母の日は国によって違う。
ずっと昔、バッタ達のパパが日本にいた時、母の日だと言ったら大急ぎでフランスの母親に電話をして、母親から冷たく、母の日なんかじゃないと言われて電話を切られてしょげていたっけ。あんまりしょげていたので、もう一度、話がしたいからって電話をするように勧めたことを思い出す。長時間の電話の後で嬉しそうにしていた様子をみて、異文化での生活はそんなに簡単なものではなく、郷愁を覚えるものなのだろうな、と、こちらまで哀しく思ってしまったこともあった。いや、それよりも、新聞『Le monde』を大切そうに読み返していた姿が印象的であったか。異国での母国語への郷愁、愛惜の情。
話が思わず逸れてしまったが、壁に掛かっているオーストラリアのカレンダーの母の日も。これまた日本でいうところの母の日、そして、フランスの母の日と違う。日本への母へは、それでも忘れずに、何か贈るか電話をすることにしていたが、遂に今年は忘れてしまっていた。
一方、バッタ達は、学校で何かを作ってくる年齢はすっかり過ぎてしまっているが、彼らにとっては何だか重要な日のようで、パパの週末にぶつかることがあれば、長女バッタが代表でパパに電話をして、堂々と日程の交渉をしてしまう。そして、幼い時から、どうやって手に入れるのか、大きな花束やプレゼントを用意してくれていた。今年は、確か、試験とぶつかったのか、なんだか忘れてしまったが、どうやら母の日を勝手にバッタ達が決めてしまっていた。
そして、ある日曜日。いつものように、鳥の囀りで起き始めると、驚いたことにバッタ達も起き始める。オーブンが温められ、包丁がリズミカルに音を奏で始める。優雅な朝は、フレッシュなお水、そして、珈琲、などと日頃嘯いているので、遠慮がちに長女バッタが聞いてくる。朝ご飯はいつにする、と。ポーチドエッグが品よく皿に盛られている。息子バッタもキッチンでなんだかそわそわしている。
ママ、いつもありがとう。
そういって、バッタ達三人が揃って牡丹の花束をプレゼントしてくれる。魔法瓶と一緒に。
甘い香りに包まれ、なんだか不思議な気分。
朝食の後片付けは、息子バッタがキッチンに残り、食器洗い。
母の日。
サラダ記念日じゃないけど、バッタ達が勝手に決めてしまった今年の母の日。
ありがとう。
これまでは 試験イベント 暇がなし だから今日こそ 家の母の日
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