腕が上がらなくなって、少し仕事のペースを落としたのも束の間、これまで以上にハードとなり、最終バスで帰る日が続くある夜、ぐったりと夕食をとりながら、バッタ達にその日の出来事をそれとなく聞いていた。
既に学校は夏休みに入っており、息子バッタはバカロレアのフランス語の試験、末娘バッタは中学卒業検定試験を受けるのみ。従い、バッタ達は一日我が家にいる寸法。その日の出来事を聞くといっても、朝は何時に起きたのか、どこかに出掛けたのか、特別なことはなかったのか、お昼は何を食べたのか、といった、極単純な内容。
で、その日はお昼にメロンを食べたと報告がある。む?週末に近所の八百屋で購入した、ちょっと大き目で美味しそうなメロンを思い出す。あれを昼に食した?
「ママの分は?」
驚くのはバッタ達。二人で食べちゃったよ、との答えが返ってくる。
なんですって?あのメロンをママがいない時に切り、しかも、ママの分を残さずに二人で食してしまった?信じられん!
急に頭に残っていたメロンの映像がビビッドになり、芳醇な香りを放ち、うっとりとする程ジューシーな実が現れる。
バッタ達にはママがそこまでショックとなっていることが分からない。
彼等の姿を見て、余計にブチ切れてしまう。
「ママが楽しみにしていたメロン様をよくも自分たちだけで勝手に食べたわね。」
真っ青になって泣きそうな末娘バッタ。その日の献立は人参のソテーとヤキトリにフライドポテト。「御飯を炊かなかったの」との身勝手な母親の発言に、顔がくちゃくちゃになる。
「ママ、昨日は野菜がないって言ったじゃない。だから野菜炒めを作ったんだよ。疲れて帰ってくるママをリラックスさせてあげようと思っているのに、いつも逆になっちゃう。」
おおおおっ。そうか。
半泣きの末娘バッタと、彼女と同い年ぐらいの自分の姿が重なる。いつも仕事から疲れて帰ってくる母の為、夕食の準備をしていた中学生の頃。母が当時バイブルとしていた魚菜さんの料理本を見て、ドライカレーを作って待っていた。会社から帰って来た母は、鍋を見るなり怒り出す。ドライカレーにポテトが入っているのは邪道だ、と。せっかく楽しみに帰って来たのに、これは何だ、と。
あの時、お母さん、仕事で嫌なことがあって、くさくさして疲れて帰って来たのか。そうだったんだ。40年前のもやもやが解明される。
がしっと末娘バッタを抱きしめる。ごめんね。ママが悪かった。人参ソテー美味しいよ。夕食ありがとう。
40年前のもやもやが解明されると同時に、メロン事件についても霧が晴れたようにすっきりする。
つまり、バッタ達にとってのメロンの価値と、私にとってのメロンの価値は全く違うものなのだということ。仏壇にお供えされているマスクメロンの姿なぞ、バッタ達は見たこともないし、彼らの頭ではメロンも甜瓜も一緒。ましてや、フランスでは二個幾ら、と普通に一般の食卓に上る果物として流通している。
これまた40年前、母たちにとってバナナが高級な果物だったことを聞いて驚いたことが甦る。
冷蔵庫に冷やしてある真っ赤なスイカを見て、きっとバッタ達にとっては、スイカもメロンも同じレベルの果物なのだろうな、と変に納得してしまう。
今度は、メロンは二個買うか。甘くて美味しいスイカを口に入れて独り言つ。
真っ暗な庭に真っ白な卯の花。
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