遠い昔、丁度、今のバッタ達の年齢の頃、いつか一家に数台テレビが置かれるようになるって話で盛り上がったことを覚えている。
せっかくの家族団らんの時なのに、との反応をしたのだろうか実はうろ覚え。それよりも、テレビを置く部屋が幾つもあること自体、考えにくかった。
そうしたら、一つ上の兄が、そのうち皆がそれぞれにテレビを持って観るようになるんだよ、と言うので仰天してしまった。なんだって信じられないことを言うのだろう。皆が一人一人自分の部屋に閉じこもって、こっそりテレビを見て楽しんでいる光景が頭に浮かび、不健康で不幸せだな、と感じた。
ところが、兄はそんな凡庸な発想など蹴散らすように、目をきらきらとさせ、将来の楽しい像を描いて語る。
小学生の頃から、当時、大きなコンピューターをどこからか仕入れて、プログラムをするような兄だった。あのコンピューターはどこからきたのだろうか。中学の頃には、確か東京にプログラムの講習に行って、学生で、しかも地方からわざわざ受講に来たとかで新聞にまで載ったことを覚えている。
変わった兄だった。
資源を大切に。節約。節制。こんなことを学校で学ぶと、すぐに率先し、家中の電燈を消して回ったり、水を節約して使ったものだが、そんな私を兄は呆れて見ていた。そんなことをしていたら、人間、発展はない、と。石油がなくなるのであれば、違う代替エネルギーを考えねばならず、そうなるためには、石油を使わねばならない、と。
どうして同じ親から、こんな発想を持つ兄が育ったのか、今でも不思議。
いや、兄の方が、同じことを妹の私に思っていたのかもしれない。
何を聞いても答えてくれ、物知りで、どんなことにも薀蓄を傾け、読書家。
確か、中学の数学の試験で、いつも時間が足りないとぼやいていたことを思い出す。そうして、それが、実は同じパターンの質問には、別の回答方法を示さないといけないと思っていたから、と知った時、本当に驚いて口がきけなかった。
要領の良さ、なんて彼にとっては価値のないことなんだろうな、と思う。
大学受験の時に、「悪魔に魂を売らないといけないよ」と言われたことも印象的。
彼は、悪魔に魂を売って受験に臨んだ、なんと純粋な精神の持ち主。
一方、私は自分の考えよりも、試験の問題の出題者がどんな答えを期待しているのかを想像し回答することに、何ら疑問も抱かずにいたことに思い至り、なんだか居心地が悪くなる。
とにかく、そんな兄の言っていた世界が今、現実になっている。
左ではアメリカのテレビシリーズを観て笑っている息子バッタ、右ではのだめカンタービレを観て興奮している末娘バッタ、そうして、真ん中で名探偵コナンの劇場版をチェックしている。
決して悪くない。
皆がばらばらなんてことはない。
時々、サロンで一緒に映画を観ることもあるけど、こうして、それぞれが好きなものを一緒に観るのって、悪くない。
兄は、今頃、何をしているだろうか。
30年以上先を見通せたその先見性の高さは一体どこで培ったのか。
久しぶりに話がしたくなる。きっと笑いながら、こちらがびっくりするような話を、普通のことのように話してくれるに違いない。
白酒でもお土産に、ちょっと遊びに行ける距離ならいいのに。
にっこりと笑顔で昨日会ったように話が弾むに違いない。
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