2014年8月19日火曜日

記憶





最近の建物にはどこでもコードが必要。もちろん、不審者除けなのだろうが、利用者にとって覚えやすい数字の羅列であることも、重要。従って、大抵、横続き、縦続き、或は縦と横の組み合わせなど工夫されている。

先日、オフィスのコードを電話で問われて、思わず同僚に助けを求めた私に対し、ボスが大慌て。今までコードを教えていなかったのだろうかと申し訳なく思ったらしい。が、すぐに、一体毎日、どうやってオフィスに入るのかと不審がられてしまう。何のことはない。指が覚えているのである。意味のない数字の羅列よりも、手の動き、指の流れが正しいコードをはじき、ドアを開けてくれる。

これは、ヴィオラを弾く時にも当てはまる。いや、ヴィオラを弾くようになったから、とも言えようか。先ずは、子供たちがヴァイオリンを弾くことで、曲を音符で覚えたが、そのうちに、同じ曲をヴィオラで弾くようになると、曲こそ同じでも音階が変わってしまう。それで、頭の中がぐちゃぐちゃしてしまったが、それよりも指が音を弾き出すことに気が付き、指を頼りにするようになってしまっていた。

その話をすると、つまり、指が覚えているから無意味な数字の羅列は記憶していないことを伝えると、ボスは呆れてしまった。

その呆れように、こちらが慌ててしまう。いや確かに、人間とは、覚えようとする気持ちがないと、ちっとも頭に入らないことに、自分自身も呆れてしまう。

そうして今朝。5時に起きて小一時間の散策を楽しみ、宿舎に戻る。コードは指が覚えているはず。が、なんと、覚えていたと思っていた動きをしても、ドアはピクリともしない。同行していた妹も同じように慌てている。おかしい。指の動きと、紙に書いてあった数字の記憶を蘇らせるが、何度やっても上手くいかない。6時半になるが、誰も起きてくる様子はない。しっとりと汗ばんでいた身体は、今ではすっかり冷え切ってしまっている。宿舎を一回りするが、鍵が閉まっていないドアは一つもない。流石にドアを叩き、大声を挙げ、誰かに助けを呼ぶことは避けたい時間帯。

そこで、大きなキャンパスの端にある守衛所まで逆戻り。挨拶をし、コードの話をすると、すぐに教えてくれる。その数字を見て違和感を覚える。「1」がない。おかしい。確実にあると思っていた数字が入っていない。これまで、自分の記憶に頼っていたことが、どんなに危ういことで、バカバカしいことか身を持って知らされる。情けなさでぐったりとしてしまう。

同じように項垂れていた妹が鬼の首をとったような嬌声を挙げる。最初は何を騒いでいるのやら、分からなかったが、どうやら最初に教えてもらったコードの数字自体が間違っていたことが判明。我々の記憶違いではないことが分かる。

そうか。
怒りよりも、何よりも、自分の記憶がまだまだ大丈夫であることに正直安堵してしまう。

いや、自己過信はやめよう。これからは、メモしておくか、無意味な数字の羅列に意味を持たせて覚える努力を怠るまい。因みに、今回の数字は二個(25)焼く(89)。渡された紙に書いてあった数字は2581。

しかし、これだけのことがあれば宿舎にいる一週間、絶対に忘れることはあるまい。

本日もイギリスは快晴。





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