2018年10月29日月曜日

アイガーと母






真正面にどんと立ちはだかる、その雄姿に、思わず跪いてしまう程の畏敬を覚えた。朝の太陽が燦燦と輝く方向に正しく聳えており、その姿を上手く写真に撮ることは叶わなかった。じっと見つめられているようで、怖い程であった。



 



メンリッヒェン(Mânnlichen)からクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩いて行こうとする人々は少ないのか、先程ロープウェイで運ばれた人々はどこに散らばっていったのか、不思議な程だった。真っ青に晴れ渡った空に、牛の姿は非常にスイスらしいじゃないかとファインダーに収める。そうこうしているうちに、煙のような雲が一面に出てきて、目の前のアイガー様の姿が消えては、ふとしたことで雲の切れ目ができて、ぬっと現れてはまた消えた。


いつしかアイガー様と呼んでいる自分がおかしかった。一目ぼれ、と言っていいのかもしれない。胸の高鳴りを押さえつつ、アイガー様の姿が少しでも存在感に満ち満ちた様子で撮れないかと、カメラ(携帯)から手が離せられなかった。



 


写真撮影に現を抜かしている私を余所に、母は踏みしめるような足取りで、しっかりと前進していくのだった。牛が道端にいようが、霧で視界が真っ白になろうとも。しかし、同時に、母もアイガーの漲る威力に魅せられていることは見て取れた。





親の背を見て子は育つ。

バッタ達に対して、なかなか相手にしてあげられないことが多かっただけに、そう自分に言い聞かせて彼らを育ててきたところがある。今こうして、母の背を見つめながら歩いていると、その凛とした姿勢、毅然とした態度に、改めてこちらまで背筋を正してしまうほどである。

実は非常に奥の深い言葉であって、放っておいても子は育つが、それでも、親の姿を子はちゃんと見ているのである。その意味では、だらしのない背中をバッタ達に見せてしまっていたなと、今更ながら思う。反面教師、という言葉があるのが、救いといえば救いか。

そして、我が母親の背中と言えば、あまりに威厳があって、いつまでたっても母は母であり、越えられない存在であったなとしみじみ思うのであった。と、同時に、その背は余りに愛おしく、思っていた以上にほっそりとしており、慌てて追い掛けて隣に並ぶ。

母とアイガーの雄姿を愛でつつ、思いっ切り新鮮な空気を吸い込む。












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2018年10月27日土曜日

アイガーとの出会い







先ずは目の前のロープウェイを乗ってメンリッヒェン(Mânnlichen)に。そこからクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩き、次に登山鉄道でユングフラウヨッホ(Jungfarujoch)展望台に行く、というものだった。帰りは、アイガーグレッチャー(Eigergletscher)からクライネ・シャイデックまで歩き、そこからまた登山鉄道でヴェンゲン(Wengen)に戻ってもいいし、余裕があれば、歩いて帰ってもいいと思っていた。






ロープウェイのキャビンの上にオープンデッキのバルコニーが設えてあり、そこからの眺望たるや、何もさえぎるものもなく、度胆を抜くものに違いあるまい。そう思って迷わずに追加料金を支払い、母をキャビンに残し、威勢よくキャビンの中から上のデッキに出る螺旋階段を上ってみると、そこは未だ誰もおらず、太陽も差していない冷たい朝の空気だけがあった。

しっかりと下調べをすることで、理解も深まり、より一層あらゆる角度で楽しめることもあるが、偶然の出会いこそが旅の醍醐味ではあるまいか。勉強不足を棚に上げるようだが、ヴェンゲン(Wengen)の村からロープウェイでメンリッヒェン(Mânnlichen)に行くことは、現地に着いて決めたことで、ロープウェイから一体何が見えるのか、ましてや、メンリッヒェンからの眺望など、実のところ、全く分かっていなかった。

オープンデッキから見える透明で真っ青な空に、ただ一人興奮していた。係員がくることもなく、何の前触れもなく、キャビンが動き出した。

ヴェンゲンの村には未だ朝の太陽が差し込んでいなかった。太陽に輝く氷河を抱いた山脈は、迫力を持って間近に見えるようだが、どうやらかなり遠くに連なっているようだった。目をどんどんと上って行く山あいに移すと、そこは東山魁夷の世界が広がっていた。

風景との出会い。「花は今、月を見上がる。月も花を見る。」
中学生の頃、この文章に打ちのめされ、すっかり参ってしまったことを覚えている。学校の授業で、白墨の粉にまみれ、教師によって解体されてしまう形で出会う文学や芸術論を、非常に敬遠し、胡散臭く思い始めた頃であった。それなのに、この一文の前で、従順にも平伏してしまう自分がいた。

凝縮した一瞬を画家はキャンバスに見事に描き出していた。以来、東山魁夷の作品には、畏敬の念を持ち続けている。特に静謐な山を描いた作品は心に残っている。その彼の世界が眼前に広がっていることに、心が震えた。

ケーブルカーはどんどんと上に上にと昇っていく。息をのむ程の神々しい眺望に、すっかりと参ってしまっていた。どうやら目的地のメンリッヒェンに着いたらしく、何の前触れもなくケーブルカーは止まった。アナウンスがなくても、何ら支障がないことを今更ながら知らされる。誰もが足元に気を付けてキャビンを下りる。キャビンでこれまた大いに眺望を楽しんだという母と、さてクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)は、どの方角かと言いながら歩き始めた途端、ぬっと、思いもしない存在感で、目の前に山が立ちはだかっていて、正に度肝を抜かれてしまった。

それが、我々とアイガー(Eiger)との出会いであった。






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ヴェンゲンの朝







がばっと起き上がると、分厚いカーテンを開けて外を覗き込む。果たして、あれだけ分厚い雲が嘘のように晴れ上がり、天空は今まさに夜が明けようとしていた。






山の端が薄っすらと青みがかってくると、目の前に立ちはだかる山頂が朝日に焼け始めた。瞬く間に他の峰も先端が焼け始め、次第に空の色に青みが増していった。そして、あっと言う間に真っ白な雪と氷河を抱いた荘厳なる山脈が真っ青な空を背景に姿を現した。




手元の地図と照らし合わせる。

アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」。

一体、目の前に広がる壮大な山々のどれがどの山なのだろうか。






いや、名前などこの際些細なこと。

いやいや、そうだろうか。この時に、もう少し自分の思い込みの激しい性格を自覚し、しっかりと調べ直していたら、理解も深まっただろうのに。ヴェンゲンの村からはユングフラウ三山が見渡せると思い込んでしまっていたので、そして、母も私の話を聞いてそうなのだと思ってしまっていたので、地図と目の前の山並みがどうしても一致せずに、解けない数学の問題を抱えた不消化感を覚え始めていたのも事実。

それでも、取り敢えずは素晴らしく晴れ渡った山登り日和の今日一日を如何に楽しもうかと、前日検討していたトレッキングコースを母に披露し、相談する。

先ずは目の前のロープウェイを乗ってメンリッヒェン(Mânnlichen)に。そこからクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩き、次に登山鉄道でユングフラウヨッホ(Jungfarujoch)展望台に行く、というものだった。帰りは、アイガーグレッチャー(Eigergletscher)からクライネ・シャイデックまで歩き、そこからまた登山鉄道でヴェンゲン(Wengen)に戻ってもいいし、余裕があれば、歩いて帰ってもいいと思っていた。

二つ返事で了承を得ると、腹ごしらえに早速朝食をとりに階下のレストランに向かった。大きなガラス窓からは、雄大な山並みが見晴らせ、爽快な朝のスタートとなった。朝の珈琲を愉しみながら、静かに微笑む向かいに座る母の姿に、自然と笑みが広がる。






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2018年10月24日水曜日

期待と現実の間








翌日、後ろ髪を引かれるようにしてホテルを出てツェルマット村まで登山鉄道に乗った。相変わらず無茶なてんこ盛りプランを密かに温めていたが、お天気は今一つであったし、今回は小さいとは言えスーツケースを引っ張り、リュックを背負っての移動だったこともあり、また、落ち着いてきたとは言え、未だ腫れぼったい母の鼻の様子からも、すんなりと引っ込めてしまっていた。

ツェルマットからインターラーケン(Interlaken)に行くまでに、カンデルシュテーク(Kandersteg)で途中下車し、アルプスの宝石と言われているエッシネン湖(Oeschinensee)に立ち寄ってみたいと思っていたが、その楽しみは次回に譲ることにした。

インターラーケンはその名が示す通り湖の中間地点であり、トゥーン湖(Thunersee)とブリエンツ湖(Brienzersee)の間に位置していることを地図で確かめていたので、そこでお昼でもと思っていたが、生憎の土砂降りだった。雨だったからか、インターラーケン・オスト駅前は、これまでの旅心を誘うような魅力を放っておらず、どうしても知らない街に繰り出したい、との思いが湧き起こらなかった。それは母も同じだったようで、キオスクでサンドイッチとビスケットを買って、電車で食べることにした。

雨模様であれば、さっさと目的地のヴェンゲン(Wengen)に行ってホテルにチェックインしてしまおうとなった。インターラーケン・オストからラウターブルンネン(Leuterbrunnenn)まで行き、そこで乗り換えてヴェンゲンまで。駅からホテルはそう遠くもなさそうだったが、腕が未だ本調子ではない母を荷物を背負って歩かせたくはなかった。駅ではホテルの送迎車に来てもらうことになっていた。

ユングフラウ(Jungfrau)地方を旅するにあたり、拠点をどこにするかで、かなり悩んだ。グリンデルワルト(Grindelwald)にしようかと思ったが、色々とネットで検索しているうちに、アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」の壮大な姿を一度に仰げる場所として、ヴェンゲンに両親を連れて行ったという女性の旅行記を目にし、ヴェンゲンに決めた。

場所が決まるとホテルも決めやすかったが、正直なところ、マッターホルンの雄大な景観を楽しめるリゾートこそ時間を掛けて調べて決めたが、他はそこそこの予算に抑え、清潔であれば問題なしとの姿勢にあった。それでも、3泊するヴェンゲンのホテルは、口コミ評価も幾つか調べ、値段も、リッフェルアルプ程ではないにしろ、背伸びをしたものではあった。







ヴェンゲンの村は雨こそ降ってはいなかったが、すっぽりと雲に覆われており、一体、どこに壮大なユングフラウ三山を望めるのだろうかと、不安と期待に入り混じった思いで、分厚い雲の層を仰いだ。

ホテルは、リッフェルアルプのリゾートに比べ、明らかにグレードダウンとなり、通された部屋はこれまた到って簡素で小さかった。ネットで見ていた画像との乖離に戸惑ってしまった。家具やベッドはウッド基調だったが、虫食いの跡が明らかに安物を感じさせた。綺麗好きな母に至っては、部屋をティッシュで拭き掃除し、蜘蛛の巣を取り払ったと嬉しそうというか、やや自嘲気味にしている。正直、がっかりしてしまっていた。

慌てて既に支払い済みの部屋の値段を確認するが、パリのちょっとしたホテルのツインの値段は優にしている。ここがリゾート地だからなのだろうか。申し訳ない程度のテラスに面していたが、そこからの眺めは曇天ですっかりさえぎられていたし、目の前のミニゴルフ場では、幼い子供たちの賑やかな声がうるさく響いた。

こんな筈ではなかったのに。

悲しくなりそうな気持を振るい立て、とにかく部屋にいても気分が落ち込むだけなので、外に出ようと母を散歩に誘う。村をぐるりとしてみよう。レストランを覗いて、夕食の場所を決めよう。







ぐるりと歩いてから、素晴らしい眺望の高台を見つけた。どうやらリゾートの開け放たれた庭らしく、そこで珈琲でも、となった。ホテルのカフェ・バーに入り、珈琲二つを注文すると、バーマンが非常に申し訳なさそうに、これはゲストのウェルカムドリンクなので、宿泊客以外の方にはサービスできないと教えてくれた。お金を払うので、と言っても、ゲストオンリーと断られてしまう。そうか。このリゾートを予約すれば良かったとの思いが高まる。既に宿泊代は払ってしまっていたが、つまらない思いをして3泊するより、思い切って新たにここを予約しようかと思ってしまう。そう思い込むと行動が早い私を、母が引き留める。次があるじゃないの、と。

そうして、我々の宿であるホテルに戻り、そこのレストランで夕食をとることにする。ところが、早く予約をしていなかったので、満席だと言われてしまう。なんてこと。そこに支配人が現れ、早目のディナであれば、テーブルをちょっと作れば良いので問題ないと笑顔で対応してくれた。

リッフェルアルプがあまりにリゾートとして完璧であったのだろう。落差に馴染めずに、せっかく母を驚かせ、喜ばせようとしている旅なのに、すっかりしょげてしまっている私を見て、逆に母が元気になった。

いつもは煩い母なのに、俄かにできたテーブルの場所も問題ないと笑顔で答えている。そして、選んだ夕食が大当たり。地元の素材を生かした野菜に、こんがりとローストされたポークを口にし、母が大喜び。目の色が変わり、ここは素晴らしいと称賛し始める。

嬉しそうな母を見て、単純な私はすっかりと気持ちがほぐれ、漸くゆっくりと楽しめるようになった。夕食後、部屋の窓から外を覗くが、やはり厚い雲に覆われている。さあ、明日はユングフラウ三山が拝めるのであろうか。

翌日の山歩きのコースを地図やガイドブックで下調べ、少しだけリッフェルアルプのホテルを懐かしく思いながらも、その夜はぐっすりと寝入ってしまった。






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2018年10月22日月曜日

マッターホルンの麓での昼下がり








ホテルは悪天候で足止めを食らってしまった旅人の為、のんびりとした時間を過ごしたい人の為の設備も十分備えていた。マッターホルンを眺めながら泳ぐ屋外プール、しっかりと泳ぎ込みたい人の為の室内プール、そして、ジェットバス、ハマン、高温サウナに低温サウナ。







前日にチェックしていたが、ジェットバスやハマン、サウナは水着の着用はなしだった。20代の頃、バーデンバーデンのサウナに行って、男女混合にも関わらず、皆生まれた時の姿を惜しみなく晒してのんびりとしている光景に唖然としたことを思い出す。郷に入っては郷に従え、の教訓を実地に活かしていたものの、流石に男性の一物が目に入った時には回れ右をしてしまっていた。


今はそんなことぐらいで驚きもしないが、母が嫌がるであろうことは聞くまでもないことであった。しかし、前日の様子であれば、そして、午後の早い時間であれば、施設はほぼ無人状態。貸し切りになるであろうと踏んでいた。そして、神は我々に味方をした。いや、きっと、これもご先祖様のご加護なのであろう。

たっぷりとゴージャスな空間を二人だけで楽しむことができた。

ジェットバスで疲れた身体を心地よくマッサージされ、私は夢心地になっていたし、母は痺れている腕や、転んで打った脚をジェットでマッサージされ、リラックスしているようだった。ハマンでは、スチーム効果でじっくりと骨の髄まで温まり、サウナでは、ふつふつと噴き出る汗とともに疲れまでもが流れ出て行ってしまうようだった。

シャワーを浴びてガウンを纏い、サンデッキに出ると、マッターホルンの姿が眩しく目に入った。







翌日には新たな目的地に向けて旅発つことを思うと、ゴージャスな部屋に未練を感じ、もう少しここでゆっくりしたいと願い、今回の旅の云わばクライマックスを既に見てしまったことに対し、寂しさも感じた。母の怪我が精神的にも肉体的にも随分と早く回復したのは、ひとえに、このホテルの快適さと窓から覗くマッターホルンの姿のお蔭に他ならなかった。








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2018年10月14日日曜日

マッターホルンの湧水







リッフェルアルプ(Riffelalp)からグリュンゼー(Grünsee)までの道のりはマラソンコースにでもなるのだろうか。山あいながらもしっかりと整備されていて、ハイキングコースとしては大きなアップダウンもなく、初心者向けだろうか。標高の高さがそうさせるのか、小動物を一切見かけないし、蝉の鳴き声はおろか、小鳥の囀りさえも聞こえなかった。ひっそり閑としている。母の歌声と私達二人の足音しか聞こえない。






灰褐色の大きな岩が瓦礫の中にあちこちに散乱していて、マッターホルンのピラミッド型の斜面の岩肌を思いこさせた。マッターホルンの登頂に挑むのではなく、マッターホルンの存在を五感で感じつつ、散策することに、静かな喜びを覚えた。




ツェルマット村に流れていた川は、雪や氷河の溶けた水に一緒に岩石の粒も溶け込んでいるらしく白濁しており、ものすごい水量と勢いで流れていたことを思い出した。実は、清冽な水を思い描いていただけに、白濁していることに、最初はぎょっとしたが、不純物の混入によるものではないことに思い至ると、逆にその流れが如何にも大自然の象徴のように思えた。





どのぐらい歩いただろうか。水の流れる音が聞こえてきて、沢が近くにあることを知らされた。突然にして、目の前をこれこそ清水と言いたくなる透明な湧水が流れている。母はさっそく手を入れ、その清らかな水を口に含ませる姿勢を見せたので、思わずそれを制止してしまった。20代の頃に、アジア諸国で水にあたり、肝炎になったことや、サルモネラ菌に侵され、苦しんだことを思い出したからである。

地元の山に登り、湧水が流れていれば、口にすることが習慣になっている母は、大層残念がっていた。前日のハプニングもあったことで、母を守らねばとの思いが強く出てしまったのだろう。確かに目の前の清らかな流れがサルモネラ菌に侵されているとは考えにくく、母が従来から山では湧水を口にしているのであれば、たとえ初めての土地とはいえ、マッターホルンの湧水を口にしても、問題ないのではないか、との思いが過った。

こんな人里離れた山奥で流れている湧水が、一体何に侵されているのか。

私の自問に答えを見たのか、母は意を決して水の流れに手を入れる。そうして、一口。ああ冷たくて美味しい。

こうなると、この親にしててこの子なり。これまでの躊躇など嘘のように、跪き、水の流れに手を入れた。歩いて火照った身体に水の冷たさは心地よく、口にしてみた水は清らかだった。

ああ、美味しい。

そう、腰に手を当てて、ひとごこちしたところで、ふと視界に何かが入る。じっくりと見てみると、どうやら人家らしい。驚いた私の様子に、母もその人家に気が付き、今度は大笑い。人里離れた山奥だからと、ああ、おいしい、と湧水をいただいていたところ、実は、すぐそばには人が住んでいるとは!その家から、誰かが我々の様子を目にしていたら、どんなに滑稽なことだったろう。涙が出る程笑い続けた。あまりに歩いてからの道すがら静かだったので、相当な山奥に来ているものと錯覚してしまったのだろう。

そこはグリュンゼーにあるロッジだった。




ロッジでハーブティーをいただき、一服する。恐らくあのあたりがマッターホルンが聳え立っているんだろうと分かる程度で、空は厚い雲が立ち込めていた。

そこからは、どんどんと谷底に下りていくような道が続き、白濁色で流れも急な川を渡ると、上り坂が続いた。ライゼー(Leisee)に着いた頃には小雨が降り始め、スネガ(Sunnegga)では土砂降りになり始めた。ツェルマット村まで急勾配の地下ケーブルカーに乗り、暫く降り続けそうな雨の中、最寄りのパン屋兼カフェに入り込む。

こうして、雨にも大して降られることなく、半日のハイキングコースは無事完了。午後はホテルに戻り、プールやジャグジー、ハマン、サウナを楽しむ予定にしていた。マッターホルンの湧水が体中にめぐり始めたのだろうか。身も心も充実感で満たされていた。









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2018年10月13日土曜日

旅は道連れ世は情け







翌朝も、何かに呼ばれたかのように目覚め、跳ね起きて窓の外を覗く。夜遅くまで見続けていた天空にあった量感のある雲は姿を消していた。マッターホルンの山頂からは、丁度煙突から煙が出ているような雲が流れていた。そして、朝の神秘的なショーが始まった。

黄金色に光り輝く山頂が刻々と色を変えていく様をじっと見守り続けた。






母はといえば、ふっくらと腫れた鼻に、眼鏡が食い込んでいる様子が痛々しく、下唇も大きく膨らんでしまっていた。しかし、どうやら左手の痺れはとれ、ゆっくりと動かす分には問題がないことが分かり、ほっとした。

ツェルマットでまるまる一日使える二日目、そして最後の日でもあった。お天気はどうやらお昼頃から崩れる模様。ガイドブックや近辺地図を睨みながら、前日の夜に、無理のないように、それでも悔いの残らないようなルートを選んでいた。マッターホルンの姿を眺めながら幸せの溜息をつく母に、恐る恐る提案してみる。

ホテルのあるリッフェルアルプ(Riffelalp)からグリュンゼー(Grünsee)まで行き、モシュゼー(Moosjisee)、ライゼー(Leisee)を通り、スネガ(Sunnegga)まで歩くルートだった。ロートホルン(Rothorn)までのロープウエイは現在点検中らしく運休だったので、スネガからはツェルマット村まで降りてくる。そんな半日のコース。

母は、腕や手に問題がないことを確かめつつも、賛成してくれた。






旅は道連れ世は情け。
さあ、弥次喜多ならぬ母娘道中記。フランスの我が家を出てから、未だ、いや、もう4日が経っていた。





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2018年10月7日日曜日

焦燥







最高の天気に恵まれ、惜しみなくその姿を見せつけるマッターホルンに心酔してしまっていた。翌日の天気は崩れるかもしれない。山の天気は変わりやすいので、瞬間、瞬間を大切に、好機を逃さないように。気持ちが急いていた。貪欲にさえなっていた。

一体、これ以上何を望むのだろうか。そう思う程の景観に恵まれ、心底本当にこんな幸せはないと涙までしたのに、さあ、次はどこを制覇しようかと気持ちが逸った。とにかく、あらゆるものを見たかったし、感じたかった。

ツェルマットの村では午後2時からパレードが繰り広げられると聞いた。それに間に合うように、急いで下山するという老夫婦の話を聞き、パレードよりも山を見たいと思った。母もそれには大賛成してくれ、晴れている今だからこそ、と、ヨーロッパ最高地点の展望台と言われるマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(Matterhorn glacier paradise)を目指すことにした。

リッフェルベルク(Riffelberg)からフーリ(Furi)まで小型リフトに乗り、中型リフトに乗り換えてシュヴァルツゼー(Schwarzsee)経由でトロッケナーシュテーク(Trockener Steg)に。そこから大型ゴンドラに乗り換えマッターホルン・グレイシャー・パラダイスへ。出来たら、帰りにシュヴァルツゼーからフーリまで歩いて降りたかった。





ロープウェイからの景色は余りに壮大で、途中冷気が入るので窓を閉めたが、気分は最高であった。そろそろお昼の時間に差し掛かっていたが、天気が変わらないうちに、との思いが強く、食事処となりそうな場所を確認しつつ、上へ、上へと上っていった。今なら分かる。そうした焦るような、憧れへの期待感、焦燥感が、後で思いがけない結果に繋がってしまったのだと。しかし、その時はそんなことなど思いもしなかった。






マッターホルン・グレイシャー・パラダイスへの最後のゴンドラは大きく、正に老若男女でひしめき合って乗っていた。到着したところは洞窟のように暗く、どうやら暗い通路を歩いて、最終的な展望台に向かうらしかった。そして今我々が乗って来たゴンドラで下山しようとする、夏スキーを楽しむ若者たちでごった返していた。神聖なる山頂を我先に拝みたい、そんな気持ちがどこかで働いてしまったのだろう。また、展望台への通路は、本当にこれでいいのだろうか。掲示板はどこにあるのか。そんな思いもあり、つい、早歩きとなった。ゴンドラからは、雲で覆われてマッターホルンがちっとも見えなくなってきたことへの焦りもあった。

と、ガッシャーン、鉄格子がコンクリートに叩きつけられたような音がした。山を削って作られたのであろう暗がりの狭く細い通路は、片側に金網の板が張り巡らされていた。先程いた子供の一人が足でも引っ掛けたのだろうか。足を止め、後ろを振り向くと、驚いたことに、母が倒れていた。ばったん、と。

背の高いスイス人の男性だろうか。すぐに母の様子を見て、抱き起してくれた。大量の血が鼻から出ている。ティッシュで拭うと、鼻の上を切ったようだった。こんな時、慌ててしまったら、本人が余計精神的なダメージを受けるだろう。なるべく、平静を装い、ちょっと転んだ程度と受け止め、どこか骨折していないか簡単に確認すると、また歩き始めることにした。

地面は湿ってこそあれ、隆起があるわけでもない平坦なものだった。持っていた杖が仇になったのか。平らな道で転んでしまったのか。左手が動かないと言う母に、大袈裟な対応はせずに、身体全体の重量が掛かってしまったのだろうね、などと極めて冷淡とも思われる返事をした。

標高3800メートルからの眺望は如何に。

先程ロープウェイに乗っていた大勢はどこにいったのだろう。そう思われる程、周囲に人はいなかった。トンネルを抜けるとエレベーターがあり、その後階段を上るようになっていた。エレベーターを降りたところで、母が、手も動かないし、ここで待っている、と言う。一瞬迷った。怪我をし、手が動かないという母を残し、上に行くべきなのか。

小さなエレベーターホールから見える外の景色は、真っ白だった。それでも、見に行きたいと思った。この白い雲の向こうに、一体何が見えるのか。




ここが最高地点というところまで行き、大きく深呼吸をし、回れ右をした。さあ帰ろうと慌てて母のところに戻った。

正直なところ、平坦な場所で転倒し、鼻を怪我して出血した母に、これまで感じることも恐れていた老いを見ざるをえずに、自分自身がかなり動揺していた。母にいたれば、それ以上であろうと思うに、胸が塞いだ。

帰りのロープウェイは行き以上に下山客でごった返していた。スキー合宿でもあるのだろうか。バッタ達と同じような年頃の子供たちがスキーやスノーボードを抱えて大勢乗り込んでいた。母は最初は怪我した自分の顔を皆が見ているような気がして居心地が悪そうだったが、次の中型のゴンドラで乗り合わせた男性達がスキーウェアを脱ぎ、サイクリングウェアに着替える様子に、笑顔が戻ってきていた。






土曜日の午後。スイスの事情は知らないが、これがフランスだったら、先ず医者は休業。急患ともなれば、病院は何時間も待たねばらなず、薬局も下手をすると休みに入ってしまう。取り敢えずは、ツェルマットの村まで下りることにした。




ツェルマットの村には、輝く夏の陽射しが降り注いでいた。どうやら、パレードは大通りで繰り広げられているらしく、賑やかな音楽が流れていた。パラソルのある川沿いのレストランで一息つくことにする。先ずは、母にトイレに行って顔を洗ってくるように促す。非常に控えめに。





そこで、のんびりとしたことが良かったのだろう。母の気持ちは、太陽の陽射しを浴びて、すっかりとほぐれていった様だった。医者に診てもらう必要もないだろうとなり、薬局で冷えピタや絆創膏を買おうとなった。





薬局は案の定昼休みだったが、近くのスーパーで絆創膏、捻挫した際の湿布や塗り薬をゲット。ゆるゆると登山鉄道の駅まで歩き、のんびりとホテルに戻る。母は部屋でゆっくりとすると言う。部屋の窓からは、もくもくとした煙の様な雲を背景に、颯爽とした美しいマッターホルンの姿が優しく微笑んでいた。















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