「幸せだわ。」
うっとりとした様子で彼女は独り言つ。夏の昼間の日差しに包まれ、パラソルの緑の陰で、ピンクの薔薇が咲き誇る中、その穏やかな目元から今にも涙がにじみ出んばかり。
「でもね、実は素直に幸せを感じられないの。」目元の涙を説明するかのように言葉が続く。「日本にいる両親を思ってしまうの。二人は、これまでも、そしてこれからも、きっとここには来れない。だから、私一人で幸せを味わってしまって申し訳ないって。」
想像もしなかった言葉に返事ができないでしまっていた。
私が19の時に亡くなった父にバッタ達を会わせたかったな、と思ったり、この場に母がいたらな、と思ったことはあるが、それは飽くまで自己中心的発想。彼女の言葉は親孝行というより、むしろ慈悲の心からきているのであろうか。
バイクの音で目覚めるバンコク。通りに立ち込める香辛料と香草の香り。もう遠い記憶でしかないが、容赦ない暑さと、あくまで青い空、怪しげなトクトク。アジアの地でもっともエキサイティングで、機会あればぜひ行きたい地。そこに昨年夫婦で小旅行をしたと言う。ところが、そこでの貧富の差を直に感じてしまい、心から楽しめなかった彼女の様子を、彼女のことを高校の頃から知っている旦那が、愛する人について誇らしげに且つ労りながら、控えめに静かな声で伝える。
深淵を覗いてしまった者は、覗く前の自分ではありえない。見知ってしまった者としての責任を負う。それでも、である。悩み多き自分の人生でさえ漸く生きているのに、他人様の事情までをも背負ってしまったら、潰されてしまうではないか。観音様ではない限り。
すると、優し気な目元を一層細めて、「悩みねえ。」「悩みなんてないよね。」そう旦那に微笑む。すると、やっぱり同じように優しい笑顔で「そうだね。悩みはないよね。」と旦那が答える。
そうかと思うと無邪気な子供の様に、道端の草花に歓喜し、ゆっくり立ち止まって挨拶をする。まるで真っ赤なポンポンダリア。華麗でいて気品があり、潔くて愛らしい。
今年の夫婦水入らずの小旅行はフランス。その貴重な一日をこうしてモネの庭のあるGivernyで私と過ごしながら、別れ際に彼女が尋ねる。どうして、彼らの観光に付き合ってくれたのか、と。
友達だから。
その単純な答えを飲み込んでしまう。尋ねてきたということは、この答えを予想していまいと、変に遠慮してしまう。
ホスピタリティについての思い出話をして答えとしてしまう。ああ、こんなことを言いたいのではないのにな、と思いながら。
それに、Givernyに行くことを強く勧めたのは、この私なのだから。
Givernyへの思い入れは強い。
数年も前になる平日の午後、仕事を何とか切り上げて、地図を片手に隣でナビをしてもらい、光と影がまばゆい空間を初めて訪れる。一時の解放感で有頂天になりながら無花果のシャーベットを味わったことが忘れられない。その後、ゆっくりと柳の枝が風にしなる音を聞き、うっそうとした緑の藤の枝がくっきりと切り取る空間を発見し、蓮池に映る空の色に心動かされる機会を持つ。それから長女バッタと母を連れ、オーストラリアのホストファミリーを連れ、台湾の妹一家を連れ、と、何度も訪れている。
そうして、曖昧な追憶は、確固たる確信となる。もうずいぶん前に、バッタ達の父親と一緒に訪れたことがあった、と。訪れるたびに、その幹に触れる、見上げるばかりの巨木である柳に伝えられたように思う。
友人たちがパリに遊びにくると、決まってモネの庭を訪れることを勧める。友人たちに楽しんでもらいたいとの純粋な気持ちが当然あるが、一緒に訪れることでの私の楽しみもある。
真っ赤なポンポンダリアの君よ。
またきっとフランスに訪れてきてくれることを待っているよ。
広隆寺の弥勒菩薩のように慈悲深く、思慮深いながらも、ポンポンダリアの様に軽快で明るく輝いている君に、これからも幸多からんことを。
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