2019年1月22日火曜日

覚醒






正直なところ、ちょっと前まで、末娘バッタが今年の夏に高校を卒業をしたら、親としての使命は勿論、この世に生まれてきた使命も無事終了と思っていた。3匹とも未だ学生の立場であり、社会への貢献こそしていないが、既に自分たちの足でしっかりと大地を踏みしめ、自分たちの手で人生を切り拓いていくに十分な能力と気力を備えていると自負すらしている。ここまで育て上げたので、最早お役目御免。そして、生物学的見地から、子孫を残すというヒトとしての役割も同時に果たしたことになろう、そう思っていた。人生悔いなし。次からはおまけの人生。


ところが、そう簡単には気持ちというものはついていかない。枯葉となり、いつ朽ちていってもおかしくなく、むしろ肥沃な大地に還元されるのであれば、本望。などと、悟りの境地に至るまでには、人としてまだまだ精進が必要なようである。意気消沈し、どうも、気持ちだけが空回りしていることは、自分でも分かっていた。


大体、おまけの人生なんてありえない。人生におまけなどない。


「人生80年」、「人生折り返し地点を通過」、「第二の人生」、
そんな言葉に、すっかり踊らされていた。

そもそも、江戸時代では20歳は年増であり、40歳は初老。時代と共に概念も変化していくのである。それよりも何よりも、言葉で勝手に括られてしまったのではたまったものではない。そんなつまらないことを、自分で自分に対して行っていたことに失笑を禁じ得ない。


いつだって現役。自分から人生の舞台から降りてどうしようぞ。

そうとなれば、背筋をしゃんとし、たまにはヒールも履き、ルージュも引き、虫歯も治し、スーツも新調し、そこそこスポーツもし、健康に留意しつつ、豪快奔放でありたいもの。

さあ、行くか!





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2019年1月21日月曜日

初雪抹茶








大声で「ママ!」と呼ばれる。普段でも大きい声を更に大きくして末娘バッタが連呼する。一体何事か。蜘蛛、だろうか。これだけ大きくなっても蜘蛛は大の苦手。夜中であろうが、トイレ中だろうが、蜘蛛を見つけると所構わず大声で叫び、とにかくどこかに行ってもらうまで大騒ぎをする。

まだ幼い時に、長女バッタとそっくりに腕が腫れ上がったことがある。どうやら蜘蛛が腕に這い、噛まれたか何かで、アレルギー反応を起こしてしまっていた。それ以来、どうも蜘蛛は苦手中の苦手。田舎家のこともあり、天井や窓の隅に蜘蛛の巣があっても、ちっとも気にしないでいたが、子供はそうではないようだった。蜘蛛はあれだけ大きく長い脚をしていても、ぱんと叩けば、あっけなく小さくなってしまう。外に退散願う場合は、箒の先に絡めて救出し、外で一振り。そんなことも、末娘バッタにはできない。

他の昆虫に対しては寛容で、大騒ぎをしないところをみると、やはり昔、寝込みを襲われ、腕が腫れ上がったことでの恐怖が根底にあるのだろう。いつかは親になり、我が子を敵から守るためにも奮い立つことで、蜘蛛アレルギーから克服するのだろうかと、ぼんやりと思う。

「ママ、雪!雪だよ!」

ちらちらと白いものが舞い落ちている。今シーズン、いつになく穏やかな気候が続いていたが、遂に寒気団のお出ましか。

犬と子供は大の雪好きとは言うけれど、確かに。幼い頃に雪が降ったと妹と大騒ぎをしたことを懐かしく思い出す。昔の様に雪だ、雪だと騒がなくなってしまったが、子供が出来て、彼らが大騒ぎをするから、大人になると少しのことでは動じなくなるからなのか。

ノーマルを履いたままの車での走行は出来るだけ勘弁したいな。そんな現実的なことがちらりと頭を過ぎる。

外では苔の上に雪が舞い降りている。
抹茶に粉砂糖を振りかけたかのように。




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2019年1月16日水曜日

幻のキャロットケーキ








これまで何度も目にしたキャロットケーキ。あの時のものではないことは、一目瞭然だし、半ばあきらめながらも、つい買ってしまう。口にして、分かり切っているものの、がくりとする。思い出したように時々レシピも片っ端から検索してみるが、探しているものは見当たらない。

オーストラリアの留学時代にホストファミリーから贈られた料理の本に載っていたキャロットケーキ。

確か、大学生の頃だったか、一度作ってみたが、その素朴な美味しさにとにかく心震えた。卵白をしっかりとメレンゲ状に撹拌したことを記憶している。そして、粉は入れなかった、筈。

どのレシピをみても、小麦粉が入っている。

一度、メレンゲに栗クリームを入れて焼き上げる、粉なしのマロンタルトのレシピを見た際には、これだ、と思った。そのレシピに沿って作ったマロンタルトはしっとりと上品な味わいだったし、それから何度も何度もマロンタルトを作ったが、一度もキャロットケーキに応用したことはなかった。

この冬、ふと思い立ち、栗のクリームではなく、マッシュした人参をメレンゲにふわりと入れ込み、焼いてみた。

結果は惨敗。末娘バッタからは非難轟轟。お菓子作りに失敗するなんて、前代未聞のことをしてしまう。そもそも、素材がそろっているのだから、形が悪かろうが、味に問題はない筈。ところが、見事にいただけない。メレンゲ作りに失敗したのか、砂糖を入れすぎたのか。完敗。

そんな折り、新聞にこれこそ最高のキャロットケーキと銘打って掲載されているレシピを発見する。食い入るように材料をチェックするが、矢張り小麦粉が入っている。小麦粉が入らないと思っていたのは、私の勘違いなのだろうか、とぼんやりと思ってしまう。

丁度ケーキを作ろうとしていた末娘バッタが、板チョコがないことを嘆いていたので、キャロットケーキを作ってみないかと誘ってみると、意外に素直に乗ってきた。そして、小論文が終わっていないからと、あっさりとキッチンを明け渡してくれた。

そこで、急いでレシピを書き写す。

材料:
摺り下ろした人参 250g
アーモンドプードル 175g
砕いたピーカンナッツ 50g
干しクランベリー 25g
卵 4個
小麦粉 75g
砂糖 175g
塩 小匙1/2
レモン 1個
シナモン 小匙1
粉末ジンジャー 小匙1/2
キャトルエピス 一つまみ
バター 20g

あれだけ末娘バッタからは、レシピに忠実に作って欲しいと言われていたが、今回も畏れ多くも食の神様か食通のご先祖様か、どなたかが降臨するのだろうか。レシピを読みながら、気が付いたらかなり勝手に解釈し、作っていた。

ピーカンナッツなどないので、手元にあるアーモンドで代用。アーモンドに軽く火を入れ、香ばしさを出し、さくさくと、やや大粒に砕く。クランベリーもないので、これもレーズンにて代用。レモンの皮の代わりに、オレンジの皮を使おう。

更にケーキの上に載せるフロスティングは省略。型に塗るバターも割愛。

砂糖175gなぞありえなく、ブラウンシュガーを100g弱使用。また、シナモンは気が付いたら小匙を大匙とし、たっぷり1杯。粉末ジンジャーも、シナモンで使った大匙にて、えいやあ、と少な目ながらも1杯。キャトルエピスなどという洒落たものは、調味料棚にあるべくもなく、粒胡椒とクローブを少々粉砕機で粉状にし、そこにナツメグを削り入れる。えも言えぬ香りがぱっと散る。香辛料こそが大航海時代をもたらしたと言われるのも、納得がいこう。確かキャトルのうちのもう一つはジンジャー。先程多めに入れたので、ここでは割愛。

卵黄にブラウンシュガーを混ぜ、丁寧にもったりとするまで十分撹拌。そこに削ったオレンジの皮、小麦粉、塩、アーモンドプードル、アーモンドを順々に混ぜていく。ガレットを作ったばかりで、アーモンドプードルは指定された量より幾分少なめだが、まあ良しとしよう。そして香辛料を振り入れる。かなり硬めの生地となり、なかなか均一に撹拌しづらい。

ここに摺り下ろした人参を入れると、漸く生地に柔らかみが戻り、混ぜやすくなる。レモンの汁。フーム。レモン一個分となると、かなりの量。生地の均一化を目指す。最後にレーズンを入れて、ひとまず完成。

別のボールで卵白をしっかりと撹拌し、角が出る程硬いメレンゲを作る。メレンゲの3分の1を先程の生地に入れ込み、すっかりメレンゲと混じった生地を、残りのメレンゲに入れ、メレンゲが潰れないように混ぜる。

とは書いたものの、実は適当。生地が均一となることが肝要。

そして、型に入れて、何回が上から落とし、余分な空気を抜く。

丁度オーブンが180度になったと知らせのブザーがなり、中段に入れて焼くこと45分程度。

黄金に艶良く焼き上がる。

最近は滅多に母親のケーキなど学校に持って行かず、自分で作る回数の方が多くなった末娘バッタだが、翌日は喜んで持って行った。ジンジャーを入れすぎてしまったのでは、砂糖が少ないのではないか、などと心配したものの、すっごく美味しかったよ、と元気な声で報告してくれた。クラスの皆であっという間に食べてしまったとか。いつだってお腹の空いている高校生ではあるが、また作ってね、の一言に、ついつい頬が緩んでしまう。

一切れぐらい失敬しても分からなかっただろうが、何せ36人のクラスというので、ホールケーキを持たせてしまっていた。従い、幻のキャロットケーキに近づけたのか、実のところは分からずじまい。

幻とは、そういうものかな。
キッチンにはいつまでもシナモンの香りが漂う。





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2019年1月15日火曜日

末娘バッタの主張








南アのクルガーパークでの3週間の実習を終えて帰って来た長女バッタを翌日パリの北駅まで送る道すがら、ブーツやら携帯の充電器を忘れてきたとかで、パリの父親のアパートに立ち寄る。運転手は末娘バッタ。日曜の早い時間、パリは気持ちの良い程空いていて、丁度良い場所にうまく縦列駐車をし、ご満悦の末娘バッタ。

急いで取りに行った長女バッタと一緒に、父親も外に出てきた。と、運転席の末娘バッタを見て、それまでの嬉しそうな優しい顔が一瞬にして曇り、不満の色が濃厚になる。

前夜、父親からメッセージをもらっていた。長女バッタが忘れ物をしていること、翌朝駅に見送りに行く途中で立ち寄ったらいいだろうこと、末娘バッタは家に残って勉強をした方が良いから見送りには来ないことが賢明であろうこと。

OKとだけ返事をしておいた。末娘バッタには父親のメッセージを伝えはしたが、今朝、当然の様に長女バッタの見送りに行く準備をしている彼女に、行くなとは言えなかった。

土曜の朝フランスに戻り、日中はパリで所用をすませ、夜のみ我が家に立ち寄り、翌日には大学のあるロッテルダムに出発する長女バッタに会うために、普段は寄宿舎にいる息子バッタも夕食にだけは出てきていた。末娘バッタは、兼ねてから呼ばれていた友達の誕生会に夜は行く予定だったが、それを知った長女バッタが、せっかく皆と会うためにやってきたのに、と一言。それを聞いて、だろうが、具合が悪くなったと薬まで飲み、出かけないことにした末娘バッタ。

夜は長女バッタの写真を見ながらの土産話に花が咲き、3匹のバッタ達ととても楽しい時間を過ごし、食後は遅くなってはいけないからと、息子バッタを皆で寄宿舎まで送って行っていた。

確かに、土曜は丸一日、午前中は学校で哲学の模擬試験、午後はバイオリンといった具合に、いわゆる勉強という勉強をしていない。父親の言うことは尤もであり、彼の心配は私の心配とも重なる。

されど、次会う機会は夏になろうかという長女バッタを、パリの駅まで見送り、お互いに応援し合うことは、彼らにとって重要なこと。仮に末娘バッタ自らが、勉強の時間を捻出するため見送りを断念するのであれば、当然それは尊重されることだし、家の前で別れの儀式をすることも、大いによかろう。しかし、今回は末娘バッタの心が既に長女バッタを自分の運転でパリの駅まで見送ることに動いていた。

朝の2時間は貴重。しかし、決め手はモチベーションである。納得しない末娘バッタを無理やり家に残しても、決して良いことはないだけではなく、よっぽどの事でない限り、彼女の意志を変えることは叶わないことは良く分かっていた。その意味でも、前日、友人のパーティーに行かずに家に残ったことは、彼女の長女バッタへの思いの深さが感じられる。しかも、家に残ることにした末娘バッタに対し、特別な反応もせず、むしろ当然のように接していた長女バッタや息子バッタの態度からも、彼らの繋がりの強さが改めて感じられよう。

さて、
しかし、父親は遠くに離れているから余計に心配をしてしまう。末娘宛そして、私宛に長いメッセージが届く。

日本の受験生であれば週末は塾に行っている筈だ。フランスでも同じように受験生は勉強をする必要がある。どうして末娘バッタに勉強をさせないのか納得がいかない。うんぬん。

いやいや。私は塾には行かなかったぞ、と一瞬思うが、彼にしたら、日本では受験勉強が大変だと言われているが、フランスだって同じなわけで、ちゃんと監督してくれよ、ということなのだろう。彼の心配は良く分かる。私だって、もうちょっと勉強せんか、と思う。今が勝負の時期であることは重々承知している。が、それを口にした途端、彼女はぐにゃりと萎えてしまう。本人がそのことを一番よく知っているのだから。

以前、末娘バッタに高校卒業後の進路の話をしたところ、学校では教師もクラスメートも兎に角その話しかしない。せめて家では、その話をしないいたい、と返されてしまった。おいおい。親と相談せずにどうする、と思うものの、話をしたくなったら話せばよいし、その時にはいつだって話にのるとの姿勢でいようと思うに至った。

お節介な、と思わなくもないが、父親の心配する気持ちも良く分かるだけに、かつ、大丈夫、任せてよと強気で言えるわけもなく、『確かにその通りだよね。ちゃんと監督するようにします。』と、まあ、いわば可もなく不可もない、適当なメッセージを送る。無視はしない、それだけは心掛けている。

夕方になり、おやつの時間だと喜んでキッチンに出てきた末娘バッタに、パパにちゃんと返事をしたのか確認をする。と、なぜパパが彼女にメッセージを送ったことを知っているのかと聞かれてしまう。さすがに父親が彼女宛のメッセージのコピーをママにも送っているとは言えず、ママにメッセージが来たので、貴女のところにもきただろうと思ったからよ、と答える。

ふーん。で、ママ、なんて答えたの?

えっ?
ママは、パパの言う通りだよね、しっかりやるようにする、って答えたよ。

ママ、ダメじゃん!本当にそう思っているの?私は、パパに対して怒ったよ。私の人生なんだもの。パパにとやかく言われれたくないもの。パパに言われる通りにしていたら、息が詰まって、私爆発しちゃうよ。勉強しているだけなんてできないよ。今の成績が進路の選択に直接影響があることなんて、分かっている。ちゃんと分かっているよ。

ええっ?怒ったぁ?

すごいなあ。惚れ惚れと見直してしまう。

ロッテルダムの長女バッタにしろ、全寮制のプレパにいる息子バッタにしろ、末娘バッタにしろ、なんだって皆、ちゃんと自立して、しっかりと自己主張し、我が道を堂々と突き進んでいるんだろうか。

頼もしい。どんなことがあっても、強く生きていく逞しさだけは、十分にある。
最近、頓に成長著しく、すっかり気圧されてしまっている。

さあ、ママも踏ん張らねば。





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2019年1月11日金曜日

寒の雨







冬枯れの通りを歩く。
ジーンズの生地から冷気が入り込み、歩くスピードも知らずに早まる。

暫く行くと木々のきらめきに、思わず被っていたオーバーのフードを脱いでしまう。一体このきらめきは何だろう。

すっかりと葉が落ちた枯れ枝に、早朝の雨が滴となり連なっていて、それがまるでノエルのイルミネーションのように光っている。あちらでも、こちらでも。

なんということだろう。

ノエルの飾りが取り外された人気のない通りで、自然が生み出したイルミネーションによって、清々しい新年を慎ましやかに迎えた厳かな気分に満たされる。

冬枯れに 光となれし 寒の雨





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2019年1月7日月曜日

ルージュ









そろそろパスポートの期限がきてしまうことに気付き、10年という月日の流れる速さに、ただただ愕然としてしまう。

証明写真だけでも撮っておかねば。

10年前に撮影した写真を見ると、いかにも指名手配の人物と思えるほどの人相。微笑んでもいけないのだから、仕方あるまい。近所のスーパーに証明写真撮影ボックスがあることを思い出し、急いで支度をする。

メークアップというわけでもないが、見苦しくない程度にせねば、とアイラインを入れる。手持ちの口紅が抑えた色合いなので、どうしようかと思いつつ、ふと末娘バッタの透明なビニール製の化粧ポーチに目が留まる。見たことのある口紅が入っているので、こんなところにあったのかとばかりに、手にして一気に唇に塗る。華やかながらも抑えたピーチ色。ところが鏡の中を覗いて、ぎょっとしてしまう。何とラメ入り。どうやらメーカーこそ私の愛用ながら、中身は違っており、確かに末娘バッタの所有物であることが判明する。

証明写真など非常に事務的なもの、と分かっていながらも、10年間はパスポートに張り付いていて、身分証明書として利用されることを思うと、慌ててジャケットに着替え大急ぎでスーパーに向かう。

美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに
富士フィルムのコマーシャルが思い出される。どうも証明写真は苦手。自分の顔に対面し、溜息をつく。写真は嘘はつかない。インスタントなので、手直しもできない。
まあ、良しとするか。表情の豊かさが魅力ってことで。

それにしても、いつの間にラメ入りルージュなんか手にするようになったのか。17歳になった末娘バッタ。ラメが入っていなくてもきらめいているよ。





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2019年1月6日日曜日

身体の声








健全なる精神は健全なる身体に宿る
これを勝手に解釈し、精神が健全であれば身体も健全と勘違いをし、そして遂には、精神力で健康をも維持できると思い込んで、これまで突っ走ってきた感がある。

その結果、身体が悲鳴を上げてしまった。もうこれ以上は無理というところまで、自分を追い込んでしまったことに、愕然とする始末。渦中にいることで、全体が見えなくなってしまっていた。それが昨年の11月。漸く落ち着きを取り戻したかと思ったが、今度は耳鳴りに悩まされるようになってしまった。

8年前、東日本大震災の時に、実際に自分自身が被害を受けたわけではないのに、故郷を思い、現地で奮闘する家族や友人を心配し、気が付いたら水中にいるような感覚に襲われ、それが暫く続いたことがある。車を運転すれば、振動が頭の中で最大限に響き渡り辛く、歩いても自分の足音が頭の中で響き辛かった。人と話ができなくなり、日常生活に支障をきたしてしまった。専門医は、原因が不明であり、一生耳鳴りが続くことも覚悟するようにと、そして、それはそんなに大したことではないと、諭してくれたが、あの時は本当に煩わしく、辛い時期だった。それが、半年もしたら、いつの間にか消えていた。気が付いたら、圧縮した空気の世界から脱出していた。

首や肩の凝りが原因のように思われ、以来、首が問題なく回るように注意していたが、うっかりと最近はそんなことに気を取られていなかった。

ある朝目覚めて起き上がると、ぼーっと低音が頭の中に響き渡り、ぼん、ぼんと異様な音が聞こえた。それが自分の足音であり、またもや、圧縮した空気の世界に入り込んでしまったことに気が付いた時には愕然とした。肩が強張り、首が上下、左右、動かすことがままならない。こうして身体がまたもや悲鳴を上げてしまった。

暗澹たる思いに気がふさがり、どうにか状況を打開しようと、先ずは首と肩の体操を始める。蒸しタオルで首や頭のこりをほぐす。しかし、身体はこうも正直なものなのか。


そして二日前。冷たい空気を頬に受け、通りを歩いている時に、ある思いにとらわれた。と、臍のあたりからぐいぐいとその思いは膨らみ、身体中の一つ一つのあらゆる細胞が震えながら叫び始めた。遂にその思いは歓喜となって身体中を駆け巡った。

嗚呼!
正にこの時を待っていた。この瞬間、決意が確固たるものとなり、確信に満ちたものとなった。

翌朝、目覚めると圧縮した空気の世界から脱出していた。







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2019年1月4日金曜日

謹賀新年 2019







謹賀新年
平成最後に迎える年が、幸せに満ち満ちたものとなりますように
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます


今年の年賀状の写真は、マッターホルンが朝日に黄金に輝く写真、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が連なる雄大な写真、そしてこの日本庭園と3つ候補があったが、バッタ達により満場一致で決定。

長女バッタは学部最後の年を夏には終え、その後は大学院に進学を希望している。目指すコースは欧州の各都市に散らばっていて、今のところ今後どこに居住することになるのか未定。息子バッタはプレパの2年目にあり、春から夏にかけてのコンクールに挑戦する年。結果によって、フランス国内とはいえ、彼もどこに居住することになるのか未定。そして、末っ子バッタ。彼女も高3。初夏にはバカロレアが待っている。その後の進学先によって、どこに居住するのか決まる。

こんなに変化に富む年になるとは!必然的偶然に違いない。

さあ、笑顔で明るく大らかに、かつ厳かに、この輝かしい新しい年を迎えよう。






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