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2023年9月25日月曜日

天高く馬肥ゆる秋




 


どこまで踏み込んでいいのか、

どこまで踏み込むべきなのか。


自立した成人となったのだから、相談されないのであれば、話があるまで待つべきなのだろう。


それでも、親が子の幸せを願い、子の将来を心配するのは、当然のことではあるまいか。


天高く馬肥ゆる秋

そんな言葉がふっと唇にのる程晴れ上がっている秋空を仰ぎながら、溜息ひとつ。


なるようにしかならない。

大丈夫だよ。ママは何があっても君を応援しているし、君が選んだ道こそ、今の君が通るべき道なんだと思っているよ。


さあ、空を見上げてごらんよ。天空を駆ける駿馬が見えそうじゃないか。



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2022年12月1日木曜日

適正体重とは








「あら、随分と痩せているのね。がりがりだわ。」

夕方の散歩をしていると、暗闇からそんな声が掛けられた。こちらは懐中電灯をぶら下げ、トンカは青く光る首輪をしているが、相手は何も持っていないので、本当に暗闇がしゃべっているようだった。


トンカの周りには、わらわらと数匹の犬が寄ってきて、それこそ品評会のように匂いを嗅ぎ始め、ぐるぐると犬同士で会話をし合っている。どうやら3人ぐらいで、スイスシェパードやジャックラッセルなど5匹と散歩をしている様子だった。その中でも一番体躯の小さい犬がきゃんきゃんと吠え出した。


大きさや速さで凌駕できないと分かると、声量で威嚇し自己顕示するタイプなのだろう。往々にして小型犬に多いが、それなりに理に適っていて応援したくなってしまうが、どうやら一緒の連れはそうは思っていない様子で、しっつ、と叱り始めた。


「こんなに痩せていて!」

また批判の声が響いた。それはトンカに対してではなく、トンカの連れ、つまり、私への非難の声であった。ちゃんと餌を与えていない、可哀想に、と。え、ちょっと待ってください。トンカが痩せているって、それは運動量が多いから、フィットしているってことなんです。


いや、それよりも、この暗がりで何が見えるというのだろう。私の懐中電灯で照らされた、陰影の濃い姿ではないか。


早々に別れたものの、その後も彼女の声が頭の中でこだましていたが、いつの間にか長女バッタが生まれた時のことを思い出していた。初産。嬉しさと、誇らしさ、そして、不安がないまぜになっていた、あの頃。


出産後の二日目か三日目だっただろうか。入院していたクリニックで、看護婦さんから新生児の体重が落ちているので、母乳ではなくミルクを与えるようにと小さな瓶を渡された時、大病の宣告でも受けたかのように落ち込んでしまった。


母乳で育てようと漠然と思っていたのだが、生まれてきて未だ数日も経っていないのに、既に母親として彼女を守り切れていないのか、と愕然としてしまった。


新生児検診でいらした小児科のイスラエル先生に、ミルクを与えるようにと言われた話を伝えると、周囲の看護婦さんたちに「みんな、この赤ちゃんをどう思う?」と、いつもの穏やかで、優しい眼差しで問いかけた。


皆口々に、可愛い、可愛い、と言ってくださる。「そうでしょう?とっても可愛い赤ちゃんですよね。とても幸せそうですよね。ママの母乳で十分に満足しているってことなのですよ。赤ちゃんにもそれぞれの個性があって、体重の変化だけを見ていては大切なことを見落としてしまうのですよ。」


そして、お母さん、安心してくださいね。と、ウインクをしたように思う。それ以来、イスラエル先生は私からの絶大なる信頼を勝ち得、以降、息子バッタ、末娘バッタを診ていただいた。


そう、その通り。トンカは、こんなにも愛らしく、嬉しそうに跳ね回っているではないか。何ら問題もない。スリムな体躯がトンカの個性であって、誰かに何かを言われたからといって、食生活を再考する必要はあるまい。


ね、トンカ。


トンカと散歩をしながら、何度言われたことだろう。その度に、実は餌の量を増やしてみたりもしたが、どうも今の量がトンカにはぴったりだろうと思われる。量を増やしても、拾い食いの習慣は止めないし、逆に用を足す回数が増え、やや軟化してしまい、むしろトンカの胃腸に過度な負担となってしまうと思われた。


それでも、確固たる自信などない。トンカの様子をしっかりと見ながら、成長に合わせて、必要な量を与えていきたい。もちろん、大好物の煮干しや干し芋、ビーフジャッキー、チーズも適度に楽しみながら。


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2022年5月5日木曜日

パピーとの再会

 







何年振りかで会うパピーは、末娘バッタに私が以前描いて送っていたトゥッカーノのカードを見せているところだった。私の顔を見るなり、驚いた様子で、そして笑顔で挨拶をしてくれた。日本の家族は皆さん元気ですか?恐らく母のことを思いやっての言葉であろう。


末娘バッタとは昨年の夏以来の再会であり、突然の訪問を大いに喜んでもらえた。


末娘バッタが車椅子に乗ったパピーを街中に連れ出す。街中といっても、教会があって、クレープのレストランやカフェが数軒あって、パン屋と土産物があるだけの、簡素な、それでいて潮の香りが時々する島の中では一番大きな村の中心部。


日の当たる通りのカフェに陣取ると、飲み物を頼んで、トンカを改めて紹介する。孫娘に会って、久しぶりに外出ができ、パピーはとっても嬉しそう。以前からバッタ達の父親とパピーは似ていると思っていたが、はっとする程酷似している。


時々、一瞬だけど末娘バッタが辛そうな表情をする。パピーは、目の前にいる人物が末娘バッタであることは分かっているが、それ以外のことは曖昧模糊としている。今自分がどんな状況にあるのか、どこに住んでいて、これからどうするのか、など全く把握していない。


夕食はどうする?


トンカがいるので、レストランは無理なので我々は砂浜でのんびりしようかと思っていると私が伝えると、「パン屋に寄って、バゲットを買っていこうじゃないか。」とパピーが末娘バッタに言う。


末娘バッタが優しく、明日のランチを一緒に食べようと誘う。


パピーが生まれ育った島に戻ってくることは、本来なら素晴らしいことなのかもしれないし、パピーが元気で、本人の意思でそうするのであれば、大いに喜ばしいことなのかもしれないが、この状況ではどうなのだろう。


恐らく島は中学卒業と共に出てしまい、パリ、ナント、ボルドーでそれ以降の人生を歩んできたパピー。勿論、島には毎年何度も戻って来たし、家も構えてはいるが、幼馴染も数える程に少なくなってしまったし、知り合いも親戚がいるぐらい。それよりも、何よりも、パピーは今では一人では外出できないし、大好きな海を見ることさえできない。


息子はパリにいるし、息子の子供達、つまりバッタ達もパリ。息子は、いつでも会いに行けるパリにパピーが来てくれることを望んだのだが、パピーの意思決定の代理の権利を獲得しているボルドーに住む娘が、誰と相談することもなく、パピーを島のホームでお世話になることにしてしまった。

娘にしても、ボルドーからこの島まで一日がかりで来る程遠いのだから、そう頻繁には会いに来ることはままならないであろう。


海を見ることができない島の真ん中のホームで、子供達や孫もそう頻繁に会いに来ない、そんな状況がパピーにとって最善とは思い難い。


兄と妹とのつまらない確執なのか。


そんなことよりも、今、この時を感謝し、大切にしよう。パピーの手が優しくトンカの頭を撫でる。




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2021年11月9日火曜日

二十歳になった貴女に

 





ぽかぽかの小春日和の日だったよ。のんびりといつもの定期検診に歩いて行ったら、診察してくれた看護婦さんに、通りで産むつもりだったのかと怒られたっけ。そう、貴女はのんびりと、それでいて着実に、ママのお腹から順調に出てきてくれた。


ちっとも手のかからない赤ちゃんで、いつでも良く寝てくれていた。4つ上のお姉ちゃんと、2つ上のお兄ちゃんがにぎやかで、彼らと大騒ぎをしている時は、貴女が大人しく寝てくれていることに、とても感謝していたけど、一歳の誕生日を迎えても一向に歩く様子を見せないので、それはそれで心配もしたもの。


貴女が一歳半の頃、日本からマミーが来てくれて随分と貴女と遊んでくれたっけ。マミーが帰ったその日に、突然サロンをだっと走り出した時には、ママは本当にびっくりしたのよ。


あの頃は二歳になった貴女のお兄ちゃんがやんちゃで、とにかく大変だったの。だから、ママはいつでもお兄ちゃんの名前を呼んで怒ってばかりいたっけ。だからなのか、貴女が初めて発した言葉は、お兄ちゃんの名前だったのよ。驚きよね。


その割には、大好きなミルク、大好きなご飯、大好きなヨーグルトは全て「白いの」で済ませていたのよ。言葉の詳細にこだわるお兄ちゃんとは正反対で、集合体の名称で呼ぶのだから、面白いよね。ちゃんと色を識別し、同じグループにいれていることには、感心してしまうけれど。他にも、集合体の名称を使っていたけど、それが何であったか、もう忘れてしまったわ。


本当に貴女はびっくり玉手箱だった。一人の世界を楽しむタイプで、鏡に向かって何時間でもおしゃべりをしていることがあったり、みんなでおしゃべりをしている時に、一人だけ違う世界にいる様子だったりしたのよ。


フランスで生まれて、フランスで育って、フランスの学校に通うっているのに、何故かフランス語に対して外国人のように接していたよね。敏感にママの様子を察知して、ママと同じになりたかったのかな。貴女はそういう意味では精神面で本当に努力した。


毎年夏に行っていた日本の学校では、いつもたくさんの友達が出来て、お手紙をもらってきてはママをびっくりさせた。我が家では一番のべべだったのに、いつの間にか学校では大勢のお友達が貴女を頼りにし、気が付いたら毎年級長を務めていたよね。フランスの学校の級長はクラスメートの成績会議にも出席するのだから、びっくりしてしまう。成績会議の日には遅くに帰って来て、それから遅くまでクラスメートに電話を掛けたり、相談に乗ってあげていたっけね。


貴女にとって、仲間が重要になってきて、仲間と過ごす時間が増えていった。週末やバカンスになると、勉強している以外は、常に外に飛び出して仲間たちと会う。


ママは本当に二年前には分からなかったけれど、貴女のおかげで今はちゃんと分かることができた。外に飛び出して行く子供たちが、ちょっとした時、帰ることができる場所こそが家庭であり、家族なんだよね。


世界地図を片手に、どこにでも簡単に行ける時代ではなくなってしまった今、ママは貴女たちがいつでも帰ることができる場所にいることにしたよ。それが親の務めだと思うし、そうすることはママの幸せでもある。


そんな大切なことに気が付かせてくれた貴女に、ママは感謝の言葉しかない。これから益々勉強に勤しみ、自分の魅力をどんどん高めていって欲しい。今、そうできる土俵に漸く立った貴女は、自信に溢れて、快活で、眩しい程に輝いているよ。


20歳のお誕生日おめでとう。



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2021年6月19日土曜日

これからの彼らにエールを!

 




大学の同窓会で知り合った一回りぐらい下の友人から久しぶりに連絡が来る。子供たち3人の教育環境を考え、バッタ達が通った学校に行かせたく、思い切って引っ越しすることにしたとのこと。夫婦で物件探しで一日こちらに来るというので、ランチにご招待。


幼稚園、小学校中学年と、日本では今度6年生ながら、こちらではもう中学(コレ―ジュ)に行く年齢の男の子たち。


真剣な眼差しの友人夫婦の話を聞きながら、我が家も15年前はこうだったのだなと、しみじみ思う。末娘バッタが2歳になる前だったので、早18年になるのか。


長男君のこれからが一番心配な様子。家庭ではテレビも本も漫画もゲームも全て日本語。もちろん、パパとママとの会話も日本語。弟たちとも日本語で遊んでいるとのこと。現地校に通っているが、勉強は全てママが先ずはフランス語で理解し、それを日本語で教えてあげているというから、ちょっと驚いてしまった。


確かに親は子のためなら、どんなことでも惜しみなくしてしまう。時にはし過ぎてしまうこともある。特に最初の子となれば、かなり熱意を込めて育てる。それはとっても良く分かる。分かりすぎるぐらい。


子供の性格というものもあるだろうけど、どうなのだろう。習い事もサッカー、ピアノ、チェス、と楽しそうながら、サッカーはパパと一緒のサッカーチーム。同年代の友達がいないと嘆いているが、そういう環境にしてしまっているのではないかしら。


どこまで言っていいのだろうか。


父親は子供たちとの時間を大切に思って、だからこそ、一緒のサッカーチームで汗を流している。でも、それは子供の自立に繋がってはいないのではないかしら。


母親は子供の学習効率を図って、賢明に日本語でサポートしている。しかし、それではいつまでたっても子供はフランス語で理解し、自分で考えることをしないのではないだろうか。


どうなのだろう。


自分の夢を子供に押し付けていないかどうか。親のエゴで子供を縛っていないかどうか。


厳しい視点で今一度みてみることも必要。


若い夫婦は寄り添いながら、きっとそれができる。二人で話し合いながら、子供たちそれぞれの個性と向かい合い、それぞれにとって一番適した環境を用意してあげるよう努力するだろう。


私たちには、それが出来なかった。夫婦を解消するということは、そういうこと。子供の成長を笑い合って、時には泣きながら一緒に温かく見守る。それができなかった。


後悔しない人生なんて、ない。


さあ、今は希望と期待に膨らみ引っ越してくる若夫婦と3人の子供たちを応援しないと!新たな展開を迎える彼らに、幸多からんことを!



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2021年4月20日火曜日

晴天の兆し








この間の月曜日のことは悪かった、ごめん。かなり言い過ぎてしまったと反省している。


数十分は末娘バッタの試験にまつわる話をしていたので、突然そう言われて戸惑ってしまった。一体何のことだろう、と。


末娘バッタも息子バッタも、それぞれに違う理由ときっかけにしろ、ほぼ同じ時期に父親との連絡をシャットアウトしていた。没交渉。

これまでも、そして今も彼は彼なりに誠実に子供たちを愛していたし、いつだって子供たちのことを考えてくれていた。ちょっとしたすれ違いが、こんなに大きな断絶に繋がるとは、考えていなかったに違いない。私にとっても大きな衝撃であった。

家庭崩壊。

父親から、二人の子供たちが電話にも出ないし、連絡も寄越さない、コールバックもしない、と辛そうに伝えてきた時には、仰天してしまった。どうも私が何か子供たちに言ったことが要因になっていると思っているらしく、慌ててそれぞれに連絡してみたところ、どうも話はそう簡単ではなかった。

辛うじて長女バッタが父親との関係を密にしてはいたが、だからといって、弟や妹に父親との関係改善を促す役目を彼女が担うことは荷が重いに決まっていた。

これまでも、何度も危うい時はあったが、未成年ということもあってか、あるいは、話を聞いてやる母親が近くにいたからなのか、何とか大ごとにはなってこなかった。

一年前は息子バッタなど、むしろ羨むぐらい父親との関係は良好で、毎日の様に電話で連絡をし、週末は彼が父親のところで過ごしていた程だった。だからこそ、今の状況は父親にとり、非常に辛い展開であることは容易に察しが付く。

実際に会って彼の話を聞いてみたが、最初は冷静に、次第に怒りに変わり、最後は哀しみだけが残るといった、辛い時間であった。子供たちと話ができる私が唯一の解決の鍵を握っていると思っているようで、最後の頼みの綱を託された感じとなってしまった。

息子バッタとは何度か話をしたが、予想以上に彼の傷は深く、たとえそれが本人の思い違いにしても、簡単に癒えそうにはなく、時間だけが頼りなのではと思うしかなかった。

末娘バッタの方は、とにかく試験が終わらないことには、今の彼女の精神的キャパでは対処できない模様であり、今はこの件については何も語ってくれるなと突き放されてしまった。

家庭崩壊。

考えるに、既に両親は離婚しているが、子供たちにとっては、父親との家庭、母親との家庭をそれぞれに持っているのである。父親との関係を遮断となると、父親との家庭のみが関係するようだが、それでも、母親としては、これ程悲しいことはない。それは、愛しい子供にとっての家庭が崩壊していることに等しいからである。

ここは、何としても、時間がかかっても、子供たちと父親との関係を修復するように支援せねばなるまい。

そう思っていた矢先だった。

二年前は父親が息子バッタの試験準備のサポートや試験中のあらゆる対応をしていた。今回、末娘バッタは父親の存在をシャットアウトしており、彼からのサポートは一切受け入れていなかった。

心配をし、何もできないことに苛立ち、焦燥感に追いやられる、そんな心境の父親にとって、末娘バッタの不安定な行動は怒りの対象となってしまう。前回は、私から末娘バッタの試験準備の状況を聞き、呆れ、非常に手ひどい、乱暴な言葉を放っていた。

そんな言い方はないでしょう。状況を受け入れ、それでもプラスの面を見て、前向きに考え、明るく乗り切っていくようにサポートするのが親の務めじゃあないの。そう私は思ってサポートしている。彼女には楽しく、元気にやっていって欲しい。

彼の苛立ちも分かるので、努めて感情を抑えて、なだめるように話をした。

それでも彼の怒りは収まらず、徹底的に末娘バッタを非難し、否定し、批判していた。言葉の刃。

どうぞ私に向かって投げつけて。私が盾になる。末娘バッタは私が守る。

そんな思いだった。そして、本当に辛く哀しく思ってしまった。いつからなのだろう。こんなに人を批判するようになってしまったのは。一体自分を何様だと思っているのだろう。こんな様子では、バッタ達との関係修復は実現しまい。


どうやって会話を終わりにしたのかは覚えていないが、非常に苦い思いが残った。

単純な私はそんな会話をすっかり忘れ、週末の末娘バッタのサポートで頭がいっぱいとなり、息子バッタとの3人での思わぬ至福の時間に酔いしれてしまったので、父親に彼らの順調な様子を伝えることに専念してしまっていた。


もう一度彼の声がする。反応がないので、戸惑っている様子だった。

この間の月曜日の電話でだよ。あれはひどい言い方だった。あんな風に言うつもりはなかったんだけど、悪かった。そして、毎週末のサポート本当にありがとう。彼女はきっとベストを尽くせるよ。ありがとう。とても感謝している。


時間が解決する。そう。いつか、きっと分かってくれる。じんわりと胸が温かくなる。


 



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2019年2月5日火曜日

G線







今年が高校最後の年となる末娘バッタ。フランスでの進学は驚く程選択肢が多く、2年後のグランゼコールへのコンクールを目指すプレパ、大学の学部、グランゼコール所属の学部、専門学校、ビジネススクール、等々。そして単純に日本の様に一斉に入学試験があるわけではない。入試を実施する学校もあるが、大半は高校3年間の成績がものをいう。厳密には高3の1学期と2学期の成績。学校によっては、数学の点数しかみないと言われるところもある。高校時代のボランティア活動やスポーツ、芸術的活動に重きを置くところもある。

教育改革はマクロン政権の公約の一つでもあり、昨年に引き続き今年も高等教育機関への進学システムに変更があった。機会均等、生徒の希望重視などに比重が置かれている。全員にとって満足のいく制度とは、想像するだけでも実現無理であろうが、従来のシステムを新たに変えることは、どの世界でも困難を伴うもの。特に、従来の教育システムの曲がりなりにも成功者が政治家になり、官僚になっている中、自分たちの歩んできた道への反省を促し、これまでの力関係をも変えかねない改革となるのであるから、時間もかかろうし、一筋縄ではいくまい。

されど、教育こそが国力に繋がるとの強力なメッセージはこれまでも根底にあり、これからもある。

と、大袈裟な話の展開になってしまったが、末娘バッタにとり、これからの道を拓いていく上で切り札は多いに越したことはない。つまり、今こそ一番必死に点数を取るべき時期と言える。それは教育改革の真っただ中であろうと、なかろうと、そう変わりはあるまい。そんな自明なこと、親に言われずにも分かっている年頃。そして、そんなこと親に言われた日には、逆にやる気が削がれてしまう年頃。

だから、なのか。
この勝負の時期に、バイオリンのコンクールに出ると言う。

人は、時間の余裕がたっぷりある時よりも、切羽詰まっている時の方が効率よく、かつ、最大限の力を発揮できるのであろうか。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

コンクール2週間前には弦を新しく替えたく、しかも、フルで交換したいので、1セット買って欲しいと言われてしまう。出来たら、今のG線と同じ種類にして欲しいとのリクエスト付き。ちょっと高いかもしれないけれど、お願いします。そう言われてしまったら、そうか、そうか、と買いに走ってしまうのが親。

G線ねえ。そんな違いが分かるようになったのか。弾いていたら当たり前のことなのだろう。高ければ良いわけでもなく、弾く側の力量も当然のことながら大いに関係するのが楽器との相性。お店においてある一番高い弦を買っていったら、それはそれで逆に怒るんだろうな、と末娘バッタの顔を思い浮かべ、苦笑する。

帰り道、陽射しに柔らかさが感じられる。今年の春はいつもより早くやってくるのだろうか。






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2018年3月31日土曜日

千尋の谷









珍しく携帯が鳴り続けている。
最近はLINEにしろWhatsAppにしろMessengerにしろ、とにかくメッセージでの連絡が多い。なぜアプリを使い分けるのか。皆が同じアプリを使ってくれれば楽なのにと思う反面、どのアプリでも簡単にメッセージを見ることはできるし、そう不便でもない。

携帯を確認すると、相手は寮生活中の息子バッタ。
パック(イースター)のロングウィーケンドはパリの父親のところに行く予定だが、どうかしたのだろうか。

「具合が悪いんだ。熱が38度8分ある。」
辛そうな声が届く。

フランス人と日本人は一般に体温が1度は違う。37度で微熱があって辛いなどと言おうものなら、フランスでは驚かれるか馬鹿にされる。なぜなら、彼らの平温が37度以上なのだから。

働く親にとり、子供の病気とヌヌ(ベビーシッター)の休みは、できるなら避けたい事態。バッタ達が起きる時間には会社にいた私にとって、子供が病気だからと飛んで帰る余裕はなかった。我が家の辞書には「病気」も「医者」もない、と言えるほど、バッタ達はなんとか乗り切った。熱があれば一人でベッドで寝て回復を待つ。

だから、息子バッタからの電話に、声を失ってしまう。しかし、さすがに学校の寮だけあって、医務室もスタッフも充実しているらしく、午後には医者に診てもらえると言う。皆が授業を受けている間、閑散としている寮で一人寝る心細さを思う。
咳をしても一人。

「ママにできること、ある?」
「ない。」

そう言って電話は切れた。

夜、その話を末娘バッタにする。
「ママ、言っちゃったんだ。それって言われると一番つらい言葉だよ。」
え?どうして?何がなんだか分からない。
「だって、別にママにどうかして欲しいわけでもなくって、ただ、ママに聞いて欲しかっただけだもん。」
そうか。

生姜をすりおろして、レモンを絞り、蜂蜜を入れたホットドリンクを作ってあげたい。

二年前、中国に留学していた長女バッタから熱がひどくて声も出なくて寝ていると連絡が入ったことを思い出す。あの時も、何もしてあげられなかった。

彼らは、こうして、自分たちで困難を乗り越えていくようになるのだろう。黙って見守るしかできない。

幼い頃、獅子は我が子を千尋の谷に落とす話を母から何度聞いたか。厳しい母だった。泣きながらその話を聞いて、自分がライオンの子にまるでなったかの様に思い、どんなことがあっても、這い上がって行こうと思った。

千尋の谷に子を落とす程肝が据わった親ではないが、結果的に色んな場面で、谷に落としてきたのだろう。その度に這い上がってきたバッタ達。

そろそろバッタのネーミングも変える頃なのかもしれない。
ひとり、冷たい芯が残った春の風を頬に受けながら、暮れなずむ空を仰ぐ。






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2017年6月23日金曜日

トウモロコシのお人形







一人で一足先にバカンスに入り、日本にいる末娘バッタから、家族全員のグループメッセージに写真がポストされる。

黄緑色でふっくらとした、いかにももぎたて感満載のトウモロコシ。
コメントに一言、「12本!」

さすが田舎は羨ましい。
こちらではトウモロコシなんて滅多に口にできない。どうも家畜の飼料としか見なされていないらしく、日本にあるインスタントのコーンスープも、こちらでは売っていない。日本や台湾に遊びに行った帰りに、必ず買って帰る食料品の一つがコーンスープ。ましてや、ひげが立派にふっさりとついている皮をまとった生のトウモロコシなどお目に掛かることは滅多にない。夏に熱々に茹で上がったところに塩をぱっと振って、ぷつんと口の中で弾けさせながら頬張るトウモロコシの美味しさと言ったら!

と、ロッテルダムにいる長女バッタが 目をハートマークにさせながら、「お人形作って写真送ってえ」とリクエスト。

末娘バッタが、「お人形?」と聞いている。
「トウモロコシの!」と、長女バッタ。

ふっと胸が熱くなる。
きっと幼いバッタ達が夏日本に遊びに行っている間、母が彼らにトウモロコシ人形を作ってあげたに違いない。末娘バッタは、記憶に残っていないぐらい未だ幼く、長女バッタにとっては、大好きなトウモロコシと一緒に思い出す程、心に残る思い出だったのに違いない。

幼いバッタ達を日本に連れて行っては、母にお願いをして面倒を見てもらっていた記憶がよみがえる。体験入学といっては、地元の幼稚園、保育園にお世話になっていた。バッタ達は小学校、そして、中学まで喜んで通っていた。

中学一年の時に、憧れの部活に入り、大好きなサッカーをするはずだった息子バッタが、どうして先輩だからといって、一緒に準備や掃除もしないで偉そうにするのかが分からない、とショックを受け、翌年からは体験入学に行かなくなってしまっていた。末娘バッタだけは、一人でも喜んで小学校に通っていたが、何が理由だったのか今では思い出せないが、中学時代は一度も日本で夏を過ごすことがなかった。


末娘バッタは日本の高校に通うことを夢見ていた。一時は一年間の留学をしたいと考えていたほど。今年の夏、日本の友達にお願いをして、彼女の通っている高校に体験入学をさせていただいた。流石に義務教育課程ではないからか、期間も二日のみ。体育、部活、全て見学。制服も同校の生徒ではないから、着用不可。なんとも、いやはや。しかし、本人は友達と一緒に通えたこともあってか、とても楽しかったらしい。受け入れていただけるだけでも感謝しなければなるまい。また、その間、泊めていただき、毎日お弁当を作ってくださった、お友達のお母様にも感謝の気持ちでいっぱいである。

そして、東京の俄か高校生は、田舎に帰り、今度は祖母の経営する会社で研修中。どうやら毎朝制服を着て通っているらしい。週末に電話を入れて様子を聞いてみないことには詳細は分からない。何せ、送ってくるメッセージはトウモロコシ、サンマ、インゲン、トマト、お豆腐、といった食べ物中心なのだから。

今年は一人で祖母のもとにいる末娘バッタ。トウモロコシ人形を作ってもらうには、もう大きくなってしまっているだろう。彼女のことだから、自分でネットで検索し、作っているかもしれない。

明日、朝、電話を入れよう。トウモロコシのような、ぷっつりとした元気の良い声が返ってくるだろう。





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2016年10月9日日曜日

ウルトラ ライト ダウン









情けない話だが、長女バッタが家を出て行ってしまってからの喪失感からまだ抜け切れていない。ふとした時に、彼女の不在を大きく感じる。来年の夏には息子バッタがいなくなり、その二年後には末娘バッタがいなくなる。果たして、耐えられるのだろうか。

サッカーの練習から帰ってきて、シャワーを浴び、未だ水が頭から垂れている状態で、洋服を買って欲しいから、今からパリに連れて行ってくれと言う息子バッタ。デファンスのショッピングセンターは夜の8時には閉まってしまう。残り時間1時間。

高速を使えば、ものの15分で着いてしまうだろう。彼が行きたいお店は二つ。何を買いたいかまで分かっている。サイズさえ合えば、すぐに買えてしまう。

そうして、本当に30分後にはお店のレジで支払いをしていた。何着も試着をし、似合っていると思うのに、滅多に首を縦に振らず、こちらがうんざりするまで拘っていた長女バッタとは大違い。それでも、彼女のコートを手に、鞄を持ってあげて付き合った当時が懐かしいと思えてしまうのだから、不思議なもの。

今頃寒くて暖かいコートが欲しくなっているのではないか。薄手のダウンを買って送ってあげようか。

いつの頃か、ママが買う洋服には袖も通さないことが分かり、決して本人がいない限り洋服は買わないことにしていた。

「ママは買わないの?」息子バッタが薄手のダウンを手にして言う。

現実に戻る。ん?ママ?
「ママ、いつもコンピュータールームでオーバー着ているじゃない。このダウンなんか、ぴったりだと思うよ。」

かくして、予定もしていなかったダウンを買ってしまう。末娘バッタにあげてもいいかな、と思いつつ。

しかし、それでは意味がないか。息子バッタからのメッセージを大切にしなくては。ママも自分のための人生を生きてね、という。

帰り道、車内にジャズが静かに流れる中、フロントガラスを通して、大きな三日月が夜空にくっきりと浮かんでいる。








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2016年9月14日水曜日

低俗な話








やきもち?
そんな低俗レベルの話なのか。いや、実際そうなんだろうと思う。
バカバカしい。
分かってはいるが、仕方がない。

バッタ達にしたら、いい迷惑だろう。

しかし、どうして、
去年は長女バッタの留学先の北京に、夫婦で会いに行ったのか。
どうして、
今度は隣国の留学先に一週間も、家族で遊びに行くのか。

一体全体、彼には遠慮というものがないのか。
まあ、彼の辞書にはそんな言葉は見当たるまい。

そりゃあ、悪気がないことは分かっている。
長女バッタ会いたさから来ていることも分かっている。

そうか。
彼は、そうやってしっかりと自分の周りに家族というものを築いてきたのか。

なんかな。
もうお役目御免、ってことか。

なんかな。

全てを放り投げて、海の藻屑になりたいな

元気なバッタ達がいるからこそ、元気で生きてこれた。
いつだって自分たちの足で地面を踏みしめ、自分たちの手で未来を切り拓いていけるよう育ててきた。

もはや母親は必要なし、か。

夏からのこの虚しい気持ちを引き摺って、このまま欧州の辛い冬を迎えることができるのか

母親としての役割を終えたら、もういいのかもしれない
海の藻屑となろうが、宇宙の星屑になろうが






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2016年4月21日木曜日

末娘バッタの蔵書








珍しくどうしても具合が悪くなり、早退。
こんなことは、今の仕事を始めて初めて。とてもだるくて仕方がなかった。
肩の痛み止めが強過ぎるのか、その緩和剤が良くないのか、調子はすこぶる悪い。せっかくの休みなのに、バッタ達はパパとバカンス。

まあ、一人でゆっくりするのも、悪くはないか。

気が付いたら、泥の様に眠ってしまったらしい。思っている以上に身体は悲鳴を上げていた。

それでも、手持ぶたさに、整然とした末娘バッタの部屋に入る。そこだけ、午後の太陽が燦燦と入り込み気持ちがいい。他の部屋は肩と腕の痛みから、雨戸さえ開けていない始末だった。

ふと、本棚に一つの本を見つける。綺麗な装本に目を引かれたことと、日本語の本だったことで手にしてみる。

最初の一文で、衝撃を受け、その場にうずくまるようにして読み始める。

まさか。まさか。

その思いが強く、しきりに胸騒ぎがする。

簡単なようで難解な文章。彼女の日本語力で読んだのだろうか。いや、誰が彼女にこの本を送ったのだろう。それよりも、一体、この本をどんな思いで読んだのだろう。

何度も泣きながら、読み終える。ああ、ここに末娘バッタがいれば、ぎゅっと抱きしめるのに。

「ハッピーバースデー」
母親に愛されたいと思う11歳の少女の過酷な日々と、祖父母の愛で癒され、自立していく姿が描かれている。






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2016年2月20日土曜日

未来は過去を変えている










珍しく甘えてこない末娘バッタの横顔を見て疲れているのかな、と思う。


そう言えば、テストで設問の意味を取り違えたと悔しがっていたっけ。

いや、そんなことで、こちらを受け付けないような、撥ねつけた態度は示すまい。

明日、バイオリンの先生のアシスタントを頼まれてしまい、サッカーの練習に行けないことをうんざりしているのか。

或いは、後輩の進級テストで、バッハの第一バイオリンを弾かねばならないことにプレッシャーを感じているのだろうか。

せっかく作った夕食を息子バッタにケチをつけられ、がっかりしているのか。


どうも、どれも当て嵌まらないらしい。
彼女の心が見えない。一体どうしたのだろう。


ノエルのバカンスが終わったばかりなのに、もうスキーバカンスに入った金曜の夜。
しっくりこない。

バイオリンのレッスンを終えて、夜の10時にバッタ達と家に戻る。


一体、何が問題なのか、問い質してみる。

と、思わぬ答えが返ってくる。


バカンス明けに社会研修と称して、企業に一週間お世話になるが、その時にパリのパパの家から通うことに対し、彼女のお世話になる会社とパパの家は決して近くないよ、と言った私の言葉に反応したらしい。

彼女が研修期間にパリのパパの家から通うことは、もう既に決まっていること。それを今更ママが何も知らなかったかの様に、反対の意見を言うことが、嫌なのだ、と言う。

ちょっと、待ってよ。同じパリでも30分はかかるのよ、そう言っただけじゃない、と言えば、それでもママの家から通うよりは近いじゃない、との返事が返ってくる。

「それよりも、とにかく、パパとママの間で子供のことでジェラシーを感じているようなこと言わないでよ。困るのは私たちなんだから。」

うん、そうだ、そうだ、と息子バッタが頷く。


「それから、さっきだって !」末娘バッタは容赦しない。
息子バッタが試験の日程をパパに告げてなかったと聞いた時の私の反応がいけない、と言う。

パパに告げなかったのか!おおそうか!そうだよね!の態度がいけなかったらしい。


何から何までママが良い、のベベの末娘バッタではなくなった、ということか。
昔はよく、週末にパパの家に行くのが嫌だからと、仮病を使って蒲団にくるまっていたのに。
通りに響き渡る大声で嫌だ、ママといる、と言って泣き叫んでいたのに。


そうか。
成長したんだ。
公明正大な性格に。


離婚したからって、なんで子供と一緒に過ごす時間まで分けっこしなきゃいけないのか。
なんとも、ね。
成長していないのは、ママだけか。


長女バッタのことを思って、彼女にとって良かれと思うことで、彼女の父親と喧嘩をしていた時、泣きながら、ママ、止めて、と言った長女バッタの顔が思い出される。


そうか。今度は末娘バッタの番なのか。


旦那としての彼の評価は置いておいて、父親として彼はちゃんとその務めを果たしていて、バッタ達はそれを評価しているということか。
まあ、父親としての選択は間違っていなかったということか。


未来は過去を変えている。
外は春の前の小さな嵐。








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2013年1月22日火曜日

子が親を凌駕する瞬間



確か、あれは中学1年の冬休み。
母方の祖父が東京から遊びに来てくれていた。
確か、腰を痛めたかで、温泉転地療養。
下り線専用プラットフォームに着いた特急から降りた祖父と、
並んで階段を上り、
出口に繋がる上り線専用プラットフォームに下りた記憶がある。
あの時も、今も、駅のプラットフォームは2つだけ。
高校の3年間を朝夕通ったのだから、あの階段を千回以上上り下りしたことになる。

私は、この祖父が大好きだった。
とても勉強が出来て、本当は医者になりたかったが、
子供がいない親戚の家に跡継ぎとして養子に行ったので、
法学部に進まざるを得ず、それから、養父のチョコレート会社に就職。
戦争で中国に行き、大変な思いをするが、
それでも、漢詩の素養があったから、中国では敵からも可愛がられ、
(と、いうことは、捕虜になったのだろうか?)
集団で歩いているところを陰から敵に狙われるが、
たまたま足に怪我をしていたので、皆より一歩ずれた途端に発砲され、
弾丸は祖父の前をかすり、隣人は即死。

こんな話を幼い頃に聞かされると、
漢詩を諳んじて書ける祖父を偉大と思い、
ますます尊敬し、命からがら助かった話を聞いては
恐ろしさと、そんな幸運に恵まれている祖父への敬愛の念は強くなるのであった。

その後、学校で漢詩を習うと、
諳んじて書けるようにと、努力したものだが、
ちっとも覚えられず、戦争になったらどうしようか、と
本気で思ったものだった。

祖父の実家は日本海に面した漁村で、
少年時代に海に潜ってサザエや蟹を捕る話を良くしてくれた。
それから、『養子』という響きも、なんだか不思議に思えた。
子がいなかった夫婦は明治の時代に合衆国に渡り、
チョコレート製造の研究をしたというから、興奮以上のなにものでもない。

そうか、
あの頃から、海外への憧れが膨らみ始めたのか、と、今、気が付く。

祖父自身も、仕事の関係で、海外に行っていたように覚えている。
祖父は絵葉書を私たち3人きょうだいに送ってくれた。
ジュネーブからの便り。ブラジルからの色とりどりの絵葉書。
「目がしょぼしょぼです。」そんな書き出しで、3人の絵葉書を合わせると一つの便りとなる仕組みであった。

あれは小学4年のころだったか。
工場見学と題して、夏休みの自由研究が課されていた。
私は早速、母に祖父のチョコレート工場を見学したい、と伝える。
母は喜んで、祖父にお願いしてくれた。
そうこうして、詳しいことは忘れたが、夏休みも終わりの頃。
母が、あのレポートはどうしたのか、と聞いてきた。
祖父を頼りにしていた資料は、手元には送られてきていなかった。
未だ祖父が送ってきていない、とでも言ったのだろうか。
平手打ちが頬に舞い降りた。
いや、頬に激突。

今なら、良く分かる母の気持ち。

時々、英語で『ハーワーユー?』
なんて言うので、こちらは真っ赤になって黙ってしまう。
漸く小さな声でお決まりの『アイムファインサンキュー。アンヂュ?』
と言う頃には、祖父の姿はない。

おしゃれで、上品で、知的で、海外にも行っていて、英語が話せて、
何よりも、本気で魔法が使えると思っていた母の父親である祖父。

そんな祖父が、冬休みをゆっくりと一緒に過ごすという。
こんなに嬉しいことはなかった。

我が家での冬休みの娯楽は『百人一首』。
母からも祖父は滅法強いと聞いていたので、教えてもらおうと、毎日の様に祖父に手合わせをお願いした。
カードに書いたり、テープに録音したりと、必死に確実に取れる札を増やしていった時期。
そうして、遂に、源平で祖父を負かせてしまった晩、
なんだか、してはいけないことをしてしまった感覚に襲われる。

そうして、
冬休みが終わる前に、祖父はまた、駅のプラットフォームに立つ。
あの時、とても悲しくて、ずうっと、死ぬまでここにいればいいのに、と言ってしまって、
『死』という言葉が、異様に空気に浮いてしまい、
どう取り戻そうか、その場をどうとりなそうかと、必死になったことを覚えている。

今思えば、あの時が祖父があの駅のプラットフォームに立った最後となってしまった。

今年も、バッタ達と百人一首を並べる。
昨日は、息子バッタが読むとうるさいので、久々に取り手となる。
相手は、末娘バッタ。
何年ぶりになるだろうか。緊張が腕に走る。

最初はどんどん末娘バッタの札が読まれる。
札を追うときに、視力が落ちたことを嫌と知らされる。
『きみがため』
息子バッタの、たどたどしい声が聞こえる。
長くも、か、我が衣手、か。
『は』
同時に、はいっ、と末娘バッタの意気揚々とした声。
しまった!
我が陣営の札が、捕られてしまった。
まさか。。。

敵はそれに心を許したのか、
それで満足したのか、
或いは、
私の闘争心に漸く火がついたのか、
それからは、こちらのほぼ一人勝ち。

まだまだ、負けられやしない。

祖父を懐かしく思いつつ、
気持ちを引き締める。

バッタ達よ、
やすやすと母を負かせられるなぞ、ゆめゆめ思うなかれ。


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2012年3月2日金曜日

30年前の母に自分の姿を重ねる瞬間



地下鉄を乗り継いで、
階段を駆け上がり外に出ると、
突然甘い香りに包まれる。
屋台のクレープ屋さん。
ここでオヤツを買ってあげようかな、
そんな気になる。

ユニオンジャックが堂々と風にたなびく建物に入り、
こちらも階段を勢い良く駆け上がる。

ぴたり、とホールの前に出る。
Turner

そっとドアを開けて入ると、大勢の人々が今か今かと待っている。
丁度真ん中にぽっかりと空席を見つけ、滑り込む。
と、同時に、子供達が入ってくる。

小学2年生ぐらいの子達から始まり、
お面をつけた子達がぞろぞろと入ってきて、
もうちょっと大きめの子達が入ってくる。
ママやパパの顔を見つけて照れながらも嬉しそうにしている。

列の最後に、
本当に一番最後に、
ちょっと心配そうな末娘バッタの顔がのぞく。
ぱっと頬が紅潮し、お得意の円満の笑顔になる。
「来てくれたんだ。」
口元がそう動いた。
前の子をつついて、なにやら嬉しそうに話をしている。
ママが観に来てくれたよ、とでも言っているんだろうか。

今週一週間、午後だけ英語の講習会に参加した末娘バッタ。
本来なら、もう2年前に英語の授業を開始しているのだが、
バッタ達の通う学校はちょっと特殊なカリキュラムなので、
英語の授業は来年からとなっている。

それでも、オーストラリアに夏に二ヶ月行っている長女バッタや息子バッタが最近は仲良く英語で会話をしたり、
映画のDVDを英語で観たりするので、
自分も早く英語を覚えたいとの欲求があるのだろう。
朝から一日フルコースで長女バッタが英語の講習に行くことになったら、
末娘バッタも、自分の学年の午後だけのクラスに行くと言う。

パリにいるパパのところから通うので、
一体、順調なのか、楽しんでいるのか、大変なのか、皆目検討がつかない。
初日だけ、早く着き過ぎたからと、長女バッタから電話があるが、
翌日からは、こちらでSMSを送っても、返事さえろくすっぽない。
こういう時は、友達もでき、充実した時を送っているのだろうと推定する。
夜、漸く簡単なSMSがくる。
皆元気。宿題が大変。楽しいよ。
それぐらい。

長女バッタはいい。
が、末娘バッタは、学校でまだ習っていないのに、これまで2年間習ってきている子供達と一緒のクラスで一体大丈夫なのか。
まあ、大丈夫なんだろう。
息子バッタにいたっては、バドミントンの研修。
すぐに友達ができて、大いに楽しんでいるに違いない。

そうして金曜になり、
末娘バッタのパスポートを取りに大使館まで行く日になる。

月曜と同じ。
10時半にぴたりと車をアパートの前につけるや、
末娘バッタが、本当にバッタのごとく飛び込んできた。

車を出すや、手を伸ばしてくる。
そうして、今日、1630分に、英語の発表会があるという。

え?今日?
で、家族が観に行っても良いの?
パパは行くの?

どうやら、パパが観に行くことにはなっていない様子。
さもありなん。
しかし、どうして今まで黙っていたの?
ママに教えてくれれば良かったじゃない。

末娘バッタは、今日会って言うつもりだった、と言う。
そして、今日では、もう遅い?と聞かれる。

段取りというものがあるだろう。
パスポートを取りに大使館に行くのだって、
勤務時間内。
上手く、時間をとって来ている。
その辺が、未だ子供には分からないのだろう。

何をするのか聞いてみると、
驚くほど綺麗な発音で、
汚れたボトルを洗浄してから捨てよう、
といった話をし始める。
どうやら、授業のテーマは環境問題であったらしく、
リサイクルを連発している。

冬のバカンス。
月から金まで、午後の時間のみとはいえ、パリで英語の講習にこの年齢の子供を通わせる親を想像してみる。
きっと、皆、発表を観に来るだろう、そう思う。

約束はできないな。
明日土曜のお昼の後には会うのだから、その時にゆっくり話を聞くからね。

とりあえず、場所だけ聞いておく。

クラスでやる、と自信なさげな様子。

連絡の紙をもらったのなら、そこには、なんて書いてあったの?

ちょっと困った顔をする。
パパに渡してしまったのか。
これが息子バッタだったなら、渡す前に自分が読んでいるだろう。
末娘バッタには、もうちょっと好奇心を持って欲しいな、なんて思う。
まあ、会場に行って見れば、どうにでもなるか。

そう思いながら、
この間以上にスムーズに大使館前に駐車ができ、
パスポートを受け取り、小切手を支払うと、
風の様に末娘バッタをアパートの前に送り届ける。
明日ね、と言って。

オフィスに戻る途中、
ポケットの携帯が震え続ける。

走行中の携帯使用は減点2ポイント。

それでも、まさか、オフィスからの電話かと気になり、
慌てて耳に当てる。

と、末娘バッタの声。
ママ、Turner Hallだったよ。
turner」の発音に思わず身震いするほど感動する。
幼い頃からバイオリンをしているからなのか。
或いは、既にバイリンガルだからなのか。
なんと美しい英語の発音。
完璧じゃないか。

アパートに戻って、慌てて連絡の紙を見たのだろう。
そして、ベビーシッターさんにお願いして、
彼女の携帯を貸してもらったのに違いない。
ママに知らせなくっちゃと思って。

その時点で心は決まった。
観に行こう、と。
たとえそれが、学芸会程度の、10分もしない発表であったとしても、
たとえ会場への往復で1時間使おうとも、
たとえそれで、今晩帰宅時間が遅くなったとしても。

末娘バッタの
キラキラ光る瞳と紅潮した頬を見た瞬間、
鼻の奥がつんとしてしまう。

忙しくて来れないだろうな、
と諦めつつも、
お母さんのことだから、来てくれるかな、
と思いながら、
そうして、母の姿を講堂の隅に見つけた時のなんともいえない驚きと嬉しさが
突然甦る。

その時の母は着物姿で、
はらはら、はらはら、と
涙がこぼれていて、
ハンカチを使っていて、なんと優雅であったことか。

あの時は、純粋に、母の姿に美を見て感動した。

今、あの時の母と自分が重なり、
子を思う母親の気持ちが体中を駆け巡り、
母への感謝の思いが新たに溢れ出て、
あやうくこぼれそうな涙をぐっとこらえる。


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