台湾の朝は早い。
7時前には学校に行ってしまう姪と甥。朝食は車の中でとるらしく、お土産のチョコ入りブリオッシュを一切れ、ママが袋に入れている。中学生の姪は、前日、11時まで生物の宿題に取り組んでいた。人間の肺の模型を作るとかで、ペットボトルを輪切りにし、風船を両側につけ工夫をしていた。さながら、ペットボトルが胸郭、輪切りにしたところにつけた風船が横隔膜、ボトルの口から内部に入れ込んだ風船が肺、といったところ。ボトルの上からマジックで肋骨を書き込む。何やら図鑑で骨の数まで調べているから驚いてしまう。図鑑の絵はそこまで正確なのだろうか。考えもしなかった。恐らく、そう、恐らく、宿題は風船を二つペットボトルに着けるところで完了なのであろう。ところが、芸術肌の彼女は、そこに肋骨を書きたくなったのだと思う。そして、恐らく、それで十分な筈なのに、驚いたことに、彼女は粘土をどこからか引っ張り出してきて、このモデルに緑のジャケットを作っていた。
それで、11時まで時間をかけて宿題を仕上げ、翌朝は6時起きで他の宿題の見直しをしている。競争社会の台湾では毎日試験があり、成績順位が発表されるらしい。若さなのか。それがちっとも苦でもないらしく、こうして、ちゃんと自分の楽しみを究めているところを垣間見ることが出来、伯母としては嬉しい限り。
毎日、お弁当を持っていくというので、一週間の滞在期間中に二回程作ってあげる。そうして、彼女の弁当箱を手にして、大いに驚く。そこには、レミゼラブルよろしく、番号が打ち付けられている。暑さで食品が傷みやすくなることを懸念してか、学校では一斉に弁当箱を蒸すので、必要らしい。その事実にも驚いてしまう。
生徒番号、と言えば聞こえはいいが、どうやら、その通し番号は彼女が三年間の中学生活でずっとついて回るらしい。クラスの生徒数は45人、一学年のクラス数が気の遠くなるような数字。ちょっとした一つの村が入ってしまいそうな規模ながら、当地では普通らしい。そういえば、制服にも、名前ではなく、長たらしい数字の羅列が刺繍されていた。
フランスだって社会保険番号がある。しかし、当然名前も重要。いや、そう思っているだけで、実は番号だけで処理されているのかもしれない、とぼんやりと思う。
我が家の末娘バッタの大好物である三色弁当、そして、つくね弁当を作る。
クラスの友達とわいわい楽しみながら、フランスから遊びに来た伯母が作ってくれたと見せ合いっこするのかな、と、彼女のお昼の時間を想像してみる。びっちりと5時までの授業を終えて、どっぺりと疲れた中学一年生の頭には、お弁当の味なんか報告する優先順位は低い。が、どうやらママから言われたのだろう。殊勝に「美味しかったよ。ありがとう。」と言ってきた。いやいや。つくねは味が濃すぎたかな。お友達は何て言っていた。そう振ると、驚くべき答えが返ってくる。
そこは日本の学校と同じで、クラスでお昼になるらしいが、騒ぎがあってはいけない、と皆それぞれの席に座って、前を向いて大人しく食べるという。テーブルを寄せ合って、或いは、仲良しと一緒になって、おしゃべりしながら楽しい時間、といったイメージではない様子。
そうか、そうか、そうなんだ。だから、友達がどんなお弁当なのかも知らないらしい。きっと、彼女がそんなことには関心がないんだろうな、と思ってもみる。
遠い昔、長女バッタが幼稚園に行きはじめたころ、ランチは食堂に行き、前菜、メイン、サラダ、チーズ、デザートとあると聞いて驚いたことを思い出す。そうそう、日本に行って、食後に「デザートはなあに?」と息子バッタが聞いて、かなり顰蹙を買ったっけ。
こんなところで、これだけ大きな違いがあるのだから、それは価値観の違いや解釈の違いでの行き違いもあろうな、と思う。でもきっと、バッタ達は台湾の甥や姪を大いに理解していて、いつか何かあった時に、味方になるだろうな、と思う。同じように、甥や姪も、バッタ達に何かあった時には、味方についてくれる大いなる理解者だと思う。
個人のレベルを超えた繋がりとなれば、それこそ、国際人としての彼らの存在意義とはなるまいか。
日本で生まれ育った一卵性双生児の一人が臺灣、一人がフランスに居住し、それぞれに三人の子に恵まれ、育てているという、人生の妙。これから、この6つの粒が、どこにどう飛んでいくか。。。とっくり楽しむ前に、我が人生をなんとかせねば。
何とも言えない力が、どこからか湧き上がってくる。
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