「明後日の晩、何か予定がある?」
「別にないわよ。」
「北の街に行くんだ。夕食でもどう?」
「喜んで。電車の時刻を見てみる。」
サイトで電車の時刻表を睨みながら、明後日は数ヶ月前から準備していた講演会があることに気が付く。どうするか。ひょっとしたら、相手は翌日もそこにいるのかもしれない。慌てる前に、予定を聞いてみる。
「その日だけだよ。」
「その日、行く予定をしていた講演会があるの。」
幹事とは名ばかりながら、当日は受付と会計を担当することになっていた。
それでも、北の街での夕食に気持ちはすっかり傾いている。ありえない、と思いつつも、関係者にお詫びのメールを書き、知り合いに受付と会計をお願いする。
会社から駅に駆け込むことになるだろうから、慌てないように事前にチケットを買って印刷をしておく。
当日、夕方携帯がなる。
まさか?
ちょっと緊張した声で受けると、のんびりとした明るい声が返ってくる。乗車券はもう買ってしまったか、と聞かれる。購入済みと言えば、キャンセルできるか、と聞いてくる。要領を得ない。一体どうしたのか。すると、思っていた以上に早く仕事が終わってしまったので、パリに戻るという。夕食はパリにしよう。
ちょっと待ってくれ。こちらはチケットを購入済み。しかし、誰もいない北の街に一人で行く気にはなれない。それなら、とキャンセル。30ユーロのキャンセル料を徴収されるが、60ユーロは戻ってくる。まあ、仕方ない。
深く考える間もなく、打ち合わせの時間となり、気が付いたら18時を回っている。そろそろパリに戻ってきた頃だろうか。レストランの予約はどうするのか。慌ててSMSを送ると、電話が入る。
「チケット、キャンセルしちゃったの?」
えっ?まさか?真っ青になる。
「ちょっと、どこにいるのよ。仕事が早く終わったからってパリに戻ってきているのじゃないの?」
「いや、あれから色々あって、まだこちらにいるよ。」
「何言っているのよ。それならそうと、早く言ってくれなきゃ。キャンセル料を支払ってチケットはキャンセルしたし、もしも電車に乗るにしても、もうオフィスを出ないと間に合わないわよ。これを逃すと、次の電車は22時にそちらに到着なのよ。」
信じられない思いを抑えつつ、打開策を必死で考える。待てよ。もしかしたら、本当に今ダッシュしたら、電車に乗れるかもしれない。
一方で、そこまで走って行って、乗り遅れた時の虚しさ。騙されたような、虚脱感を味わうことへの恐怖も覚える。
それでも、行こうか、と思う。
このところすっかり雨降りになり、猛暑はどこに行ったかと淋しく思っていたが、急に夏の日差しが空を明るくしている。
これで本当に間に合わなかったら諦めよう。
一瞬、さっさと諦めて、講演会に行くことも頭を過ぎる。それでも、足は駅に向かってダッシュしていた。
これは罠かと思う。試されているのか。いや、馬鹿にされているのか。
北の駅に着いてみれば、慌ててパリに戻っていた、となることも十分考えられた。
全くなんてお人好しなのか。大学生の頃、そう親しくない友達を二時間も駅で待っていたことを思い出す。そうして、その友達はちゃんと二時間遅れてやってきた。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、キャンセル料まで払ってキャンセルしたチケットを改めて正規料金で買う。あと5分。
こんな時に限って指定車両はプラットフォームの奥にある。それでも、吸い込まれるように車両に乗り込むと、電車は静かな音を立ててドアを閉め、出発。
間に合ったか。
車窓からの景色は真っ青な空がまぶしい。
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