada」
ブラジルで頻繁に耳にする言葉であり、恐らく「tucano(トッカーノ)」や「capivara(カピバラ)」、「arara(アラーラ)」以上に数多く口にしたであろう言葉。男性であれば「オブリガード」、女性であれば「オブリガーダ」と語尾が変化し、使う相手によってではなく、使い手によって変わるという、特殊なケースであることに大いに興味を持った。

ブラジルに渡って半世紀が過ぎようとしている日本人の方に、それ以上に興味深い話を聞く。「obrigado」とは、そもそも「恩を着せる、ありがたく感じさせる」といった意味があるとのこと。英語で言えば「オブライジ、オブリゲーション」が語源であり、そこから派生したのであると教えられる。日本語でも、「ありがたき幸せ」などと昔は使われていたが、今では単純化して「ありがとう」となっており、なんとなく感覚的に分からなくもないですね、といった感じで、その時は盛り上がった。

ただ、何かが引っかかった。へえっー、と感心しながらも、何か違和感を覚えた。

その方と別れて一人になった時に、先程の違和感が何であったかが判明。つまり、英語の「オブライジ、オブリゲーション」は「oblige , obligation」と表記するではないか。「obrigado」は「r」。流石に「l」を持つ単語が語源となる筈はあるまい。

きっと、そうやって文化というものは生きており、常に変化しており、その時々で解釈が変わりつつ、受け継がれていくのだろうな、と変に感心してしまった。

ところが、である。
話す主体によって語尾の変化があることに興味を持ったことから、「obrigado/obrigada」について改めて調べてみると、これは動詞が形容詞化したものであることが分かる。ポルトガル語は動詞の末尾の「ar」の代わりに「ado/ada」をつけて形容詞にするらしい。となると、「obrigado/obrigada」の元の動詞は「obrigar」。これは、誰かに恩義を感じさせる、義務を負わせる、という意味らしい。つまるところ、「貴方は私に恩義を感じさせている」。丁寧に考えれば、「貴方は私に恩義を感じさせようという気はないかもしれませんが、私は恩義を感じるほどに感謝しています」、となるとのこと。だからこそ、形容する対象の性に一致することで、主語と動詞が省略され、女性は「obrigada」、男性は「obrigado」となる。

それよりも何よりも、「obrigar」は正に英語の「oblige」と一緒ではあるまいか!
「r」と「l」の表記がいつから、どの段階で入れ違いになったのか。

いや、待て。先程のカピバラにしろ、ポルトガル語表記は「capivara」だが、英語表記は「capybara」。「v」と「b」の混合。

声も出ない。

書き手主体の表記法で一切問題はなかろう、との結論になりそうである。






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2014年3月6日木曜日

空への旅






 











 





























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2014年3月4日火曜日

芳香


















































































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