2015年5月23日土曜日

コクリコの輝き




「ママはちっとも僕の話を聞いてくれない!誰も僕の相談に乗ってくれない!」
息子バッタの悲痛な叫び。
「ちょっと待ってよ。今まで、口を挟むなって言っていたのは誰よ!」長女バッタが応じる。

話を聞かなかったわけでもなく、相談に乗らなかったわけでもない。できたら、彼が考えを変えることを待っていたのである。思考停止状態に陥った母親に代わり、長女バッタがテキパキと息子バッタの話を聞き、判断し、父親に電話を入れている。「なんでパパに相談しなかったのよ。」と言いながら。「僕からパパには言えなかったんだよ。」息子バッタのか細い声が聞こえる。何故?パパは大喜びで相談に乗るだろう。そうして、こう言うに決まっている。「そうか、分かったよ。じゃあ、パリにおいで、」と。

息子バッタが高校を変えることになれば、パリの高校に行くことになり、それは父親と一緒に暮らすことを意味する。それが彼にとってどうなのか、と考える前に、彼が我が家から出て行ってしまうことなど耐えられないと思ってしまっていた。父親との生活を選ぶのか。ならば、これまでの数年は何であったのだろう。

親であれば、子供の自立を願うものである。巣立っていく子達に誇らしげにエールを送るものである。

この夏には長女バッタが我が家から巣立っていくことになっている。それさえ考えただけでオロオロしているのに、今度は息子バッタまで出て行ってしまうのか。

今の高校はフランスでも高水準にあり、他に移る必要などあろうものか。少しでも苦手なことがあると、それを克服しようとせずに、回避しようとする。息子バッタの悪い癖ではないか。そんなことで、これからの人生どうする。

そう思う一方で、確かに今の状況は彼にとって大きな足枷であり、分かっていながら、続けさせるのも酷ではないかとの思いもある。今の高校だけが高校ではない。

母親というよりは、私個人のエゴが息子バッタを引き留めようとしていることに気が付いていた。しかし、どうしろというのか。私は、息子バッタが父親の下で生活していくことを思うだけで辛いのである。彼は未だ羽ばたくまでに時間がある筈じゃあなかったか。あと二年間、親元で暮らすのであれば、なぜ母親の私のところではないのか。

シャイの息子バッタと思っていたが、母親が当てにならないと分かったからか、自分で転校先をサイトで調べ、高校の進路指導室に相談に行き各種情報を揃えてきた。どうやら本気らしい。

悶々としている時に、学生としてフランスに来た時からの恩人でもあり、友人でもある方からメールが入る。バッタ達のことも赤ちゃんの頃から良く知っている。すぐに電話をし、状況を説明すると、そんなこと分かっていたことだと言われてしまう。そして、親元を離れてパリに来た貴女がそんなことを言っているのが、面白いね、と言われてしまう。

その後彼女からメールが届く。
ただただ健常に生まれて問題なく健康に育ってくれて、法的はもちろん倫理的道徳的に問題を起こさない子供に育てるというのはそれだけでものすごいことで、その上学業ができて望む職に就けたら感謝感激で、自分の近くにいるかどうかはほんの些細なことに思えるんだけど。。。子供達は輝いて羽ばたいてくれるようだし、何よりではありませんか。

そうだよね、と思う。分かっている。
心の準備が全くできていなくて慌てていた。

そうして、我が身を振り返る。そう言えば、いつだって外に出ていくことばかり夢見ていた。大海に出ないと、井戸の蛙で終わっちゃうと思っていた。早く世界に飛び出したと願っていた。父が亡くなって、一人になった母を残していくことに、これっぽっちも思いが至らなかった。親との時間よりも、これから自分が世界を相手に過ごす時間に胸をときめかせた。若くて、前しか見ていなくて、何でも出来ると信じていた。

あの時の自分に息子バッタが重なる。
よし。
もう大丈夫。彼を応援しよう。

息子バッタがネットでダウンロードした願書の親の署名欄に、サインする。
どんな結果になったとしても、今、新たな挑戦を願って自分から動いている息子バッタにエールを送ろう。

コクリコに太陽の日が降り注ぎ、朱色が透明に光っている。









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