2013年12月30日月曜日

九份




一年のうち3分の2は雨と言われる彼の地。果たして山あいは小雨で煙っていて、眼下に見える海原も霞んでいる。オカリナの哀切な音色が遠くで静かに響いている。懐かしく、胸に迫る『いつも何度でも』のメロディー。

異空間を彷徨う幽玄さに心惹かれるのも、実は一瞬のこと。

入り組んだ狭い路地には、所狭しと土産物屋、飲食店が軒を連ねる。通りにぶら下がった赤い提灯を見上げる余裕もなく雨は小降りになったり、忘れた頃にどしゃ降りになったり、傘が手放せない。それでも、ところどころ、ちょっとしたアーケードになっていて、傘を持つ手を休めることができる。

手は休めても、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、の五感は休むことを知らない。最大限に研ぎ澄まされ、今や爆発せんばかり。天然石、木製の民芸品、瀬戸物、印鑑、筆、硯、絵葉書、茶、果実酒、スッポンスープ、臭豆腐、甘味飲料、善哉、魚丸湯、イカフライ、ソーセージ、豆団子、べっこう飴、牛肉乾、豚肉煎餅、蝦煎餅、紹興梅、求肥、草餅。。。

胃袋が幾つあっても足りない。やはり何れは豚になってしまう運命か。

500mlはありそうな珍珠奶茶をたっぷりと楽しんだ後で、小豆入り芋圓をいただく。別の味も勧められるが、その前に休憩をせねば。店に入る前に見掛けた全世界共通マークを頼りに、慌てて戻る。と、先ほどは気が付かなかった木の看板がアーケードの上に小さく掲げられている。漢字圏の強み。意気揚々と示された方向に脇道に入る。

と、これまでの雑踏から全く離れ、空気さえも澄んだ別世界が広がる。人の気配がしない狭い階段をひとり登っていくと、ちょっとした広場になっており、色鮮やかな寺に出る。

必然的偶然。
大勢で旅に出る楽しさ。その中で一人だけの時間と空間の出会いの醍醐味。
深呼吸をして階段を降りる。





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2013年12月27日金曜日

立待月



別れがたく、停めてある車までついて行く。
ボンネットが開き、トランクのカバーがするすると引かれると、色鮮やかな黄緑とオレンジのフィンが一式ずつ目に飛び込む。

あ、潜っているんだ。
そういえば、今年こそ何かスポーツを、と言っていたっけ。
仕事ばかりしているわけじゃないってことに、ほっとすれば良いのか、すべてを知らないことに胸を痛めるべきか、新たな発見を喜ぶべきか。
蛍光色が頭を占める。

新しいのを買ったんだよ。
恥ずかしそうな(いや、罰が悪そうな、か)反応がある。
それでも今シーズンに入って三回ほどしか潜れていないらしい。


別れてから、ハンドルを握っている時も、さっきの蛍光色が頭から消えない。
何故、黄緑とオレンジのフィンが二式あるのか。二つとも新品のように思えたし、同じような形に見えたが、どちらかが古くて、どちらかが新たに購入されたものなのか。


世の中、知らなくて良いこともあり、詮索する必要がないこともある。詮索すれば却って疑惑の暗闇に自分から陥ってしまうこともある。分かってはいるが、妄想の世界における奈落への階段は急で、止まろうにも転がり落ちる勢いに任せ、いよいよ落下速度は加速し、茫洋たる暗黒に突入するかの如し。

と、先ほどから、こちらをにたにた笑っている存在に気が付く。
ふと見上げれば立待月。
あんなに月がにたにたしている様は見たことがない。月も笑うのか。
つられてこちらも笑ってしまう。
そうだよね、バカだよね、と笑いながら、ゆっくりと幸せな思いが溢れてくる。


そっとハンドルを握りなおし、アクセルを踏む。







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2013年12月24日火曜日

サンタクロースへのお願い








性悪な人が及ぼす問題は、普通の人には彼らがもたらすプレッシャーには耐えきれないってことだよ。このプレッシャーは本質的に悪と同一のものなんだ。
ノエルの時期に精神的な疲れを癒すんだよ。自分のことを考えて。時には自分が好きなことをするんだよ。
それより、一体サンタクロースに何をお願いしたの?


そんなメッセージが送られたきたのは一週間前か。
いつものように短くて、そして深い示唆に富む内容。

本当なら、すぐに返事を書くところだけど、最後の一文に戸惑ってしまった。

勿論、他愛のない友人同士の季節の挨拶として、さりげなく流すこともできる。父親が子供に尋ねるような、親愛の情を汲み取ることもできる。親しい友人から、一歩踏み込んだ関係になることを思い描くことさえできる。


まるでチェスじゃないか。

ゆっくりと、ゆっくりと、様々な手を考える。こちらの動きで相手の対応も当然変わってくる。


それよりも、本当にサンタクロースに何をお願いしようか。
本当に欲しいものは自分で手に入れなきゃいけないことは、十分わかっているし、幸せは自分が感じ取ることだってことも、良く分かっている。でも、そんなことじゃなくって、もっと夢があって、サンタクロースにだからこそお願いできること。


紀元前の建築物、ローマのパンテオンの中に入って、その荘厳な空間に圧倒された感覚が甦る。


調和のとれた均一な世界に、ドームの天窓から神々しくも魅惑的な太陽の光の束。


その降り注ぐ光のようなキスを愛する全ての人々に届けて欲しい。



Joyeux Noël!





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2013年12月21日土曜日

冬至の太陽






ヘンデルのバイオリンソナタ第4番。
第1楽章から第4楽章まで、次に会うまでに暗譜してきて欲しいとバイオリンの師、マリに言われると、息子バッタは黙ってしまった。

夏休みが明けるとユネスコ、そしてローマでのコンサートに向けての練習、そして、今度はノエルのコンサートに向けての練習となり、なかなか自分の曲を仕上げる時間が少なかったことは事実。それでも、この第4番は4楽章あるとはいえ9月から持ち続けている。あまり長い間同じ曲を持っていると、気持ちの上でも弛んでしまうので、やる気を持続させるためにも、テンポ良く切り上げることも大切との信念を持っている師の言葉に、バカンスの二週間で仕上げて欲しいとの期待と希望が込められていることが感じられた。

それに対する沈黙。
これが少し前なら、喝を入れるところだが、我慢して黙っていた。それにしても、せっかくこれまでやる気を見せていたのに、一体どうしたのだろう。最近、確かに練習している姿を見なくなったかもしれない。それよりも、数日前に声を掛けたら、ママも練習していないね、と返事があったことを思い出していた。こっそりと溜息をつく。

どのぐらいの期間があれば、暗譜できると思うの?
マリは別の方向から質問をしてきた。

分からない。
これまた覇気のない返事。

ねえ、ヘンデルが嫌なの?
ヘンデルのソナタを暗譜したくないだけなの?

マリの質問も分かる。彼女にしてみたら、今まで暗譜にかけては全く問題もなかった息子バッタが、ぐずぐずとしていることが腑に落ちなかったのだろう。

バカンス中、パパのところだから。

蚊の鳴くような声が聞こえる。
ハッとする。

なるほどね。パパのところだと、練習できないのね。
マリが頷く。

今回は末娘バッタが練習日連続200日を目指しているから、バイオリンを持って行くこと、パリのアパートでも練習はさせてもらえること、など、ゆっくりと付け加え、息子バッタにもパパのところでも十分練習できる環境にあることを伝える。

パパに聞かせたくないんだよ。聞いて欲しくない。

耳を疑う。
パパは毎日家にいるわけではないから、やろうと思えば練習をする時間があることを伝える。

パピー、マミーにも聞かせたくない。

はっきりとした答えが返ってくる。

分かるわ。
マリが言う。音楽は表現だから、聞いて欲しくないこともあると思うわ。こればかりは、私にはどうしようもない。

スケールの練習ならどう?ポジション移動の練習と合わせてやるのよ。こういった技術的な練習なら、表現とは違うから、聞かれても構わないんじゃないかな。

スケールとポジション移動?

そう。どう?それだけを練習するのよ。とってもいい練習になると思うわ。

やってみる。
そう頷く息子バッタの後姿を見つめながら、そういったことに思い至らなかった自分を情けなく思う。そうだったのか。

音楽は表現。聞いて欲しくない相手、聞いて欲しい相手、伝えたい相手、伝えたくない相手があるのか。

そんなことより、彼が父親を伝えたくない相手としていることに、身につまされる。

つい先日、サッカーのリーグ戦があるからと、父親が誘い、一緒に観戦し、夜中に送ってもらったばかりじゃないか。

父親に知られたくない世界、ということなのか。

冬至の太陽が窓の向こうで木々にゆらめいている。
また一回り大きくなったように思われる息子バッタの背を改めて見つめ直す。







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2013年12月20日金曜日

あと10分



エッフェル塔のまばゆい光が遠くながらも真正面にきらめいていて、セーヌの暗闇の中を、その流れのように、かなりのスピードで絶え間なく車が走っていく。

携帯で時刻を確認。
コトが起こってからよりも起こる前が期待感で最高とは言うけれど。いや、それは二人が手と手を取り合ってからコトが起こるまでの時間のことか。

あと10分。
そのメッセージをもらってから、時が永遠に続いているように思われた。

道に迷っているのだろうか。まさか、同じ名前の別の場所に行ってしまったのではないだろうか。しっかりと住所を記せばよかったか。妄想が迷走し、遠くのどこかでセーヌの波の流れとなって走っている車を想像する。

ヘンデルのバイオリンソナタの世界が破られ、電話の呼び出し音となる。
場所の確認をする疲れたしゃがれた声が聞こえてくる。

そう、セーヌの河岸で間違いない。今どこなの?

裏手にいるよ、と言って通話は切られる。

場所が分からないと言っていたが、私にさえ簡単に分かったのだから何が問題なのだろう。待っているものにありがちで、イライラした口調の相手を責める言葉が溢れかえんばかり。

ふと、先程の疲れの溜まったしゃがれた声が思い出される。
こんな時に優しくできたらいいのに、と思う。にっこりと微笑んで。
いや、馬鹿馬鹿しい。なんでそんなに時間が掛かったのよ、ととっちめないと。
そう思った瞬間、そう思ったことこそ馬鹿馬鹿しくなる。

もうエッフェル塔の輝きもセーヌの暗闇も車の流れも一切目にも耳にも入らない。






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2013年12月18日水曜日

共感し共鳴する空間




ブランドではないのです。
我々はあくまで職人です。

そう言いきる彼からは、モノ作りの第一人者としての誇りがうかがわれる。


マルチローカルのスタイル。フランスの歴史と文化の中で育まれてきた価値を大切に、フランスでフランスの職人によって手作りすることにこだわりを見出している。そこに価値を見出していただけるお客様に対してサービスをし、提供する。

効率化、スケールメリット、マーケティングなど一切しない。

メゾンのエスプリをしっかりと持っている人々によって担われており、彼らの個性をも生かすやり方。従い、各店舗の装飾、トーン、取扱い商品も全く統一されていない。広告にしろ然り。しかし、それが自然ではないか。一人の人間が多様な個性を持っており、一言ではその人となりを説明できないように、メゾンも同様に複雑な個性を併せ持ち、見る角度によって全く違った顔があって当然。それが豊かさではないか。そう言って、均一化の味気無さを斬る。


更に彼の話は続く。

フランスは内面的な必要性に迫られ、自然とモノが変化してきている。

150年前であっても、その延長線上に今の状況が描ける。一方で、日本はドラスティックな変化を余儀なくされた。150年前と同じ流れのものが今あるだろうか。全てが西洋化されてしまい、江戸時代の文化の流れが途絶えてしまっている。つまり内部からの需要に突き動かされての開化を日本は見ていない。

東日本の震災があって、モノがなくなった時初めて日本人は立ち止まり、失ったモノについて考え始めている。これからは、お仕着せではない日本人にとっての本当の価値、必要なモノ、文化が生まれ出てくると思われる。


正に、夏目漱石が「現代日本の開化」に於いて論じていることではあるまいか。



外に高速道路を臨みながら、建物の一部だけ暗闇に蛍光灯がまばゆく放っている空間で、今静かに躍動している故郷日本に、30人が同時に思いを馳せる。






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2013年12月16日月曜日

胡桃色の背広にシャンパンゴールド




一体全体、この時間帯でこの混雑は何なのだろう。赤いテールランプの行列を恨めしく思いながら溜息が漏れる。住所を確認し、目的地までの現在の推定所用時間を調べた時には30分程度だった筈が、エンジンを掛けてから早小一時間が過ぎていた。皆が皆、彼の就任式に行くのだろうかとさえ思えてしまう。


漸く延々と続く赤の波から脱し、自動車道を抜けると、今度は真っ暗な闇が待っていた。ナビに正確な住所を入れた時点で、既に撥ねられていたが、流石に現地に行けば看板や目印があろうから問題はあるまいと高を括っていたことが恨まれた。学究都市との名の通り、確かに幾つかの建物から、あちらこちらで蛍光灯の光が放たれていたが、目的の建物がどれに当たるのかなど見当もつかない。これが太陽の光の下であれば、一目瞭然といかずも、判断材料は目につくであろう。


どうしたものかと、広大なる敷地をイライラしながら、それでものろのろと徐行し、目印や看板など、手掛かりを探す。ホテルでもなく、大企業の研究所でもないことからか、門の守衛室には人影さえない。何の建物なのかを示す看板さえもライトアップされていない。いや、看板そのものが存在しない。広告する必要もないのか。そんなことに予算を回す必要性がないのか。改めて思う。


敷地の端に出てしまうと焦りつつ、最後の建物の入り口を凝視すると、数字の3が目につく。最初にナビに入れようとした数字ではないか。慌てて車を乗り入れようとすると、ゲートに阻まれる。ボタンを押すにも、何ら反応はない。仕方ない。暗闇の中でのバックは余り嬉しくはないが、そんなことを言っている場合ではなかろう。徐行していた通りに出て、路上駐車。鞄をひっつかみ運転席から転がり出る。


一体この建物のどこが会場なのか。と、右手の手袋が見つからない。コートのポケットを探ってもない。車から降りてまでの道を目でたどるが、暗闇があるだけ。泣きそうになる。それでも、走って車に戻り、ルームランプを点けて座席、その下を点検するが、見つからない。ないはずがない。自分に言い聞かせる。だから、今は兎に角も行かねば。


車で入れたらと恨めしく思いつつも、正面玄関と思われる場所まで走り、ゆるやかな勾配の幅の広い段を走り上っていると学生と思しき青年が数名、こちらを見て微笑んでいる。講義に遅れそうになって走った遠い昔を思い出す。行けば何とかなると思っていた通りに、受付があり、名札を渡される。会場は講堂になっています、と告げられるが、一体講堂はどこにあるのか。それでも、ひっそり閑としている廊下を突っ切るとホールにシャンパンの用意があって、すぐに講堂の入り口が分かる。シンプルな建物ながら、お金をかけるところには掛けているのであろう。重厚な扉の前で姿勢を正し、静かに開ける。


オレンジ色の柔らかな光が洩れ、劇場の様な非常にモダンな大講堂であることが分かる。大きなスクリーンにはエンジンの写真が映し出されており、既に講演が始まっている。ステージには講演者の他に三人がソファーに座っており、そのうちの一人がこちらを見ている。靴音を立てないように気をつけながら、細心の注意を払って階段を下りるが、永遠に続くかと思われる程の階段数。はにかんだ笑みを受け止めながら、高揚感に包まれる。



代表就任おめでとう。






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