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2023年6月17日土曜日

お隣さん

 





バッタ達と同年代のお子さんがいたお隣さんが、旦那の仕事で英国に引っ越すことになり、家を売ろうと試みるも買い手が現れず、結局貸家にすることにしたところ、未就園児の男の子ふたりを抱えるカナダ人の家族が入居することになった。


まあ、にぎやか、にぎやか。大家の家族も、旦那がアメリカ人だからか、とにかく庭に出て電話や会話を大声ですることが多く、驚く程鮮明に話の内容が分かってしまう時もあって、かえってこちらが恐縮していたが、その比ではない。幼い子供は、こんなにもうるさいものだったのかと、驚いてしまう。加えて、親の叱る声が加わるのだから、参ってしまう。


いや、実は参ってはいないし、正直なところ、どんどんやって欲しいと思ってしまう。彼らに比べたら、我が家のトンカのおとなしいことったら!


それでも、人間の子が泣き喚いても、子供だから仕方ないよね、で済むところ、犬がワンワンと吠えたてた日には、うるさい犬だ!となってしまうのだから、割に合わない。いやいや、ここは人間の世界であることを、改めて思い知らされることになる。


このお隣さん、何を思ったのか、先日「こんにちは!隣のものですが、家を売りたいって聞きました。ぜひ買いたいと思っているのですが。」と玄関前に現れたのだから、大いに驚いてしまった。


へえ、それは初耳です。と惚けはしたが、一体誰だ何を言っているのか。いやいや、最近の新しい手法なのかもしれない。「ええっと、五百万€で考えているのですが。」そう言ったところ、きょとんとしている。まさか、冗談だと分かっていないのだろうか。隣に寝そべっていたトンカを指して、「ご心配なく。犬も一緒ですよ。」と言ってみると、漸く笑顔が戻った。


しかし、子供とは、こんなにうるさかったのか。我が家のバッタ達も、成長の過程で多くの人々の寛容さに甘えてきたのだな、とつくづくと思ってしまう。おっと。もう夜の10時ではないか。子供達の就寝時間はとっくに過ぎてはいないか。我が家のバッタ達は8時には寝ていたことを懐かしく思い出す。


子供達を夜の8時に寝かせることで、親は自分の時間を確保できた。子供も、疲れたからとぐずることなく、すくすくと育った。と、思うのだが。やれやれ、お隣さんは、どうやら同じ教育観を共有してはいない様子。夏中、彼らの騒ぎ声と大人の叱り声を聞くことになるのだろうか。うーむ。これは新手の、テロではあるまいか。


我関せずと寝入っているトンカ。かくありたし!




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2023年3月29日水曜日

森の中の工事現場

 





好奇心旺盛のトンカは、森の中を時には鹿のように、時には兎のように駆け回る。崖や急斜面が好きで、わざわざ登っていく様子は山羊を思わせる。確かに子ヤギの様にぴょんぴょん飛び跳ねる時があるので、ひょっとしたら父親は山羊なのかもしれない。


好奇心が勝り過ぎて、農場や工事現場に入り込んでしまうことがあるので、要注意なのだが、森の中で自由に駆け回るトンカを見ていると、こちらまで気分が高揚し嬉しくなってしまう。だから要所、要所で声を掛け、必要あればリードをし、上手に誘導するよう心がけている。


相手は時々狡猾な真似をするので、こちらは裏切られた思いをすることもあるが、そこは好奇心が勝っているのだと割り切ることにしている。幾つもの小径が入り混じる場所で、どの径を通るのと言わんばかりに首をかしげて待っていることもあれば、勝手に行ってしまっていて、声を掛けて漸く戻ってくることもある。


大抵は戻ってくるので安心をしていると、油断も隙もあったものではない。トンカの好奇心を大いにくすぐる工事現場の箇所を通らないように配慮し、小径に入ったところでリードを外してやったところ、ほいさ、とばかりに工事現場にまっしぐらされたことがある。当然門は閉まっているのだが、田舎の古い建物の改築工事なので小動物が入れる程の隙間はいたるところにある。下手をしたら、奥の方ではバリアもなく、森に繋がっているのかもしれない。


これまでじろじろと見たことはなかったが、今回ばかりはトンカの姿を探すためにも、しっかりと覗いてしまった。想像以上に敷地は広く、水仙の黄色い花が咲き乱れていた。石造りの家を構造だけ残しての改築工事なので、作業が終わると誰も残っていない。


作業現場にもお国柄が現れる。恐らく作業員はフランス人ではないだろう。いや、フランス人であっても結局は同じことかもしれない。作業道具は野ざらし状態だったし、たった今まで誰かが材木にカンナを掛けていたと思われる様子で、削りカスとともに材木が放置されていた。

中庭にはコンテナのようなものが置かれていて、そこに廃棄物が入っていると思われた。なぜなら、周囲には廃棄物が散乱していたからだった。恐らくコンテナに入れる際に、取りこぼしがあったのだろう。ゴミ箱の周囲には必ずと言っていい程、紙くずや食べ屑があることと一緒で、廃棄物を放り投げる習慣があるのだろう。


やれやれ。これでは、トンカが大喜びするわけである。宝の宝庫。


以前、ジンバブエで自動車の整備工場に行ったことを思い出していた。サイズの違うビスも、バケツにごっちゃ混ぜに入っていたことが印象的だった。同行した日本の自動車メーカーのエンジニアは、埃がたまっていて、あまりに不衛生で乱雑な現場にため息をついて驚いていた。


料理をする時も同じ。先ずはシンクを綺麗にし、包丁を研ぐことから始まる。洗い物が残っていたり、片付けていないお皿があるような場所で、良いものが作れるはずもない。


さあ、トンちゃん。そろそろ家に帰ろうよ。どんなに声を掛けても、口笛を吹いても、私がいることに安心してなのか、ちっとも出てこない。仕方ない。犬の遠吠えの真似をしてみたところ慌てて出て来たので、その効果の程に逆にこちらが驚いてしまった。何事かと思ったのだろう。


暖かくなってきたとはいえ、日が沈むと急に肌寒くなる。トンカのきりっとした尻尾を見ながら、家路を急ぐ。



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2022年12月26日月曜日

森の中の音楽のシャレ―

 





バッタ達は、練習の開始時期こそ違うものの、皆それぞれ高校を卒業するまでバイオリンを弾いていた。彼らがそこまで続けられたのも、音楽の魅力はもちろんのこと、バイオリンの師の存在が大きかったことは言うまでもない。


我が家から車で30分程の森にある、赤ずきんちゃんのおばあちゃんの家のようなシャレーが教室だった。レッスンが終わって外に出たら雪がたっぷりこんと降っていて、車のタイヤが雪に埋まって動けなくなり、四苦八苦したこともある。夜道、あまりの大きな満月に車を停めて、バッタ達としばし眺めたこともある。


個人レッスンとグループレッスン、春は鮮やかな黄色い絨毯が延々と続く菜の花畑、夏はいつまでも暮れない青空、秋はたくさんのイガ栗、冬は雪景色、四季折々の景観を楽しみながら通ったものだった。


「今度の土曜日はノエルのコンサートに行ってくる。」


そう末娘バッタが言うと、長女バッタはもちろん、息子バッタでさえも、目を輝かせて行くと言う。今でもバイオリンの師から、教室のコンサートやバカンスの間の講習会など、イベントがあると案内がくるらしい。ノエルには皆でサンタの帽子を被って、マルシェでミニコンサートをしたものだった。ソロのコンサートとは違って、飛び入りでお姉ちゃんやお兄ちゃんが弾いても大歓迎の、アットホームさがある。


久しぶりに皆がそれぞれのバイオリンを出して、音出しをしようとしたところ、弓が痛んでしまっていて、至急交換する必要があることが判明した。皆それぞれ週日は学校や仕事があるし、家にはいないので、ついつい昔の様に皆の弓を携え、町中のアトリエを何年かぶりに訪れた。


バッタ達が毎日バイオリンを弾いていた時は、毎週とまではいかないが、月に何回かは弦を買いに、或いは教本を、時にはバイオリンのサイズの交換、新たにフルサイズを購入するために、扉をたたいたものだった。


ドイツ人のカタリナがすぐに「まあ、お久しぶりですね!お元気でしたか。」と嬉しそうに対応してくれた。


三日で三本の弓を張り替えてもらい、コンサートの時にはよく持って行って生徒達に人気だったバナナシフォンケーキを焼き、末娘バッタの運転で皆で出掛けて行った。「ママは行かないの?」と声を掛けられたが、バッタ達が弾くからどんなコンサートにも出掛けて行ったが、今更幼い子供たちのキラキラ星を聴くのもね、と遠慮し、トンカと留守番をすることにしていた。


その夜、バッタ達が嬉しそうにコンサートの様子を話していて、そのうちに昔の思い出話で盛り上がり、バイオリンの師の一番のお気に入りは昔も今も長女バッタだとか、やっぱり未だ3歳にもなっていない時から教えている末娘バッタだとか、なんだかんだ言っても息子バッタだとか、言い始めた。


バイオリンの師は、どの生徒とも特別な関係を持っていて、どの生徒にとっても特別な存在で、同時にどの生徒も師の特別な存在なのよね。


そう長女バッタが呟くと、それまで騒々しかったのが嘘のように静まり返り、皆それぞれの思いに浸り始めた。長女バッタよ、さすが良く分かっているじゃないか。そして、そんな関係を築けているバイオリンの師に、改めて感謝と尊敬の念を強く抱く。



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2022年12月23日金曜日

爽やかなローズマリーとタイムの香るケークサレ

 






日本の大学院の博士課程が一体どういう制度なのか全く分かってはいないが、フランスの場合は博士課程に進学するとなると、所属の大学や研究機関、或いはスポンサー企業などと雇用契約を締結することになる。従い、最低賃金は保障され、社会人として納税の義務も発生する。逆に、どんなに優秀な学生であっても、教育機関で予算が取れなかったり、スポンサー企業が見つからなかった場合、博士課程への進学は諦めねばならないことになる。


さすがデカルトの国、合理的だと感心してしまう。博士課程の二年目になる長女バッタも、この秋から進学した息子バッタも、それぞれ毎月給与を得ている。長女バッタは国立の研究機関、息子バッタは大学の研究室所属なので、給与額は最低賃金に毛が生えた程度だが、産学連携となりスポンサー企業との契約にもなれば、かなりの給与額になるらしい。楽しそうに学友たちの高給について話しをしてくれる息子バッタの様子を見て、本人がハッピーであれば良しと最終的には落ち着くものの、親としては若干複雑な思いに駆られてしまう。


お金で幸せは買えないが、されど、といったところか。ビジネスで金儲けとは対極の人生を送ったご先祖様に思いを馳せ、我が身を振り返り、変なところで似てしまうのかしらと苦笑を禁じ得ない。


博士課程の履修者は学生なのか社会人なのか明確ではないが、バカンスに関しては社会人の枠組みに入れられるようである。それでも大学は年末のバカンスに突入ということで、息子バッタから我が家に戻ってテレワークをするので、遅くなるが夜には帰ってくるとの連絡を受けた。


OK!トンカが喜ぶわ!


翌日のランチに、二年前に長女バッタが植えて、今では我が家の庭の片隅で元気に育っているハーブをたっぷり使ったケークサレを焼こうか。

手に取っただけで爽やかな香りが鼻をくすぐる、小さくて細かい葉のタイム。夏の森林を凝縮したような濃い香りのする、深緑の硬く尖っていて細長い葉を持つローズマリー。


この二つのハーブを主賓とし、食感と味わいを引き立てるようにグリュイエール、コンテ、エメンタルをたっぷりと使い、色彩のポイントとしてポワロ―の緑の部分を細く刻み、カイエンヌ、パプリカ、コリアンダー、クローブを隠し味とする。


オーブンに入れて小半時間もすると、キッチンが幸せな香りで満ちてきて、まるで明るい太陽の陽射しが降り注いでいるよう。さあ、お昼よ!


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2022年12月15日木曜日

手袋を買いに

 




雨は苦手なトンカも、不思議なことに雪には大はしゃぎ。薄化粧をした地面に鼻を擦り付けたり、凍った氷を齧ったり、真っ白になった草原を駆け回ったりしている。バッタ達も幼い時はそうだったし、大人になった今でも雪と聞けば大はしゃぎをする。雪には人の魂を突き動かす何かがあるのだろう。


息をする度に鼻の先が凍り付いてしまいそうな凍てつく朝、手袋をした指先と防寒靴の足の指が徐々に冷たくなっていく感覚を味わいながら、いつも通りに、いや、いつも以上に足取り軽くスキップをしている様なリズムで前を歩くトンカを眺める。


寒さで心なしか色が濃くなったキャラメル色の艶やかな毛並みとスレンダーな体躯に無駄なくぴっちりとついている筋肉は、狐の子と見紛うよう。これで尻尾がふっさりと見事であれば、後姿は狐として十分通ろうか。


そんな思いに捕らわれていたからだろうか、息子バッタが小学生の頃に冬休みの宿題で「手袋を買いに」という作品の感想文を書いたことを思い出していた。ひょっとしたら宿題ではなく、授業中に彼が書いたものだったのかもしれない。その辺の記憶は曖昧ながらも、今でも鮮明に覚えている一文がある。


「きつねは手袋をしません。だから、きつねの子がてぶくろを買いに行くこともありません。」


我が目を疑ってしまった。先生を困らせようとか、何か特別なことを書いて驚かせようとか、そんなてらいもなく、愚直なまでの子供ならではの感想。いや、いや、いや。


一体なんだって想像力の欠如としか思えない、いわゆる子供らしさを持たない感想なのだろうか。呆れてしまった。想像の世界で遊ぶことが大好きだった自分自身を振り返り、我が子のあまりに現実主義さぶりに声も出なかった。


長女バッタは毎晩魔女の学校に通っていると吹聴し、末娘バッタをうらやましがらせていたし、末娘バッタもどちらかと言えば想像の世界に遊ぶタイプ。同じ環境で育っていながら、子供とはこうも違って成長するものなのかと、本当に驚いてしまった。


そんな彼も、ハリーポッターは好きだし、SF小説も好きなのだから、学校と言う場所で、想像力を豊かに引き伸ばす情操教育なんて堅苦しいことが嫌だったのかしら、と思うしかあるまい。


諸先生方も恐らく色々とご苦労なさっているのだろう。息子バッタの非常に現実的な感想に対して、担任の先生がどのようなコメントを書いたのか、ちっとも覚えていない。ひょっとしたら、コメントなしだったのかもしれない。


「確かに現実の世界では、狐が手袋を買いにくることは決してありませんよね。でも、そんな世界があると想像してみてください。ちょっと楽しくなってきませんか。狐のお母さんも、人間のお母さんのように、狐の子の手が寒くてかじかんでしまうとかわいそうだからと心配をして、手袋を買ってあげようとしたのでしょうね。狐の子の手を自分の手で包んで、はーっと息をかけて温めてあげたこともあるのでしょうね。○○君のお母さんも、○○君の手をそんな風に温めたことがあるのではないでしょうか。」


なんて、私なら書くかしら、ね。今度息子バッタが家に帰ってきたら、この話をしてみよう。今の彼なら、どんな感想文を書くだろうか。


さあ、トンちゃん、そろそろお家に帰ろうか。お手てがかじかんでしまう前に、ね。



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2022年11月13日日曜日

判断ミス

 






霧深い朝、トンカのピンと元気に立っている尻尾に神経を集中させて歩道を歩き、野原の手前で養蜂家のおじさんとボーダーコリーのマロに会う。早速トンカとマロは鼻をくっつけて挨拶をし、仲睦まじく尻尾を振り合った。


最近、生意気盛りのトンカに手を焼いていたので、ゴミが落ちてそうな体育館の入り口やゴミ箱付近ではリードを外さないことにしていたが、マロと一緒なら大丈夫だろう、そう判断し、リードを外す。


と、トンカはぱっと身を翻し、逆方向に走り去ってしまった。


トンカぁ!


霧の中に私の声だけが吸い込まれ、消えていった。


驚いた様子の養蜂家のおじさんとマロに挨拶さえもせず、トンカの後を追いかける。怒りで胸がいっぱいになると同時に、どこかに行ってしまったのだろうか、ちゃんと見つけられるだろうかと、心配で心が震える。


子供達の水飲み場の脇を走り、奥まった建物の陰に足を向ける。以前、夕方の暗闇の中、そこでひっそりと息をひそめて立ち尽くしていたトンカを見つけたことがあった。霧が晴れ上がってきたのか、その建物の容貌が浮かび上がって来た。


扉が取り外されていて、その奥に剥き出しになったトルコ式トイレが隠れ見え、そこにトンカが立ち尽くしていた。水飲み場と思っていたそれは手洗い場で、建物自体は公衆便所であることが漸く分かってきた。


ああ、とんちゃん。


罪のない真ん丸の瞳を大きくさせ、じっとこちらを見つめているトンカ。トンカには、どこかに逃げようとか、隠れてしまおうとか、そんな感情が一切ないことが瞬時に分かり、大いに安堵した。それでも怒りは収まらない。


リードをつけ、有無を言わせず家に帰る。脱力感に襲われ、しばらくはベッドの上に身を投げ出し、呆然としていた。


時間がたち、冷静さを取り戻してくると、明らかに私の判断ミスであったことが思われた。


とにかく好奇心旺盛で、何かを疑うことを知らないので、気になるものは全て口にする。鼻が利き、遠くの匂いであっても敏感に察知し、確認したがる。私のそばを離れても、また戻ってくる自信があるので、平気で遠くに行ってしまう。そして、私がいつも待っていてくれると勝手に信じている。


それがトンカなのである。


理性的に行動せよ、など思うこと自体が間違っていて、そのように行動させ、成功体験を重ねさせることが重要であり、そうさせることが私の務めではないか。


とんちゃん、ごめんね。よっしゃ、相棒よ。霧もすっかり晴れ上がって来たよ。森に遊びに行こうじゃないか。さあ、いざ行かん。



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2022年9月28日水曜日

郷に入っても郷に従わず

 





知り合い数人と食堂でランチをしていた時のこと。一人の男性がポピーシードのバゲットのサンドイッチを、トレイなしで頬張っていたので、テーブルにパン屑とポピーシードが散乱してしまっていた。すると、男性の目の前にいた女性が、ナプキンでささっとテーブルを一払いして、パン屑とポピーシードを床にばらまいてしまった。


開いた口がふさがらない。


せっかくナプキンがあったのなら、テーブルを綺麗にしようとの気持ちがあったのなら、どうして、ナプキンでパン屑を集めてトレイやお皿に載せて、後で捨てようとしなかったか。


早朝の散歩の時に、その光景が蘇る。朝6時半。通りは人影もないのに、学校の体育館からは煌々とした光が漏れていて、誰かが掃除をしている様子が窺える。三階建ての小学校の建物も、誰かが掃除をしているのか、一つの教室に明かりがついている。


ビストロやレストラン、カフェでも、早朝の掃除はフランスでは良くみかける光景ながら、そうか、と合点がいってしまった。


日本では小学校の頃から皆で毎日掃除する清掃の時間があり、その時には児童も教師も、時には校長も、皆で自分たちの教室、トイレ、校庭、体育館など校舎を掃除する。掃除をすることが当たり前だと、誰しもが思っている。


ところが、ところ変われば、それは常識でもなんでもない。学校の校門近くにゴミが散乱しているのも、掃除業者の仕事と割り切っている節がある。共働きの家庭や、高収入の家庭では、掃除をしてくれるメイドさんを雇っているところが多い。そんな環境で育った子供たちは、自分で自分の部屋やトイレを掃除するという習慣が全くなく、誰かがやってくれるものだと思ってしまう。


そんなメイドさんがいない家庭であっても、一旦家から外に出れば、誰かが掃除をしてくれるものだと思ってしまう。恐らく。環境がそうさせるのであろう。


ああ、フランスの学校に全員で掃除をする一斉清掃の習慣を導入出来たら、社会はどんなに変わるだろうか。私が校長であれば、そうするのに。まあ、一部の親から、我が子に掃除をさせるなんて、と突き上げをくらってしまうのが落ちか。


郷に入っては郷に従え、とはいうものの、こればかりは受け入れられない精神。今日も通りに落ちているゴミをそっと拾い、近くのゴミ箱に入れる。


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2022年9月11日日曜日

早朝の品評会

 





明け方に雨が降ったのだろうか。土は湿っていて、草木には水滴がついている。見上げれば青空が広がっていて、久々の良い天気になる予兆と思われた。早く行こうよ、とトンカに催促されて、恐らく未だベッドで寝ている人々の割合が多い時間に散歩に出る。


急にということでもないのだろうが、通りに出たところで周囲に靄が立ち込め始め、これでは森は一寸先も見えないという状態ではあるまいかと危ぶまれた。それでも、トンカは立ち止まるどころが、喜んで先を急ぐ。


霧で道に迷う程の森でもないし、そのうち晴れ上がるだろうと、トンカの後を追って森の中に歩みを入れる。そこは幻想的な世界が広がっていて、少し前まで猛暑で雨もない日々が続いていたお陰で、乾燥して干上がっていた森が久々にしっとりとしている。


森を抜けて草原に出ると、靄はすっかり晴れ上がっていたが、辺り一面が白くベールで覆われていて、朝日を浴びてきらめいていた。トンカが面白がって、鼻を突っ込み舐めては、顔をしかめている。


ちょっと待てよ。これは品評会ではないか。これ程の数の芸術家が、昨晩ひっそりと作品を仕上げたのか。草木の形態や、本人の技量によって、それぞれ個性的な作品に仕上がっている。細やかな水滴が、これまた驚くほど美しい効果を添えている。


そんな彼らの渾身の作を、そう容易くは撮らせないぞ、とばかりに、どんな角度で試してみても、焦点は合わないし、水滴の煌めきが映らない。招待状もないのに、突然お邪魔してしまった品評会。これから秋が深まるにつれ、いくつもの思わぬ品評会に出くわすのだろう。森の散策が一層楽しみになる。







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2022年9月10日土曜日

我が家は豊作、か

 





かつてない猛暑続きで、深刻な水不足の地域もあったフランスで、今、恵みの雨が降っている。この程度で問題が解決するのか、既にされたのか、農作物の収穫への影響は緩和されるのか、既にされたのか、詳しいことは分からない。


分かっていることは、末娘バッタが友達と作ってくれた我が家の家庭菜園は、毎日の水やりは必要がなくなっていて、毎日隠元が一つかみ以上収穫出来ているということ。クエッチの当たり年ではなかったが、ところどころで、ふっくらとした濃紫の実が細い枝に塊のようにくっついているということ。そして、まだまだ小さい木ながら、真っ赤な林檎が既に20個は収穫できたということ。


林檎は小さめの青い実の時から、トンカが随分と勝手に失敬して食べていたので、30個はなったのもしれない。いやいや、風で飛ばされて落ちている実も含めると40個以上かもしれない。


ミラベルが今年はどんな運命であったのかは、残念ながら不明である。トンカの面倒を見ることだけでも大変なのに、植木鉢も含めた家庭菜園に水やりをする必要があった息子バッタに、ミラベルの実の状況を確認してもらうことは酷であろうと、特にお願いをしていなかった。小さい頃はあんなに喜んでクエッチもミラベルもレインクロードも、そう、さくらんぼも!大騒ぎをして採っていたのに、大人になるとどうしてこうも無関心になるのか不思議である。


皆と楽しく収穫する行為が楽しいのであって、一人で食べるための収穫となると、労働としての意味合いが出てしまい、二の足を踏むのだろうか。


大人になるということは、厄介なことである。知り合いの息子君も、小さい時は我が家に来て、楽しそうに庭で遊んだり、おやつを食べていったりしたものだった。ところが最近はトンカと散歩中に出会っても、気が付かないのか、気が付いたからなのか、空を仰いで走り去ってしまう。


高校生の頃の息子バッタのことを思えば、さもありなん。人様のお子さんのことを言えたものではない。


かくいう我が家の息子バッタ君は、大学が始まると仲間たちとの共同生活が再開となったので、ちっとも我が家に帰ってこなくなってしまった。末娘バッタも、彼女が友達と汗を流して作った菜園の収穫した隠元を未だ味わっていない。長女バッタが日曜日のランチに顔を出すと言っているが、どうなることか。


それでいいのであろう。我が家のバッタ達は、豊作揃いということにしよう。皆それぞれの場所で大いに羽ばたくがよい。尾羽打ち枯らした時には、家に戻っておいで。いつでもトンカと待っているからね。



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2022年7月9日土曜日

我が家の教育方針

 





トンカは果物に目がない。我が家の庭のさくらんぼに味をしめたからだろうか。誰かが蜜柑の皮を剥いた途端に、さっと忍び寄ってくる。たとえ今まで寝込んでいたとしてもである。この間もグレープフルーツでタブレを作ろうとして、皮をすっと切った途端に腕の中にトンカの鼻面があってびっくりした。柑橘類の爽やかな香りが好きなのだろうか。レモンも然り。


苺、スイカ、フランボワーズ。嬉しそうに食べる。


森を散策している時も、木苺の群生にぶつかると暫くはそこから離れられない。


ドッグフードも、一日三回、ぺろりとあっという間に平らげてしまう。量的には、表示されている量に対してちょいと多めにしている。


それなのに、時々散歩の途中で会う人々から、痩せ過ぎ、がりがり、あばら骨が見えているから問題、と厳しい指摘を受ける。獣医に見せた方がいいとかアドバイスを受ける。こんなに嬉しそうに、カンガルーのように跳びはね、兎の様に駆け回り、チーターのように疾走するのに?こんなに幸せそうな笑顔を振りまいているのに?


トンカは新陳代謝に優れている。今食べた物を即座にエネルギーに変え、見事な瞬発力を発揮する。美しく見惚れる程筋肉がしゅっとついているし、そうでもなければ、あれだけの垂直跳びは出来まい。


大丈夫。そう自分に言い聞かせる。子育ての時もそうだが、周囲の声や溢れんばかりの情報はありがたい一方で、時々どれが最善なのか、自分がしていることが果たして良いのか、と不安になる時がある。トンカの嬉しそうな顔を愛でながら、取り敢えずは今のスタイルで問題ないと確認する。何かあれば、その時にしっかりと軌道修正すれば良い。


庭のレインクロードの実がテニスボールぐらいに大きくなってきている。そろそろ食べごろ。高い梢に鈴なりになっている実は鳥たちに献上するので、屋根から採れる実はそっとしておいて欲しいなと、願うこの頃。ぽっとりと落ちてきて、全てトンカの小さなお腹に入る前に、収穫しよう。



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2022年6月8日水曜日

お好み焼きの夕べ

 







ママ、あのね。


トンカを一日面倒を見てくれた末娘バッタが、夕食に彼女の大好きなトロロ芋を摺りながら、とつとつと話を始めた。


冷蔵庫には鶏のモモ肉、ダチョウの胸肉、前日の海老とキノコのリゾットが眠っていたが、お好み焼きが食べたいと言うリクエストに応え、もう暫くは眠ってもらうことにする。キャベツの千切りをし、意外に美味しい繋ぎとなるズッキーニを削る。卵は一つでいいかしら。


キッチンの小さな空間を一緒に肩を並べて、いや、彼女の方が頭一つ以上大きいのだが、Yuvuzela亭のアレンジで特別に美味しくなれとお好み焼きの準備を一緒にしながら、彼女の話を聞いた。


恐らくパパとママとでバカンスの期間を分けていたことに由来するのだろうか。ぎりぎりまで日本に行っていて、帰って来たその足でパパとブルターニュに行くこともあった。むしろ、それが当たり前の様に、ブルターニュから帰って来た翌朝にはイギリスに出発していたり、とにかく時間の有効利用と言えば言葉はよいが、ぱつんぱつんのスケジュールで走って来た。


だからか、末娘バッタはいつだって幾つもの予定を同時に抱えている。子供の頃も友達の誕生パーティーの梯子を提案したのも確か彼女だった。今はパーティーの梯子など、当然のことのようにしているのだろう。分刻みの生活。この間の私とのブルターニュ行きも、帰って来たその夜にはノルマンディーの友人とのキャンプに出掛けていた。そして戻ったかと思ったら、今度はトライアスロン大会にと出掛けて行き、そのまま新学期を迎えていた。


大学生活も、同時に別の大学で単位を取得し、ディプロムを獲得するように頑張ったり、そうかと思うと中学生に日本語を教えてみたり、自治会選挙に出たり、スポーツイベント企画をしたりと、いつ自分の机でしっかりと勉強をする時間があるのか、正直謎だった。


人間は平等に一日24時間しか与えられていない。


ふと、我が身を振り返り、似ているな、と苦笑してしまう。そんな生活が続くわけがなく、どこかで破綻してしまう。しかし、誰かに指摘されても、むしろ反発するだけで自覚しないことには改善できないので、質が悪い。


トンカと一日を過ごして、少しは落ち着いて考えることができたのだろうか。これまでのぱつんぱつんの夢計画の一つを少し考えなおしたい、と告げられた。そう焦らずとも、後二年後にチャレンジしても良いのかと思った、と。


親が自分の夢を子に託しているのではないか、そんな過ちを犯してはいないか、と自戒していたが、彼女は自分で考え、自分の言葉で、自分の夢として語ってくれていることに、心から嬉しく思う。


そうだよね、ママも賛成よ。


肩の荷が下りたのか、すっきりとした笑顔が戻って来た。そして、どんどんと強いエネルギーがあふれんばかりの笑顔にと広がっていく。その夜のお好み焼きが格別に美味しかったことは言うまでもない。



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2022年4月2日土曜日

全面降伏

 





我が家のサロンから物が消えていく。先ずはペルシャ絨毯と部屋が大きくなる魔法のモロッコ絨毯。その代わりにIKEA絨毯となったが、二枚のうち一枚小さめの方は既に丸めて玄関ホールに退避させている。末娘バッタが作った黄金色のクッションも玄関ホールにて避難チームの仲間入り。そこに昨日は赤いハートの形のクッションが付け加えられた。


どんなにダメだと言ってもちっとも聞いてくれない。パイナップルの尖った葉先はトンカの歯型がくっきりと全てについている。それだけならまだしも、アボカドの植木の被害といったら!最初は表面の土が時々無くなる程度だったが、そのうちに葉っぱが下の方から順々に無くなっていき、土が掘り起こされるようになってきた。


NON !と言って止めるとトンカの好物の煮干しをあげてきていた。どうやら、その効果はちっとも認められない。NON !と言う度に戸惑った顔で近づいてくる。おりこうさん、そう、やめてね、と言うと不思議そうな顔をするだけで、また同じことを繰り返す。


何度土を植木鉢に戻し、雑巾で床を拭き掃除したか。何度掃除機で散らばった土や埃を吸い込んだか。植木鉢の場所も私の目が届くところに変えてみた。何度か外に連れ出して閉め出してみた。一度はキッチンに閉じ込めたつもりだったのに、鳴き声が聞こえないので不審に思ってドアを開けてみたところ、なんと玄関ホールに繋がるドアが開いていて、ちゃっかり玄関で靴を噛んで遊んでいたこともあった。


もう、これは仕方がない。声を張り上げちゃダメだとか、怒鳴ってはいけないとか、専門書や専門家の動画では言っているが、こちらの精神がだめになってしまう。ああ、我が家に来たことも運命と思って受け止めてくれよ、トン坊。心を無にし、黙々と掃除をしてきたが、トンカが目の前で植木鉢に鼻を突っ込むどころか、手まで入れてほじくり返した時に、堪忍袋の緒が切れた。


今回はドアがきっちり閉まっていることを確認した上で、トンカをキッチンに閉め出す。そして、天井まで届く程育っているアボカドの植木を玄関ホールを伝って別の部屋に移動。トンカがぶんぶんと齧っているクッションを幾つか避難所に避難。キューンキュン泣いているのも無視し、床の雑巾がけをする。空気を入れ替え、さっぱりとしたところで、トン坊を迎え入れる。笑顔なんて勿論見せない。


一瞬にして何かが違うと察知した様子。大好きなクッションもなく、いたずらできる植木鉢もなくなってしまった。呆然と立ちすくむトン坊。こちらは、一切反応を無視して仕事に没頭していた。ちらりと横目で確認すると、仕方なくお気に入りのマットに座り込み寝入ることにしたらしい。が、むくっと立ち上がる、静々と近寄ってきて、何と顎を膝に乗せてきた。これにはさすがに参ってしまった。その日はいたずらばかりで一切甘えてこなかったのだから。


分かっていないようで、実際はちゃんと色んな事が分かっているじゃないか。大丈夫だよ。もう怒っていないよ。そう言ってトンカを膝に乗せてあげると、安心したのか指をぺろぺろと舐めて、ぐっすりと寝入ってしまった。嗚呼、参りました。全面降伏いたします。



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2021年10月26日火曜日

どっちもどっちか

 





「おや、君のお友達が来ているよ。」


「えっ?どこどこ?ぎゃぁ!」


「こんな小ちゃな蜘蛛ごときで、ガタガタ言わないの。」


どうしようかと迷うが、取り敢えず足元にあった運動靴で、玄関脇の箒の上にひっそりと固まっている物体をパンと叩く。すると細い足がくるくると体に巻き付いて、丸く縮まってしまった。ポケットにあったティッシュで採ろうとしたところ、箒の上でもあるし、外に放り出してしまうと言うので、そうかと任せて身を引く。


「あっ!未だ生きていた!」

慌てて運動靴で新たに潰そうとするところを押しとどめ、ティッシュで取ろうと身を屈めたが、

「僕がやるよ。」

と言うので、まあいいか、と改めて身を引いてしまう。縮まっているのだから、ひょいとつまんでしまえばいいのにな、と思いながら。


バシン!


運動靴でばっちりと潰す、すごい音がする。そして、玄関のドアを開けて外に放り出していた。


「どうして息の根を止めようとする僕を押し留めようとしたの?」

そう聞かれて、かなり驚いてしまった。


バッタ達の友達。宗教観も倫理観も全く異なる彼に、どう説明しようか。いや、説明が必要だなんて思ってもみなかった。


彼にしてみたら、運動靴で叩いたのだから、生き物の殺生に抵抗があるわけがないと思うのは当たり前だし、未だ動いていたら、とどめを刺すのも自然な行為だと思っているのだろう。


いや、それが全く違うのよね。

これは言い訳なのだろうか。

パンと叩くことで、蜘蛛は縮こまってしまう。そこをつまんで外に出す。それだけのことと、腹から液体が出る程徹底的に潰してしまうことでは、何かが違う。


今朝、玄関に置いてある箒には、前日潰した蜘蛛の液体が付着していた。


どっちもどっち、となってしまうのだろうか。


このタイトル「同じ穴の狢か」にしようか迷ったが、内容の割にはさすがにインパクトあり過ぎるかと、ひらがなの柔らかいイメージに変更した。こういったニュアンスの違いが、きっと彼には分からないのだろうな、と思う。これが我が子であれば、真剣に説明するところだが、さて、どうしたものかな。



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2021年10月22日金曜日

親バカ万歳!

 





「ちょっと今回は厳しかったかもしれない。多分、駄目だったわ。」

そう書き送ると、すぐに電話が掛かって来た。


「うん。相手はプロで、かなり厳しい質問があって、論理的に説明できなかったわ。ちゃんと優先順位を考えて時間をとって準備すれば良かったと反省しているよ。」


「え?準備しなかったの?」


「うん。ぎりぎりまで仕事していたの。きっぱりと半日休めばよかったと思っている。昨夜は疲れて頭痛がひどくて準備どころではなかったの。」


「じゃあ、何も答えられなかったの?」


「そんなことはないよ。取り敢えず、一つ一つに答えていったけど、理路整然としていなくて、行き当たりばったりの回答になってしまったの。中期的、長期的に分けたり、ポイントを幾つか挙げたりとするべきところ、全くできなかったわ。自分で自分のパフォーマンスの程度の悪さにがっかりしているの。」


「きっと、ママが思っている程じゃないよ。ママは自分の要求度が高いから駄目だと思っているけど、意外に大丈夫だったのかもしれないよ。」


え?


自分に徹底的に厳しく、完璧じゃないからと人前で演奏をしなくなった息子バッタ。試験の具合について、いつだって悲観的で、時に悲壮な彼。小学生の時に、サッカーの試合で仲間から、もうちょっと笑えよ、と揶揄われる程真剣な眼差しで、一瞬一瞬を挑んでいた、その彼が、ママを慰め、そして励ましてくれている。


なんて成長したんだろう。どんどん、親を超えて、大きく大きく力強く羽ばたいていっている。


我が身の成長はまだまだで、いたらないところだらけだけど、息子バッタの輝かしい成長に、手放しで嬉しい。


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2021年9月25日土曜日

かっきりとした目覚め

 





今朝目を覚まして窓の外を見ると、霧の中。裸眼で見ているから視界がぼやけているのだろうか。


小学生の頃に読んだ本を思い出す。あれは図書館で借りたのか。しかし、図書館なんてあったのだろうか。中学時代の図書館は思い出せるが、小学校に図書館があったのか記憶が定かではない。クラスの後ろに数冊本が立てかけてあって、いつでも好きに読めたように覚えている。学級文庫、というものか。


なんだか記憶まで霧の中に入ってしまった気がする。


今では毎日の日課となっている植木鉢のマンゴと杏、水栽培のサツマイモ、そしてアボカドの種を庭に出してやる。朝日を体いっぱいにあびると活力が体中に漲るように、きっと彼ら植物にとっても最高のエネルギー源になるだろうと慮ってのことだが、実際のところどうだろう。


朝日にはぎらぎらとする日中の太陽や、やわらかな夕陽とは違った、神聖で生の根源を思わせる何かがある気がする。バッタ達には物好きだと笑われようと、友人たちには変わっているねと言われようと、皆がのんびりとするバカンスや週末であっても、どうしても朝日を拝みたくなってしまうのは日本人としての習性なのだろうか。


日本の戦後の教育はGHQによりゆがめられたものだと最近知るに至ったが、それでも小学一年生の時の国語の教科書は今でも暗誦できる程好きだった。小学生という響きが好きで、一年生という自分が誇らしかったのだと思う。毎日、国語の教科書を大きな声で読んだものだった。その嬉しさは高校までも続き、4月の始業式が毎年待ち遠しくて、新しい教科書は新しい香りがして好きだった。家に帰ると国語の教科書はその日に読んでしまうのも毎年のことだった。中学になると英語の教科書が加わり、毎年4月の始業式には国語と英語の教科書を読んだことを覚えている。


小学一年生の国語の教科書。


あさ あさ あかるいあさ

うみが ひかる

かわが ひかる

やねが ひかる


おはよう おはよう

さあ いこう

みんななかよし さあ いこう


おはようございます



なんてきらきらと希望に輝くメッセージなんだろう。


そして、中学の頃に山村暮鳥に出会う



一日のはじめに於て


みろ

太陽はいま世界のはてから上るところだ

此の朝霧の街と家家

此の朝あけの鋭い光線

まづ木木の梢のてつぺんからして

新鮮な意識をあたへる

みづみづしい空よ

からすがなき

すすめがなき

ひとびとはかつきりと目ざめ

おきいで

そして言ふ

お早う

お早うと

よろこびと力に満ちてはつきりと

おお此の言葉は生きてゐる!

何という美しいことばであらう

此の言葉の中に人間の純さはいまも残つてゐる

此の言葉より人間の一日ははじまる



なんだか霧の中にいたはずなのに、記憶の糸がするするとかっきりとした目覚めに導いてくれた。気が付くと、外の霧もすっかりと晴れ上がり青空がのぞいている。



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2021年8月9日月曜日

飛び出た椅子

 




食事をした後、おやつを食べた後、おしゃべりをした後。

一つだけ椅子が飛び出ていることが気になっていた。


うるさく言うと嫌がるだろうな、と思いながらも、鉄は熱いうちに打て。未だ熱いかどうかは、怪しいけれど、こうして一緒にいる機会もあと少しだけ。9月になれば、また大学のキャンパスの近くのアパート住まいになる。


案の定、息子バッタは、お皿を片付けるので手がふさがっていた、とか、その時は手が汚れていた、とか、言い訳を幾つか言った。


次の日も、同じ。


かなり、うるさがられた。


だから、状況証拠、ではないが、夜、不本意ながら、一つの椅子だけテーブルから飛び出したまま消灯した。朝も、一つの椅子だけテーブルから飛び出したままにしておく。


今朝、食卓に行ってみると、すべての椅子がテーブルに収まっていた。


皆が朝食を終えた後で、お茶を淹れに食卓に行くと、やはり、すべての椅子が収まっている。


長女バッタが昨夜バカンスから戻って来たから、彼女の仕業なのか。或いは、息子バッタ自身によるものなのか。しばらくは、静かに見守るとしようか。


思わずにんまりとする。



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2021年7月7日水曜日

書く力

 




親が日本人だからと言って、子供たちが日本語の読み書きができるようになるわけではない。特に日常の生活が日本語環境ではない場合、本人の努力が大いに必要となる。モチベーションも持ち続ける必要がある。


バッタ達が幼い時は、日記一つ書くにしても容易ではなかった。赤ペン指導どころか、文章をまるまる親が書くことが多かった。それはそうだろう。日本語で本の読み聞かせを十分していたわけでもなく、ひらがなが書けるようになったからといって、急に文章が書けるようになるわけではない。


親が書いた文章を読み、そして、書く、或いは、親が口頭で伝える文章を聞き取り、書くといった練習を積み重ねることで、いずれは自分で書けるようになるとの信念で、私が文章を書いたり、読み上げたりしたものだった。


感想文も随分と手伝ったものだった。私自身が書くことが好きなことから、ちょっとやり過ぎてしまった感は否めない。それでも不思議なことで、高校生にもなると一人で小論文を書けるようになったのだから驚いてしまう。


そして今や状況は逆転し、私が公式文書をフランス語で書いた際、バッタ達に添削してもらっている。ところが、驚くほど厳しいのだから、時々閉口してしまう。特に長女バッタ。ちょいちょいちょいと彼女の創造力でママが謂わんとしていることを汲み、書き上げてくれてもいいようなものなのに、「ここには、こういった内容を書くと良い」とか、「この部分は一つにまとめてみたらどうか」など、示唆するに留めてしまう。


ああでもない、こうでもないと文章を書き加えて初めて、訂正してくれる。


しかも、ちゃんと「いつまでに仕上げたい文書か」と、期限を聞いてきて、自分の時間を割くタイミングを決めるのだから、感心してしまう。


それに、毎回、「なかなか分かりやすく良くまとまっていると思うよ」など、先ずは褒めてから、色々訂正箇所を指摘するのだから大したもの。


バッタ達に言わせると、誰かに全文章を書いてもらう事ほど、情けなく、かつ、自分の文章スタイルではないから使いたくないとのこと。幼い時の体験からくる悟りだろうか。


いずれにせよ、頼もしいことこの上ないが、なかなか完成までこぎつけずに、電光石火の如く仕上げたい私にとって、大いにもどかしい。いや、とんでもない。こんなに真剣に私のフランス語の文章を訂正してくれるのだから、心底感謝せねば。さあ、今夜も一つバッタ先生のご指示を仰ぎ、文書作成に取り掛かろうか。



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2021年6月19日土曜日

これからの彼らにエールを!

 




大学の同窓会で知り合った一回りぐらい下の友人から久しぶりに連絡が来る。子供たち3人の教育環境を考え、バッタ達が通った学校に行かせたく、思い切って引っ越しすることにしたとのこと。夫婦で物件探しで一日こちらに来るというので、ランチにご招待。


幼稚園、小学校中学年と、日本では今度6年生ながら、こちらではもう中学(コレ―ジュ)に行く年齢の男の子たち。


真剣な眼差しの友人夫婦の話を聞きながら、我が家も15年前はこうだったのだなと、しみじみ思う。末娘バッタが2歳になる前だったので、早18年になるのか。


長男君のこれからが一番心配な様子。家庭ではテレビも本も漫画もゲームも全て日本語。もちろん、パパとママとの会話も日本語。弟たちとも日本語で遊んでいるとのこと。現地校に通っているが、勉強は全てママが先ずはフランス語で理解し、それを日本語で教えてあげているというから、ちょっと驚いてしまった。


確かに親は子のためなら、どんなことでも惜しみなくしてしまう。時にはし過ぎてしまうこともある。特に最初の子となれば、かなり熱意を込めて育てる。それはとっても良く分かる。分かりすぎるぐらい。


子供の性格というものもあるだろうけど、どうなのだろう。習い事もサッカー、ピアノ、チェス、と楽しそうながら、サッカーはパパと一緒のサッカーチーム。同年代の友達がいないと嘆いているが、そういう環境にしてしまっているのではないかしら。


どこまで言っていいのだろうか。


父親は子供たちとの時間を大切に思って、だからこそ、一緒のサッカーチームで汗を流している。でも、それは子供の自立に繋がってはいないのではないかしら。


母親は子供の学習効率を図って、賢明に日本語でサポートしている。しかし、それではいつまでたっても子供はフランス語で理解し、自分で考えることをしないのではないだろうか。


どうなのだろう。


自分の夢を子供に押し付けていないかどうか。親のエゴで子供を縛っていないかどうか。


厳しい視点で今一度みてみることも必要。


若い夫婦は寄り添いながら、きっとそれができる。二人で話し合いながら、子供たちそれぞれの個性と向かい合い、それぞれにとって一番適した環境を用意してあげるよう努力するだろう。


私たちには、それが出来なかった。夫婦を解消するということは、そういうこと。子供の成長を笑い合って、時には泣きながら一緒に温かく見守る。それができなかった。


後悔しない人生なんて、ない。


さあ、今は希望と期待に膨らみ引っ越してくる若夫婦と3人の子供たちを応援しないと!新たな展開を迎える彼らに、幸多からんことを!



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2021年6月15日火曜日

飛翔

 





バッタ達の学校関係の友人から久しぶりにメールが届く。丁度お嬢さんが高校3年でこの夏で卒業。進学にあたり、末娘バッタと同じ二年後にグランゼコールのコンクールを目指す理数系のプレパ(準備級)を希望しているらしい。アドバイスが欲しいとのこと。


文面の最後に、

「コンクールでの成功をお祈りしています。たゆまぬ努力が報われますように」

と、コンクール期間中の末娘バッタへの温かな応援メッセージがあった。


はた、と思ってしまう。


今回のコンクールは、たとえばピアノのショパンコンクールとは違う種類の物。一体、何をもってコンクールで成功と言えるのか。そもそも、コンクールでの成功って、なんなのか。


二年間の就学中たゆまぬ努力が続けられない時もある。そんな時にどうするかとの問いと常に背中合わせ。


人生、無駄なことなど何一つない。

想像していた結果にならなくとも、行くべくして進む道というのがあり、先々では花も小鳥も皆歓迎して待っているけれど、本人は知る由もなし。


精神的に追い詰められて健康を害する生徒も少なくなく、不眠症に悩まされ、とにかく休みなしのぎゅうぎゅう詰めのスケジュールにあっぷあっぷ。仲間かと思った途端に足をすくわれることもあり、人間不信にも陥る。


一方、周りは腫れものの様に接するから、本当の敵は自分自身であるとのことに気が付かず、世界は自分中心に回っているかのような錯覚をおこし、自己中な態度に家族は振り回されること多し。

全国から我こそはと優秀な生徒たちが集まり、その優秀な生徒でも10人いれば、1番から10番まで成績が付く。教師は問題が解けない生徒を罵倒することもあると聞く。君には無理じゃないか、と。諦めて他の道を選ぶべきじゃないか、と。


プライドなんてかなぐり捨てて、必死でもがく。


飛びぬけて優秀な生徒は一握り。あとはドングリの背比べ状態。それでも順位が付き、気が付くと遅れをとっていたり、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうこともある。


大学に進学した高校時代の友達が、学生としての自由な時間を謳歌している時に、とにかくがむしゃらに勉強をする。それが将来的に糧となり、実力に繋がっていくのだが、辛い時には自分は何をしているのだろうと思いがち。


そうやって、精神的にも学問的にも自己研鑽に努めることになる。


自分のポジションを見極め、受け入れ、それでも自分の可能性を信じ、若干背伸びしながら、コンクールに臨む。


本人ではないと知りえない多くの葛藤を抱えているに違いない。どんな結果となっても、それを受け入れ、そこから自分の可能性を最大限に生かせる道を模索し、そして明るく、元気に、希望を持って、大いに羽ばたいていって欲しい、そう切に願っている。




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2021年5月27日木曜日

プロ根性

 





ガトーブルトンを焼いたことに触発されてか、長女バッタがブルターニュはグロア島の名産、ゴシュテルを焼いた。ゴシュテルとは、いわば大型ブリオッシュで、何がどう特別なのか、初めて口にした時は分からなかったし、実は今でもあまり分かっていない。ただ、グロア島のロックマリア村のパン屋で売っていて、バッタの父親がグロア島に行くたびに、朝食はゴシュテルじゃなくっちゃと毎朝パン屋に買いに行っていた。恐らく、その習慣は今でも続いていて、バッタ達もバカンスでグロア島に行くたびに朝はゴシュテルを食べたのだろう。


ゴシュテルのレシピを調べてみると、どうやら幻のレシピらしい。幻想的に謎に包まれているように書かれているが、なんのことはない、恐らく大したレシピなぞなく、各家庭でそれぞれ、えいやーの感覚で作ってきたのだろう。おふくろの味といったところか。ガトーブルトンのレシピも似たり寄ったり。


どういう基準で長女バッタがレシピを選んだのかは分からないが、エスプリはしっかりと伝わっていて、驚くほどアバウト。生イーストが10~15グラムとあれば、最初は10グラムを計りながらも、ちょこっとつまんで余計に使うことにしている。小麦粉もざっくりと計って、篩うことさえしない。ダマになってもしらないぞ、と脅しても、どこ吹く風。ブルターニュの家庭に篩なんかないだろうし、撹拌機もないだろうからと、フォークでがしゃがしゃとかき混ぜている。OMG!


しっかりと膨らんだし、こんがりと焼けて、先ずは合格かと思いきや、本人は味にご不満。どうやら甘過ぎるらしい。こんな時、製作者が責任をもって完食すべきと思うのだが、そこはプロ根性が未だない。半分以上も大きなブリオッシュのお化けが残ってしまって、数日間キッチンに置きっぱなし。栄養価高い土作りに寄与とも思ったが、流石にそんな勿体ないことはできない。お昼にサンドイッチ代わりに、結局私のお腹に収まってしまった。


プロ根性の問題なのだろうか。この間は、末娘バッタが友達を呼ぶからと張り切ってマカロンを二種作った。ガナッシュがうまくいかなかったと、二倍の量作るし、焼きあがったチョコレート味のマカロンは正直失敗作。その後友達が遊びに来てしまったので、本人は忙しく、ピンク色のバニラ味のマカロンを作っただけで、他は放置。


その後、寮に戻ってしまったから、出来損ないのチョコマカロンを美味しく作れたガナッシュではさみ、結局は出来損ないのマカロンを私が作る羽目になってしまった。冷蔵庫に入れっぱなしになっていた出来損ないのガナッシュは、後日溶かして、パンに塗って食べた。


どうも食べ物は捨てられない。失敗して捨てるぐらいなら、作るな、と厳しく言いたいところだが、じゃあ、と責任とって全部その場で食べられても、あまり良い気はしまい。次回から作らなくなっても、それはそれで困る。成功作であれば、喜んで寮の友達に持っていったり、ご近所さんにお裾分けするだろうから、仕方ないか。


願わくは、そう失敗作を作ってくれるな。


プロ根性とは、時には潔さも求められるのであろう。そう、潔く失敗を受け入れ、破棄。そんな勿体ないことはできまいと、次回からは大いに気を遣って美味しい理想の味に近づくよう努力する。それこそが、プロ根性ではなかろうか。そうか。で、あれば、ここは涙を飲んで、作品の処理を製作者に任せようじゃないか。たとえそれが、破棄することであっても。



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