幸多からんことを！

 

君は僕をあの苦悩の時代から救ってくれた人生の恩人だよ。

そう言って輝く笑顔で出迎えてくれたエド。そんな、大袈裟な、とは思うものの悪い気はしない。2年ぶりの再会となったが、まさか彼がそこまで感謝してくれているとは思わなかった。

昔の職場の同僚。上司から不当に無能呼ばわりされ、青菜に塩の状態でいつも冴えない顔をしていた彼を思い出す。

ウィットに富んで、非常に歴史文化に造詣深く、何より大学で学んだという日本語を完璧に操って私を驚かせたエド。日本で二年間の仕事の経験もある。語学に堪能で、日本語のほか、英語はバイリンガル並みでドイツ語も流暢だった。

その彼の得意分野や経験を一切無視して、全く彼にとって不案内の某分野に関するドイツにおける市場調査とプロジェクト推進が彼の任務だった。もともとは、別のプロジェクトで雇用されたが、そのプロジェクトが直前にぽしゃってしまったので、別の任務に就かされたという裏事情があった。

最初に会った日の自信に満ちた輝く笑顔が次第に見られなくなり、不安そうな瞳をのぞかせるようになり、終いには陰鬱な表情ばかりを見せるようになってしまっていた。

短期間ながら、彼とは良くランチやカフェ休憩を一緒にし、その度に色々な話をした。年齢的にはバッタ達よりは一回り上だろうが、我が子のような感覚で接していたのかもしれない。励まし、時には発破をかけ、時にはこちらの抱える問題を聞いてもらったりした。

彼のこれまでの経験を活かせる、日本文化関連分野での採用試験を受けるという話には、大いに賛同し、励まし、応援したものだった。契約期間が短期間であることが問題ではあったが、次へのステップに繋がることは確かだった。

午前中に半休を取り試験を受けてきた時、守備を尋ねると、時間がなく小論文の提出がフランス語のみになってしまい、日本語での文章が書けなかったという。日本語での面接では、しっかりと説明できたと言うが、書く力を試される小論文が未提出とはマズイ。

悲しそうな顔をしている彼に、とにかく担当者に連絡をし、日本語の小論文の提出が出来なかったことを伝え、もう一度チャンスをもらえるように頼み込むべきだと諭した。

私が採用者なら、フランス語での小論文は文句なく、面接でも合格水準ながら、日本語を書く能力が確認できないことが気になると思った。恐らく、業務的には日本語での文章作成は求められないと思われた。しかし、試験は試験であり、未提出ということがひっかかる。彼を採用したいと思いながらも、そこがネックになる可能性は高いと思った。

一か八か賭けるべき。自分の情熱に賭けるべき！

果たして。担当者は彼からの連絡をひどく喜び、小論文を作成しに改めて来るように伝えたとのこと。

その後のことは良く分からない。私自身が、その職場を辞めてしまったから。

今日、よくよく話を聞くと、私の退職を知り、彼は採用試験の結果を待たずに自分も辞職願を出したという。一人では耐えられないと思ったし、この流れを逃したら、いつまでもずるずるとしてしまいそうだと思ったという。

うまいこと採用となり、給与は正直悲しい程に低いが、自分の好きな分野でとにかく伸び伸びと仕事ができて幸せだという。そういう彼の笑顔は爽やか。そう。彼はこんな優しい笑顔の青年だった。

お礼にランチをご馳走させて欲しいという。道に迷って随分と待たせてしまったし、そんなことできないわよ、と言えば、お礼をしたいと2年も待ったんだ、と笑顔で返事が返ってくる。

ありがとう。それではお言葉に甘えてご馳走になります。じんわりと嬉しさが込み上げてくる。良かったね、ああ、本当に良かったね。

彼の前途が光に満ち満ちて幸多きものとなりますように！

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