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2023年2月19日日曜日

漆黒のテーブル










息子バッタが学生仲間5人で始めた共同生活も、この2月で一旦終了を迎える。フランス国内は勿論、スイスや英国など、皆それぞれの研修先に散っていく。パリ近郊に残るのは、息子バッタともう一人の友人のみとなり、今度は二人での共同生活を始めることにすると教えられた。


息子バッタは既に昨年の9月から博士課程に進学していたので、雇用契約保持者ではあるが、最低賃金に毛が生えた程度の収入。一方、友人君は企業研修の身分で、しかも未だ内定という。従い、この二人がアパートを借りるとなるとかなりハードルが高い。アパートを借りる上で、学生の身分の方が有利というから不思議である。


恐らく、学生の場合は保証人の経済力に先ずは着目するのだろう。そして、なけなしながらも本人に収入があるとなると、本人の経済力が審査の対象となるのだろう。


当初の目論見とはやや違ったようだが、それでも漸く二人はパリ近郊の、息子バッタの研究所からそう遠くない場所にアパートを見つけることができた。家具付きと言っていたが、最小限の家具らしく、テーブルや椅子を調達せねばならないらしかった。


それなら、今の家に引っ越しするまで使っていた伸縮式の丸テーブルがあるけど、と伝えると、久しぶりに我が家に寄って、地下室で眠っていたテーブルを吟味し、やや難点はあるものの保存状態も悪くないとして、友人君と相談をし、それを使うことに決まった。


漆黒の丸型テーブルで、伸縮式なので楕円形にすることができ、余裕で6人分の場所がある。モンパルナスのステュディオで、友人達と皆で鍋を囲んだことを思い出した。漆黒のテーブルに、壁一面に同じトーンの漆黒の本棚を並べて、シンプルながらも大いに気に入っていたアパート。


バッタ達のパパとは、別の人生を歩むことになってしまったが、あの頃の彼のことを今でも愛しく思うし、当時の二人での生活を懐かしく思い出す。いや、思い出すことが出来る程、時間が経過したということなのか。幸せな時間を紡いだ、その瞬間、瞬間を静かに見守ってくれた家具を、こうして息子バッタが使うことになるとは思いもよらなかった。


ちょっとセンチになっていたのだろう。バッタ達の父親が別件で連絡をしてきた際に、息子バッタが引っ越すこと、我々が以前使っていて、地下室に眠っていた漆黒のテーブルを彼が使うことを告げた。


漆黒のテーブルなど、もう忘れちゃったかもしれないけれど。そう付け加えたところ、全く覚えていないとの返事が返って来た。彼にしてみたら、音信不通で一切連絡が途絶えている息子バッタの今の状況をとにかく知りたい気持ちが強く、彼の健康状態、研究の進み具合、居住空間、一緒に共同生活する仲間のことなど、別のことの方が気になるようだった。


そうか。覚えていないのか。一瞬、哀しみが走った。


彼は一切合切の過去を捨てて、出て行ったのだから当たり前だろう。いや、一切合切の過去を残して、出て行ったのか。そして、私はその過去に、まだ囚われているのか。いや、待てよ。過去に捕らわれない人間など、いるのだろうか。過去があって、今があるのだから。


こんな時にはケーキを焼くに限る。ちょうど、血がしたたるようなオレンジサンギンヌがある。このオレンジで、ふんわりと軽いケーキを焼こう。甘い香りがキッチンに溢れてくる頃には、気持ちは既に南仏の燦々たる太陽と、爽やかな青空の下で遊んでいる。

 


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2022年12月23日金曜日

爽やかなローズマリーとタイムの香るケークサレ

 






日本の大学院の博士課程が一体どういう制度なのか全く分かってはいないが、フランスの場合は博士課程に進学するとなると、所属の大学や研究機関、或いはスポンサー企業などと雇用契約を締結することになる。従い、最低賃金は保障され、社会人として納税の義務も発生する。逆に、どんなに優秀な学生であっても、教育機関で予算が取れなかったり、スポンサー企業が見つからなかった場合、博士課程への進学は諦めねばならないことになる。


さすがデカルトの国、合理的だと感心してしまう。博士課程の二年目になる長女バッタも、この秋から進学した息子バッタも、それぞれ毎月給与を得ている。長女バッタは国立の研究機関、息子バッタは大学の研究室所属なので、給与額は最低賃金に毛が生えた程度だが、産学連携となりスポンサー企業との契約にもなれば、かなりの給与額になるらしい。楽しそうに学友たちの高給について話しをしてくれる息子バッタの様子を見て、本人がハッピーであれば良しと最終的には落ち着くものの、親としては若干複雑な思いに駆られてしまう。


お金で幸せは買えないが、されど、といったところか。ビジネスで金儲けとは対極の人生を送ったご先祖様に思いを馳せ、我が身を振り返り、変なところで似てしまうのかしらと苦笑を禁じ得ない。


博士課程の履修者は学生なのか社会人なのか明確ではないが、バカンスに関しては社会人の枠組みに入れられるようである。それでも大学は年末のバカンスに突入ということで、息子バッタから我が家に戻ってテレワークをするので、遅くなるが夜には帰ってくるとの連絡を受けた。


OK!トンカが喜ぶわ!


翌日のランチに、二年前に長女バッタが植えて、今では我が家の庭の片隅で元気に育っているハーブをたっぷり使ったケークサレを焼こうか。

手に取っただけで爽やかな香りが鼻をくすぐる、小さくて細かい葉のタイム。夏の森林を凝縮したような濃い香りのする、深緑の硬く尖っていて細長い葉を持つローズマリー。


この二つのハーブを主賓とし、食感と味わいを引き立てるようにグリュイエール、コンテ、エメンタルをたっぷりと使い、色彩のポイントとしてポワロ―の緑の部分を細く刻み、カイエンヌ、パプリカ、コリアンダー、クローブを隠し味とする。


オーブンに入れて小半時間もすると、キッチンが幸せな香りで満ちてきて、まるで明るい太陽の陽射しが降り注いでいるよう。さあ、お昼よ!


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2022年12月15日木曜日

手袋を買いに

 




雨は苦手なトンカも、不思議なことに雪には大はしゃぎ。薄化粧をした地面に鼻を擦り付けたり、凍った氷を齧ったり、真っ白になった草原を駆け回ったりしている。バッタ達も幼い時はそうだったし、大人になった今でも雪と聞けば大はしゃぎをする。雪には人の魂を突き動かす何かがあるのだろう。


息をする度に鼻の先が凍り付いてしまいそうな凍てつく朝、手袋をした指先と防寒靴の足の指が徐々に冷たくなっていく感覚を味わいながら、いつも通りに、いや、いつも以上に足取り軽くスキップをしている様なリズムで前を歩くトンカを眺める。


寒さで心なしか色が濃くなったキャラメル色の艶やかな毛並みとスレンダーな体躯に無駄なくぴっちりとついている筋肉は、狐の子と見紛うよう。これで尻尾がふっさりと見事であれば、後姿は狐として十分通ろうか。


そんな思いに捕らわれていたからだろうか、息子バッタが小学生の頃に冬休みの宿題で「手袋を買いに」という作品の感想文を書いたことを思い出していた。ひょっとしたら宿題ではなく、授業中に彼が書いたものだったのかもしれない。その辺の記憶は曖昧ながらも、今でも鮮明に覚えている一文がある。


「きつねは手袋をしません。だから、きつねの子がてぶくろを買いに行くこともありません。」


我が目を疑ってしまった。先生を困らせようとか、何か特別なことを書いて驚かせようとか、そんなてらいもなく、愚直なまでの子供ならではの感想。いや、いや、いや。


一体なんだって想像力の欠如としか思えない、いわゆる子供らしさを持たない感想なのだろうか。呆れてしまった。想像の世界で遊ぶことが大好きだった自分自身を振り返り、我が子のあまりに現実主義さぶりに声も出なかった。


長女バッタは毎晩魔女の学校に通っていると吹聴し、末娘バッタをうらやましがらせていたし、末娘バッタもどちらかと言えば想像の世界に遊ぶタイプ。同じ環境で育っていながら、子供とはこうも違って成長するものなのかと、本当に驚いてしまった。


そんな彼も、ハリーポッターは好きだし、SF小説も好きなのだから、学校と言う場所で、想像力を豊かに引き伸ばす情操教育なんて堅苦しいことが嫌だったのかしら、と思うしかあるまい。


諸先生方も恐らく色々とご苦労なさっているのだろう。息子バッタの非常に現実的な感想に対して、担任の先生がどのようなコメントを書いたのか、ちっとも覚えていない。ひょっとしたら、コメントなしだったのかもしれない。


「確かに現実の世界では、狐が手袋を買いにくることは決してありませんよね。でも、そんな世界があると想像してみてください。ちょっと楽しくなってきませんか。狐のお母さんも、人間のお母さんのように、狐の子の手が寒くてかじかんでしまうとかわいそうだからと心配をして、手袋を買ってあげようとしたのでしょうね。狐の子の手を自分の手で包んで、はーっと息をかけて温めてあげたこともあるのでしょうね。○○君のお母さんも、○○君の手をそんな風に温めたことがあるのではないでしょうか。」


なんて、私なら書くかしら、ね。今度息子バッタが家に帰ってきたら、この話をしてみよう。今の彼なら、どんな感想文を書くだろうか。


さあ、トンちゃん、そろそろお家に帰ろうか。お手てがかじかんでしまう前に、ね。



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2022年11月3日木曜日

輝かしい未来

 





トンカとちょっと長めの朝の散歩を終え、ソファーに転がって柔らかな秋の陽射しをのんびりと楽しんでいると、「息子バッタ君、今、見ています」とのメッセージが届く。送り主は、トンカを心から愛してくれる大切な友人の一人だった。


息子バッタは大学のキャンパスの近くで、友人達5人と共同生活をしているので、彼がいつ何をしているのか、これまで以上に全く把握できていない。テニスを始めると言っていたので、テニスの試合があったのだろうか。或いは、サッカーの試合、それともマラソン大会だろうか。


すぐに思い浮かぶのは、どれもスポーツのイベントだった。しかし、どれも当たらなかった。


「進路フォーラムです。息子と一緒に見ています。」と、友人は教えてくれた。


えええ?全然聞いていない。友人の息子君はバッタ達が通った学校の、高校2年生。そうか、進路フォーラムの時期なのね。それにしても、息子バッタが進路フォーラムにスピーカーとして登壇するなんて!その事実に先ず驚いてしまった。


人前でバイオリンを弾きたくないとコンサートへの出場を嫌がり、口頭試問は苦手で、近所で知っている人に会っても、ろくに挨拶もしなかった、そんな彼が、母校の進路フォーラムに卒業生として参加している。


その後本人に連絡をしてみると、体調が悪くて準備もあまり出来ず、発表の時はひどく咳込むこともあり、大したプレゼンにならずに申し訳なく思っていたのに、保護者会からお礼にと商品券が送られてきて、ちょっと戸惑っているとのこと。


時間の許す限り卒業生が母校のイベントに無償で貢献することは当然のことで、現役諸君にとって役に立つのであれば喜んで馳せ参じる、という彼の姿勢を目の当たりにし、心震えてしまった。


数日後、フォーラム担当の方が偶々以前からの知り合いであったことから、当日の動画のリンクが送られてきた。確かに咳込むところがあったが、理数系プレパに進学を考えている生徒達に向けて、真摯なアドバイスがなされていて、とても分かりやすくまとめられていた。プレパがいかに楽しかったか、の箇所には笑ってしまったが、コンクールがいかに苦しく、何千人もの学生の問題を解く音、紙をめくる音にすっかり飲まれてしまったことを、これも正直に話していて、心打たれた。


昨年、末娘バッタの進学で本人以上に本当に何が一番彼女にとって良い道なのだろうかと思い悩んでいた時、息子バッタが、悩み続けること、それが人生ではないか、と言ったことを思い出した。


それでも、選んで前に進んでいく、その繰り返し、それが人生だよね。ママだって、フランスに来なかったら、あの仕事をしていたら、あの時こうしていたら、って悩むことがあるでしょう。それが普通なんだよ。僕も、あの時もう一年プレパをしていたらと思う時があるよ。


その時初めて息子バッタの口から彼の進学について後悔らしき言葉を聞いたが、その言葉は既に苦悩から脱し、達観している者が発する響きとなっていて、目を見張ってしまったことを覚えている。


困難を乗り越え、辛い経験を我が身の血と肉とし、逞しくなってくれている。辛い時期を乗り越えたからこそ見えるものもあり、感じることができるものもある。そして何より、どれだけ彼の言葉で私自身が救われたか!悩むことが当たり前、そうだよね。それでいいんだよね、と。


今日は、そんな彼の23歳の誕生日。おめでとう。君の輝かしい未来に幸多からんことを!



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2022年6月19日日曜日

猛暑に熱々のクミンの香り豊かなブリックを頬張る

 




末娘バッタが週末に帰ってくるなり、ブリックが食べたいとリクエストする。この暑さの中で、ブリック?と思わなくもないが、食事のリクエスト程嬉しいものはなく、いつだって張り切ってしまう。


息子バッタだと、こうはいかない。何故か彼はママに遠慮するのか、ママが作るものなら何でも美味しいという、いわば、どうでもいいよとのメッセージに受け取りかねない姿勢を貫く。それは彼の優しさであって、実は何を作ろうかと既にアイディアがあって、材料も揃っている場合が往々にしてあるので、それであれば料理人の意思を尊重する、というもの。


長女バッタは、やや複雑。時々菜食主義者になってみたり、お腹の調子が悪いからとスキップしたりする。好き嫌いはないし、のんびりマイペースで食べるが、ちゃんと美味しく食べてくれるので問題はないが、料理の相談をするには、なんとなく物足りなさを感じてしまう。


だから、末娘バッタが好き勝手なことを言ってくれると、料理人としては嬉しくてしょうがない。


しかし、猛暑の中、煮えたぎったような熱風が入らないようにと窓を閉め切っているのに、火に油を注ぐかのようにブリックを作るとは。まあ、チュニジアの眩しい太陽の光に思いを馳せ、乾燥した空気と真っ青な空を思い描いて、クミンの香りをたっぷりと効かせて作ろうではないか。


先ずジャガイモを茹で、その間に玉ねぎをみじん切りにする。マッシュポテトを作り、ツナ缶をほぐし入れ、塩コショウ、そしてクミンをたっぷりと入れる。せっかくだからと、マッシュルームのみじん切りもたっぷり入れる。


ブリックの皮に円くおき、真ん中に卵をそっと割り落とす。皮を二つ折りにし、水溶き小麦粉で回りをしめらせ、封をする。うっかりしていたが、我が家にはオリーブのエクストラバージンしか置いていない。勿体ないとの思いが過るが、ままよ。たっぷりと鍋にとり、オイルを熱し、そこにするりとブリックを滑りこませる。じゅわじゅわと心地よい音が聞こえて、暑い中にも香ばしさでキッチンが豊かな楽しさに溢れ始める。


目を丸くして、固唾を飲んで末娘バッタと息子バッタがブリックが揚がる様子を見ている。卵に十分火が通り、それでも半熟の状態が理想。相変わらずの欲張りで、ポテトの量が多かったかもしれないが、なかなかどうして美味しそうじゃないか。


さあ、熱いところを食べてちょうだい。ボナペティ!



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2022年6月16日木曜日

ひっそりと緑の水をたたえる沼

 







先日、トンカを連れて息子バッタと森を散策していた時のこと、「以前ここに小屋があったよね。ボクが子供の頃のことだけど。」と、唐突に言われて面食らってしまった。小屋があった記憶などないし、正直な話、彼が幼い時に一緒に森を散策した記憶がない。近所の公園にバッタ達と連れ立って行くのが精いっぱいで、森にまでは足を延ばしていない筈。幼い時のバッタ達は森の入り口にたどり着いただけで、お散歩終了になってしまっていた。


思い出すのは別の森に自転車で行ったこと。確か末娘バッタは三輪車だったか。だから、自転車組の長女バッタと息子バッタを途中で見失い、にわか雨が降りだし、血相を変えて探し回ったことを覚えている。森での散策なんて、それぐらいだった。そもそも、一番「散歩」なるものを嫌がったのは息子バッタだった。何の目的もなく、ただ歩く、という行為の楽しみが彼には理解できず、瞬間移動に憧れるタイプだった。


いつの頃からか、一人で街を歩いたり、森にランニングに行ったり、友達と山歩きを楽しみ始めたのだから、人間は分からないもの。しかし、記憶にかけては彼の右に出るものはいない。となると、そこに小屋があったのだろうとしか言いようがない。


それより、以前沼があったけど、見当たらないよね。干上がっちゃったのかしらね。


トンカが未だ生まれてもいない随分前のこと、バッタ達がいない週末、一人で森を散策することがあり、その時に沼を見たのだが、このところ色んな道を通っても、ちっとも沼にぶつからなかった。


そう言うと、息子バッタは不思議そうにこちらを向いて、ママ、ほら、ここだよ。と小径を指さしたのだから、本当に驚いてしまった。そして、その小径に入って、息を飲み込んでしまった。密やかに鮮やかな緑の水面がきらめいていたのだから。


実は、それ以降、朝日が差し込む沼の様子を写真に撮りたいと、何度も足を運んだのだが見つからなかった。一体、あの沼はどこにあるのだろう。森はたくさんの小径があるが、何故だろう。トンカと森を散歩しながら、色んな道を試してみるのだが、どうも見つからない。


それが、今回泉なるものを初めて発見し、そのおどろおどろしい薄暗闇の中で水が湧き出る音にびくびくしながら歩いていると、緑の沼がぽっかりと姿を現した。森には精が宿るというけれど、信じたくなってしまう。


そういえば、トンカの父親が森の精だったか。



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2022年5月31日火曜日

時にはのんびり日向ぼっこ

 





息子バッタが遊びに来てくれたので、彼にトンカの散歩をお願いして、買い物に出掛けることにした。私が一緒だと、せっかく息子バッタがトンカと走りだしても、トンカは途中でいつも立ち止まり、後ろを振り返って私がやってくるまで待っている。息子バッタの命令も、私の顔を見て判断しようとする。だから、私抜きで、二人で散歩に行った方が二人にとって楽だろうと思っていた。


何より、トンカは瞬発力に優れていて、猛スピードで走るので、息子バッタと一緒に走ることで、お互いに楽しめるのではないかと思われた。


のんびりとスーパーで買い物をし、BIOの専門店にも顔を出し、新鮮な野菜を入手する。確かに最近、物価が上昇しているし、行きつけのスーパーの問題かもしれないが、箱ティッシュが商品棚に姿を消して随分と経っていた。いつも買うタイ米も、大袋がなくなって暫くするのに、新たな入荷がされていない。


値上がりしているのはガソリンだけではないのだな、とぼんやりと考えながら家に帰ると、家の門の扉が閉まっている。つまり、既に息子バッタとトンカは家に帰って来たということである。一時間も経っていないが、恐らく二人で短距離走でもしたのだろう。疲れて急いで帰って来たのだろうか。


大きく膨らんだ買い物袋を両手に家に入ると、ソファーに息子バッタが寝転がっている。早かったのね、と声を掛け、買い物袋に鼻を突っ込むトンカを制して、片付けを始め、どこの森に行ったのかと聞いてみた。


行かなかったんだよ。


ぶっきらぼうに息子バッタが返事をする。え?


だから、行かなかったんだよ。首輪をつける時点ですごく嫌がっていたんだけど、前足を揃えて踏ん張って、てこでも動かなかったんだ。そのうちに、伏せをして蹲ってしまったんだよ。だから、行かなかった。


不満気な口調で息子バッタが状況報告をしてくれた。ボクだと、ちっとも言うことをきかないんだ。


いやいや、違う、違う!純粋にトンカは疲れているんだよ。ここ数日、週末と祝日が続いていたので、朝と夕方に二回散歩に行っていた。しかも、好天続きだったので、森に入り、新しい道を発見し、と、毎回2時間から3時間はたっぷりと歩き回っていたのよ。トンカは嬉しそうに跳びはね、走り回っていたけど、朝は6時から起きているし、昼寝をしているとはいえ、流石に疲れたんだよね。疲れちゃった、って言えばいいのに、言えないもんね。


そういうと、息子バッタが大いに笑い、そりゃあトンカも大変だわ、とトンカの背中を優しく撫でた。


ママは思い込んだら、まっしぐらの熱血漢だからねえ。時には何もしないで、一緒にのんびり日向ぼっこをするのでも、いいのかもね。



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2022年5月12日木曜日

新緑の季節に心躍るグリーンアスパラと海老のリゾット







トンカを我が家に迎えてからは、週末に向けて金曜の夜に帰ってくる息子バッタにトンカをお願いし、土曜の朝に買い出しに繰り出すことにしていた。もちろん、彼が帰ってこない日もある。そうなると、トンカが一人お留守番。たかだか一時間、されど一時間。


新緑の季節、この時期はアスパラが美味しい。緑、紫、ホワイト、揃って元気にBIOのお店で挨拶をしてくれる。ホワイトアスパラはグタグタに煮た缶詰ものしか知らなかった私にとって、フランスでその美味しさに開眼した。そして、パリッとしたグリーンアスパラの美味しさは堪えられない。


早速カートに入れる。週末に帰ってくるだろうバッタ達を思って、ついつい買い物カートは重くなってしまう。彼らの友達も来ることになれば、あっという間に冷蔵庫や貯蔵庫は空になってしまう。一方で、彼らの都合がつかない時は、いつまでたっても冷蔵庫はぱんぱんに食材が入っていて、いつの間にか新鮮だった野菜が萎びてしまう、時に腐ってしまう。


それでも、あれやこれやとメニューを想像しながら、ついつい手にとって買ってしまうのだから、母親とは一体なんなのだろう。息子バッタは、帰ってくるなり、いつだって冷蔵庫を開けて中をしばらく覗く習性がある。冷蔵庫はむやみやたらに開けて欲しくない主婦にとっては、大変迷惑な行為ではあるが、嬉しそうな彼の顔を見るとにやりとしてしまう。寮生活の学生にとり、実家の冷蔵庫は何か心躍るものがあるのだろう。


その割には食事のリクエストを聞いても、気のない返事ばかり。その点、末娘バッタはいつだって食べたいメニューがはっきりしている。お好み焼き、ビーフン、クスクス、タジン、ファラフェル、などなど。「だって、結局はママは自分が作りたいものにするんだもの。そして、それが美味しいから、僕はなんだっていいんだよ。」とは息子バッタの弁。


息子バッタしか帰ってこなかった日曜のランチ。ガレットにしようか、と誘ってみると、珍しく冷蔵庫に海老があったじゃない、と指摘される。あら、そうね。ふーん、じゃあリゾットってどう?


そう言いながらも、海老の殻剥きを始め、それで出汁をとってリゾットを作ろうと台所に立つ。玉ねぎをみじん切りにして、オリーブオイルでガーリックを先に炒めて香りを出し、玉ねぎを加えて更に炒める。食欲をそそる香ばしさがキッチンを満たしていく。隣のレンジでは海老の頭と殻がぐつぐつと美味しい香りを放っている。


途中でグリーンアスパラの硬めの部分を斜めにスライスしたものを入れながら、お米は透き通るまで炒める。そこに熱々の海老の出汁を入れると、じゅっと快い音が響く。うっすらとオレンジ色のリゾットが炊き上がってくる。最後の段階でグリーンアスパラの先の柔らかい部分を入れ、パルメザンチーズをたっぷりと削り混ぜ、最後の最後に檸檬の皮を削って香りをつける。海老と庭の深緑のローズマリーで飾りつけをして出来上がり。


さあ、ボナペティ。息子バッタの笑顔が輝く。



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2022年2月19日土曜日

息子バッタとトンカ

 




ママの言うことは聞くけど、僕の言うことにはちっとも従わないんだ。


息子バッタがぼやく。トンカを可愛がり、ほぼ3時間ごとの庭での散歩にも喜んで連れ出してくれるものの、名前を呼んでもすっとぼけられた日にはがっかりしてしまうのだろう。


暫く彼らの様子を見ていたが、息子バッタの声があまりにバスで静かなことに気が付く。このところ風邪を引き、体調が悪く寝込んでいたので、声はいつも以上に低く物静か。トンカのような赤ちゃん仔犬の関心を引くには、甲高い声でテンション高く言わないことには振り向きもしないだろう。


そのように指摘すると、早速息子バッタが甲高い裏声でトンカに呼び掛けてみた。


効果ばっちり。驚いたことに、すぐにトンカは反応し、息子バッタのところに弾丸のように飛び込んできた。


へええ。犬の聴覚の優秀さは聞き知ってはいたが、特に高い音域での聴覚に優れているのだろう。裏声で話しかけ続けるわけにもいくまいが、そのうちに、息子バッタの声にも慣れるだろう。風邪で精気の弱くなっている息子バッタに、エネルギーを降り注ぐようなトンカの甘え方に、思わず頬がゆるむ。


トンカ、我が家に来てくれて本当にありがとう。



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2021年12月16日木曜日

まさかのまさか

 





勝負カットならぬ決断カットをしてもらおう。そう思い立ってヘアサロンに予約の電話を入れる。新緑が眩しい頃に出会ったヘアサロン。カットが素敵と末娘バッタに好評で、その後彼女自身もカットしに行っているので、お世辞ではなく本物。しかも、娘がママと一緒のヘアサロンに行くって、ママとしてもちょっと嬉しいではないか。


ところが、末娘バッタらしいというか、お財布を忘れて行ってしまったと後で聞いて呆れてしまった。翌日彼女が行けそうにないのなら、ママが行くから遠慮なく言ってね、と伝えていたが、何とか都合をつけて夕方支払いに行ったらしい。もう夏のことだから、記憶はおぼろげになってしまっている。


ガラス扉を開けてサロンに入ると、カットをしてくれる女性が私を認めて嬉しそうに笑顔で迎えてくれる。もう半年近い前のことなので、さすがに覚えてはいないだろう。それでも、娘がお財布を忘れてしまい、ご迷惑をかけたことをお詫びすると、遠くを見つめるようにして、破顔する。よくあることですよ、気にしないでくださいね、と。


勝負カットならぬ決断カットをして欲しい旨伝え、どんな風にカットしていくかを相談する。


小さめの鋏を丁寧に、細かく、俊敏に使って、気持ちよくカットしてもらいながら、やっぱりここに来て正解だったなと思う。髪の毛一本一本が喜んでいる。


決断カットと言ったからか、開運メイクについて話しをしてくれる。特に眉毛が決め手になるとのこと。額を出して、三つめの目を隠さないことがポイントだとか。


なるほどねぇ、と感心しながら聞いているうちに、5歳は優に若返ったと思われる自分自身が鏡に現れる。


よしっ!決断カット完成。大いに満足し、お礼を言って支払いをしようとカードを探した途端、しまった!ハンドバッグを置いてきてしまったことに気が付く。なんとなんとなんと!末娘バッタと同じ過ちをしてしまうなんて。しかも置いてきた場所は、翌日にならないと行くことは出来ない。ハンドバックにはお財布はもちろん、パスポートも身分証明書、運転免許書まで入っている。


あちゃあ。


決断ねえ。勇ましいことを言っているけど、脇が甘いってことかしら。颯爽と出ていくところ、サロンには平謝りに謝って、出てくる。末娘バッタのこと、もう何も言えまい。


実は後日談があって、すぐには支払いに行けない私に代わって、なんと近くで講義があるからと息子バッタが自分のカードで支払いに行ってくれた。ちょっと情けない母親。息子よ、ありがとう。慌てて彼の口座に銀行振り込みをする。「ママ、カット代、結構高いんだね。しかも、こんな遠いところまで、わざわざ来るんだ。」息子バッタの声が耳に残る。それもそのはず。うるさい彼のヘアカットは長女バッタか私が担当するから、散髪代とは無縁の男なのだから。


さあ、改めて身を引き締めて参りましょうか。多くの方への感謝の気持ちを忘れずに!



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2021年12月1日水曜日

真っ赤なクランベリーソース

 







息子バッタが高校時代の友人から家族の感謝祭の饗宴に招待されたと言う。父親がアメリカ人で、彼自身もアメリカのパスポートを保有している。パリの国際学園都市ではアメリカ館で寮生活をしているので、日本館にいる息子バッタとは一緒に食堂に行ったり、図書館で勉強したり、テニスやサッカーをしたりと、何かと行動を共にすることが多いらしい。


高校時代の仲間とまた一緒に学生生活を過ごせることを大いに楽しんでいる息子バッタを見て、学園都市の寮に引っ越して良かったなとしみじみ思っていた。アメリカ館と日本館の違いを観察したり、寮に住む学生たちと交流するのも大いに刺激的であろう。


しかしアメリカ本場の感謝祭の食事とは如何なるものぞや。俄然興味が湧いてしまう。友人のパパが七面鳥をローストするらしいよ、と息子バッタも嬉しそう。友人情報だと、クリスマス以上にご馳走がたっぷりあって、とにかくお腹がはち切れそうになるらしい。彼のパパが全て手料理。すごいねえ。友人が何か手伝おうかと聞いたら、お前はパンでも切ってくれ、と言われたらしい。これは本格的。いいなあ。


そうか。彼の家は父親が料理をするんだ。感謝祭という大行事なので、そうなのかな、とも思うが、どうも父親の話しか出てこない。ひょっとしたら、離婚した家族だったかしら、と思い、ふと、お母さんはどこに住んでいるんだっけ?と息子バッタに話を振ってみた。



去年、亡くなったんだよ。


突然のことに呆然としてしまう。しばらく言葉が出ない。


ご病気だったの?


癌だったんだって。


急だったのかしら。どこが悪かったのかしらね。


知らないよ。癌で亡くなったって聞いて、何癌だったの、なんて聞けないよ。



息子バッタがぽつりと言う。それはその通り。そうなんだ。なんだか急に涙が出てしまいそうになる。彼の父親の気持ちが波のように押し寄せてくる。去年はきっと感謝祭どころじゃなかったんだろう。今年は、息子と二つ上の娘とで、家族でお祝いをすることにしたのだろう。子供達には、友達を招待しろよ、にぎやかに楽しくやろう、と声を掛けて。



息子バッタの友達の母親なら、私と似たような年齢か。これから、子供達が社会に大きく羽ばたくことを見ずに、去らねばならない辛さ。今度は母親の気持ちが波のように押し寄せてくる。



今年の彼らの感謝祭は、いつものものではない特別なもの。子供達は、きっと遠くで見守る母親に、元気にやっている姿を見せたいだろう。家族皆で楽しくやっているよ、とのメッセージを送りたいだろう。だからこそ、父親が頑張って全て手作りをするのか。合点がいく。大きな七面鳥。



御馳走がたくさんあるから何も持ってこなくていい、と友人は言ったらしいが、息子バッタはチョコレートを手土産にすると言って、自分で選んで買って持っていった。香ばしく焼き上がったローストした七面鳥に真っ赤なクランベリーソース、ぽってりとしたパンプキンパイ、甘みあるスイートポテトのマッシュ。ご馳走の前で皆が幸せそうに頬を染めている姿が目に浮かぶ。幸多からんことを。



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2021年11月22日月曜日

深まる秋の森散策

 





どちらが誘うでもなく散歩をしようと、太陽がちっとも姿を見せない寒空の中森に行く。知色や茶色の落ち葉の上を、がさがさがさと音を立てて歩く様子を見て、歩幅こそ大きくなったけれど、幼い頃とちっとも変わらないなと笑みが漏れる。違うところと言えば、途中で立ち止まって、どんぐりや栗と言った木の実でポケットを膨らませないことだろうか。


暫くしてから、ぽつりぽつりと、今していること、これからしたいと思っていることを、特に尋ねたわけでもないのに、むしろ自分に向けて己の考えを整理するかのように話してくれる。


こんな大きな森の道を全て知っているわけではなかろうのに、別れ道で迷うことなく、特に困った様子もなく、当たり前のように一つの道を選んで歩き続ける。枯れ葉の音を心地よく響かせながら。


随分と歩いただろうか。突然大きな家が現われ、一つの集落にたどり着いたことを知り驚いてしまう。隣村まで歩いてしまったのか。彼はそんなことは当然分かっていたかのように、脇道に入り森に戻っていく。


子供達の集団が走る子と自転車に乗る子のペアで、顔を真っ赤にしながら猛スピードで駆け抜けてゆく。よく見ると、途中で役割を交代している。そんな競技があったことも、そんな訓練の仕方があることも知らなかったので、感心して見入ってしまう。


二時間ばかり歩いただろうか。気が付くといつもの道を歩いていた。


太陽はちっとも顔を見せてはくれなかったが、それでも暮れなずむ前に帰ろうと、足取りも軽く家路を急ぐ。



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2021年11月3日水曜日

22歳になった君に

 





君がこの世に生を受けて早22年もの月日が経ったね。


君は幼い時から好奇心が強く、非常にユニークな発明、発見をしては大人たちを驚かせてくれた。3歳にして言語感覚が抜群で、見事にフランス語と日本語を取り入れて新しい言語を生み出してしまったのだから、大したものだよ。


小学生の頃はとにかく友達が男の子も女の子も大勢いて、いつでも誕生パーティーに呼ばれていた気がするよ。持っていくプレゼントを買いに、ママはお店を駆けずり回ったし、遠くに住んでいるお友達の家に行くので随分知らない場所に車で行ったもの。


あの頃はサッカーやマラソンの応援に毎週のように行ったけど、中学に行く頃には応援に来ないで欲しいって言われて、びっくりしたっけ。今思えば、とにかく大きな声で応援するママに応えようと、変なところで頑張っちゃうから来て欲しくなかったのかな。マラソンも君の姿が見えたら応援するので、ママの目の前で何十人もごぼう抜きしたよね。ママは大喜びで浮かれたけど、その後まだまだ続きがあってスタミナが続かなくて大変だったって後から聞いたっけ。


中学生になると背も伸びて、一気に大人になり、変声期を経て気が付いたら「沈黙は金」を地で行く男になっていたね。高校では不愛想になって、挨拶もろくにしない所謂ティーンになっちゃった。どんな大人になるんだろうと心配したこともあったよ。


でも、不思議なことにちゃんと上手くできていて、宇宙全体の悩みを抱えていたかのような時代は過ぎ、明るい笑顔で愛想の良い挨拶をする好青年になってママは本当に嬉しいよ。末娘バッタに親身に進学のアドバイスをしたり、ママを励ましたりと、このところの君の成長ぶりが眩しい。


自分の進みたい道が見えていて、しっかりと実現に向けて努力している姿に、感心すると同時に、一人の人間として感嘆の念を禁じ得ない。立派なことだと思う。


今は未だ気持ちの上で精いっぱいなのだろうけど、少し余裕が出てきたら、距離をとりながらでも父親との関係を改めて築き直して欲しいと願っているよ。こればかりは、君自身の心が求めることなのだから、周囲が何を言っても仕方がないことだって分かってはいるつもり。だから、ひたすら願っている。君のために。


これから持ち前の好奇心で新しい分野にどんどん突き進んでいくだろう君。いつでもエネルギー補充に家に帰っておいでね。そして、君が見ている世界の話をしよう。


22歳の誕生日、おめでとう!


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2021年10月22日金曜日

親バカ万歳!

 





「ちょっと今回は厳しかったかもしれない。多分、駄目だったわ。」

そう書き送ると、すぐに電話が掛かって来た。


「うん。相手はプロで、かなり厳しい質問があって、論理的に説明できなかったわ。ちゃんと優先順位を考えて時間をとって準備すれば良かったと反省しているよ。」


「え?準備しなかったの?」


「うん。ぎりぎりまで仕事していたの。きっぱりと半日休めばよかったと思っている。昨夜は疲れて頭痛がひどくて準備どころではなかったの。」


「じゃあ、何も答えられなかったの?」


「そんなことはないよ。取り敢えず、一つ一つに答えていったけど、理路整然としていなくて、行き当たりばったりの回答になってしまったの。中期的、長期的に分けたり、ポイントを幾つか挙げたりとするべきところ、全くできなかったわ。自分で自分のパフォーマンスの程度の悪さにがっかりしているの。」


「きっと、ママが思っている程じゃないよ。ママは自分の要求度が高いから駄目だと思っているけど、意外に大丈夫だったのかもしれないよ。」


え?


自分に徹底的に厳しく、完璧じゃないからと人前で演奏をしなくなった息子バッタ。試験の具合について、いつだって悲観的で、時に悲壮な彼。小学生の時に、サッカーの試合で仲間から、もうちょっと笑えよ、と揶揄われる程真剣な眼差しで、一瞬一瞬を挑んでいた、その彼が、ママを慰め、そして励ましてくれている。


なんて成長したんだろう。どんどん、親を超えて、大きく大きく力強く羽ばたいていっている。


我が身の成長はまだまだで、いたらないところだらけだけど、息子バッタの輝かしい成長に、手放しで嬉しい。


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2021年9月28日火曜日

山男

 




いつの間にか息子バッタが山男になっていた。


仲間3人で寝袋とテントを背負って秋の気配が忍び寄る山に旅立っていった。若者達は無謀にスピードが速く、天候にも無頓着なところがある。しかも、連絡一つしてくるでなし。


そわそわと気を揉んでいるところに、リンクが送られてくる。午後には戻ったとの短いコメントとともに。


リンクをクリックすると、彼らの足跡が立体地図となって、ところどころのスポットで写真さえ映し出されて、目の前に現れた。これには本当に驚いてしまう。ある日の記録が歩行距離25キロ、標高2600m、所用時間8時間。そんな数値まで出ている。


その後、さすがにゆっくりと電話で話をしたが、ナッツをたっぷり入れた栄養価の高い全粒粉パンを焼き(しかも自然発酵で!)、キャベツ一個を背負っていったと言うから、また驚いてしまう。最近の山男たちは、自分でパンまで焼いて持って行くのか。


山頂付近は風が冷たく、恐らく今年最後の山登りになっただろうと言う。紅葉の季節はこれからだろうに、彼らの山登りのスタイルでは難しいいということなのか。


いつか一緒にスイスの山を歩きたいと思っていたが、しばらくは仲間たちと登るのだろう。山の魅力に取りつかれてしまったら、もう引き戻せまい。


そうか。


嬉しいような、誇らしいような、ちょっと寂しいような、複雑な思いを抱きながら、それでもじんわりと喜びの感情が押し上げてくる。



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2021年9月1日水曜日

波のサイクル

 





ひょっとしたら本当は末娘バッタは未だ心が揺らいでいるのではないか。

「ママがいたら違っていたよ。」

そう呟いた彼女の声がいつまでも心の奥底で響いていた。


母親不在の一年間。悔やんでも悔やみきれない一年間。

「分かっているよ。ママは行かなきゃいけなかったんだもの。」


しっかり者の末娘バッタ。一人にしたつもりではなかった。それなのに、彼女が必要としている時にそばにいてあげられなかった。話を聞いてあげることもできなかった。


母親がいたからといって、何も変わらなかったかもしれない。同じように彼女は苦しみ、もがき、辛い思いをしたかもしれない。それでも彼女をしっかりと抱きしめることはできたはず。


だから、もしも彼女がもう一年頑張って再挑戦するというのであれば、大いに応援するつもりでいた。いかに精神的にも肉体的にも過酷であろうとも、彼女が頑張りたいのであれば、反対はしないつもりだった。


それでも、結果を冷静に受け止め、そこから新しい道を切り拓いていくことで、何かが見えてくるかもしれないと思ってもいた。運命に流されるというのとは少し違っていて、肯定的に運命を受け止め、自分のものとしていく、ということ。


最終的に彼女は進学することにし、一人で学生寮を探し出し、新しい出発をすることにしていた。寮に引っ越しする時、新しい仲間や教師との出会いに心弾んでいるのかと思ったが、どうも様子が違うので、考え込んでしまった。本当に良いのだろうか、と。


それを口に出して息子バッタに伝えると、彼が言うではないか。


「そういう波のサイクルがあるんだよ。僕だって時々ふと、なんで僕この学校にいるんだろう、って思う時があるよ。」


彼は今の学校を最高にエンジョイしているのだと思っていたから、とにかく驚いてしまった。そうか。そんなに簡単に皆ページがめくれるわけでもない。


息子バッタがそんな風に感じていたとは思いもよらなかったので、そのことを長女バッタに告げると、今度は彼女が言うではないか。


「みんなそうじゃない。私もあの時オランダに行っていなかったら、って思う時あるよ。ママだってそうじゃない?」


え?


ママは受験は、、、。いや、確かにそうだ。共通一次の結果をみて、急遽第一志望を変えたが、あの時どうしても法学部に行きたいと強く願っていたら、と思ったことは一度だけではない。


大学3年の専門を決める時、就職の時、フランスに留学した時、、。いつだって選択してきた。そうして今がある。その数ある選択を悔やまなかったことなどあるだろうか。


バッタ達のことを子供だとばかり思っていた。確かに彼らは私の子供だが、もう大人で、既にしっかりと自分たちの道を自分たちで選択しながら歩んでいる。その事実に愕然とする。


末娘バッタの心の揺れは、人生を選択しながら進んでいく者にとって、息子バッタが言うように波のように時々訪れる自然なこと。そう思ったら、心のざわめきはすっと収まり、静寂が訪れる。


嗚呼、彼女の新たな学生生活に幸多からんことを!



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2021年8月30日月曜日

ロバの背中

 





あまり日本の道路では見掛けないもので、フランスの道路に良くあるものの一つが横断歩道の手前の起伏。いわゆる、ロバの背中。スピードを出して走行してしまうと、車が大きくジャンプしてしまう。結果、速度も落ちる。しかし、それは危険な運転の場合。ロバの背中があると分かれば、ぎゅっと速度を絞って優しく運行する。そうすれば、何のことは無く車体もそう大きく上下せずに済む。


ちょっとした慣れとテクニックを要するが、スピードをうんと抑えれば良いだけのことではある。ただ車は急には止まれないし、注意が別のところにいっている時もある。


このロバの背中をちょっとでも上下に車体を動かして超えようものなら、息子バッタからブーイングが起こる。本当にうるさく、こちらに確かに非があるものだから余計嫌になってしまう。いつの日か、彼が運転する時にはちょっとでもミスしたら大騒ぎをしてあげようと思っていた。


そして、その日は意外にあっけなくやってきた。昨年運転免許を取得したばかりの息子バッタ、春先は非常に慎重に運転をしていた。それがつい先日、息子バッタの運転で買い物に行った帰りのこと、ロバの背中を元気に突破して車が見事に上下した。


ほらね。ちょっと気が抜いた時など、やっちゃうでしょ。そんな思いでにたりとしていたところ、「ここのロバの背中は設計がなっていない」と言うから驚いてしまった。まさか、そうくるとは!


さすがに道路の設計ミスを指摘するとは思っていなかったので、一瞬固まってしまった。言ってから、本人も自分の言い分を恥ずかしく思ったのだろう。呆れつつも笑ってしまった私につられて照れ笑い。


まったくね。絶対自分に非があることを認めない国民性、なんて言われているが、そうなんだなあと我が子ながら呆れてしまう。しかし家庭での躾を棚に上げ、学校教育に起因すると思ってしまうのだから、私自身が相当染まってしまっているのかもしれない。


いやいや。一緒に笑ったのだから、まあ、いいとするか。


ね、運転ってなかなか思うようにスムーズにいかないでしょ。そのうち、車のせいにされるだろうけど、それは当たらずと雖も遠からず。それよりも、お互い大切に乗ろうね。



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2021年8月15日日曜日

伐採のあと

 




草刈りを終えたばかりの大地からは、優しい草の香りが放たれている。


今年はミラベルもクエッチも不作。あの黄金の粒や紫の実が拝めないことは寂しい限り。ところが、ベリーにとっては当たり年だった模様。茨のような棘のある枝からベリーがたわわに黒く色づいている。ブラックベリー。


私が芝刈りならぬ雑草刈をしている傍で、息子バッタが手の付けられない程鬱蒼とした藪を伐採していた。以前だったら伐採した幹や枝はそのまま放置しっ放しだったが、いつのことからか、片付けやすいように幹を切り、枝葉を処理するようになった。そして、袋詰めまでする。


頼もしい姿に、嬉しくなってしまう。それでも、自分の体力が母親を上回っていることを意識しないような行動をとるので、閉口することもある。そんな時は、黙って作業を続けるのみ。いつか分かるだろう。それでも、変に気遣いされないことも、悪くない。


彼が伐採した後を見に行ったら、地面にブラックベリーがたわわに色づいている枝が置かれて残っていた。その隣に、ベリーを入れるにぴったりの小さな掌サイズの籠が二つ。もう巣立った後の鳥の巣。こんな小さな巣を使うのは誰だろう。ルージュゴージュ、コマドリだろうか。


何も言わずに鳥の巣を捨てずに置いておくなんて。なんと彼らしいことか!



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2021年8月9日月曜日

飛び出た椅子

 




食事をした後、おやつを食べた後、おしゃべりをした後。

一つだけ椅子が飛び出ていることが気になっていた。


うるさく言うと嫌がるだろうな、と思いながらも、鉄は熱いうちに打て。未だ熱いかどうかは、怪しいけれど、こうして一緒にいる機会もあと少しだけ。9月になれば、また大学のキャンパスの近くのアパート住まいになる。


案の定、息子バッタは、お皿を片付けるので手がふさがっていた、とか、その時は手が汚れていた、とか、言い訳を幾つか言った。


次の日も、同じ。


かなり、うるさがられた。


だから、状況証拠、ではないが、夜、不本意ながら、一つの椅子だけテーブルから飛び出したまま消灯した。朝も、一つの椅子だけテーブルから飛び出したままにしておく。


今朝、食卓に行ってみると、すべての椅子がテーブルに収まっていた。


皆が朝食を終えた後で、お茶を淹れに食卓に行くと、やはり、すべての椅子が収まっている。


長女バッタが昨夜バカンスから戻って来たから、彼女の仕業なのか。或いは、息子バッタ自身によるものなのか。しばらくは、静かに見守るとしようか。


思わずにんまりとする。



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2021年7月12日月曜日

曇り空から晴れ間

 





旦那の日本駐在を期に、日本語習得を目指し3人もの家庭教師をつけて頑張っている友人から、子供用の日本語の本を貸して欲しいと言われていた。彼女は中国人なので、平仮名が読めて、助詞をマスターすれば、漢字は読めなくても意味は推して知るべし、と思っていることが窺える。言語センスのある彼女のこと、努力も人一倍ながら、あっという間に日本語をマスターしてしまうだろう。


本の選択には迷ってしまった。子供用の本は往々にして平仮名ばかり。彼女は漢字、特に熟語によって文章の意味が分かるのであって、まだ日本語のボキャブラリーは少ない。色々な学び方があり、人それぞれに合ったやり方があるのだろうが、文章を読めないにも関わらず、意味だけ理解するという手法は、なんだか漢文を返り点など訓点をつけて日本語の文体に置き換えて読解する方法に似ていて、笑ってしまう。


漢文を少しでも読解できるようになると、なんだか中国語が読めるように錯覚してしまうが、実はそんなに簡単なことではない。


日本に行ってしまえば、否が応でも日本語のシャワーを浴び、語彙も増え、話せるようになっていくのだろう。彼女と日本語で話をする日くるのかと思うと、なんだか不思議な感じがする。


小学生高学年が読みそうな探偵もの、彼女が好きな村上春樹の短編集、経済書、エッセイ、この4冊を選び、リュックにしまう。近所なので、ちょっと歩いて行って届けよう。


すると、息子バッタが珍しく車で送ってくれると申し出たので驚いてしまう。運転免許を獲得して未だ一年未満。とても慎重な運転でギアシフトもスムーズで安定感がある。だが、自称運転嫌い。本当は運動と散歩を兼ねて歩いて行こうかと思っていたが、せっかくなので送ってもらうことにする。


なんだかこそばゆい。いつもの風景が違って見える。ゆっくりと丁寧にカーブを曲がると、もう友人宅。ありがとう!そう言ってドアを開けて外に飛び出す。曇り空から晴れ間が見えてきた。


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