大切なものだからと、とっておきの場所に保存して、時間が経ち、保存していたことさえ忘れてしまうことって、少なくない。
例えば、貴重な日本からの食料品、お土産。
誕生日やクリスマスの贈り物。
日本から母や、台湾から妹一家が遊びに来る時は、大いに慌てる。
貴重な海苔、ふりかけ、梅干しだからこそ、ケチって使って残しているのに、「あら、口だけで必要ないみたいね。」なんて言われてスーツケースに戻されてしまいかねない。
台湾から送ってもらった貴重な珍珠奶茶の材料。特別な時に作ろうととっておいてあるが、送ってもらって随分とたってしまった。このバカンス中に、バッタ達が帰って来たら作ろうか。
先日、ロイヤルアルバートホールでコンサートに出演するバッタ達の為に、日本から駆けつけてくれた母。冷蔵庫、冷凍庫、食品棚、すっかりと綺麗にしてくれたが、「あら!」と見つけられてしまった。
ブラジルからお土産に買って来たCafé Pilão。
母の友人宅の鬱蒼とした林を眼下に見下ろせるテラスでご馳走になった、あの味とはいかずとも、その時の珈琲だと思うと嬉しくなる。
酸味と苦味のバランスというが、しっかりとローストされた香りと飲んだ後の爽やかさといったらどうだろう。味にキレがある。
ブラジルの楽しい思い出が一瞬にして甦る香り。
大切に一匙、一匙、しっかりと煎れて楽しんでいた。新鮮さを保つためにも、冷凍保存にしてもいた。
それを今回見つけられてしまう。
でも、正直、大切な奥に隠していて、そのありかさえも忘れてしまっていたというのも事実。
その赤が基調のパッケージを見ながら、最後の一匙をすくって、熱湯で豊かな香りが立ち上る様を楽しみながら、もう一つの隠れた、自分さえも気が付かなかった別の思いが忽然と湧いてくる。
そうか、そうだったんだ。
あの時、二袋買ってきて、一つをお土産としてお世話になっていた珈琲好きの友人に渡していた。その後、あっという間に飲んでしまったと聞いて、そんなものかとちょっと残念に思ったが、取り敢えずは喜んでもらえたのかと、記憶の底に置き去りにしてしまっていた。
本当のところ、自分でも知らずに、一緒に味わえたら、この豊かな香りを分かち合えたらと、そんな秘めた思いがあったことを今更ながら思い起こす。それが、相手は一瞬にして味わい尽くしてしまったと聞いて、空振りに終わった一人で膨らませていた思いを持て余してしまっていた。
だから冷凍庫の隅で忘れ去られていたのだろう。
最後の一匙の豊かなしっかりとローストされた香りを味わいながら、何の感慨もなく、スーパーで買った珈琲と一緒の日常的感覚で消費されたわけではないことが、確信となって心の奥底から突き上がってくる。
Café do Brasil
味わった人なら分かるだろう。根拠のない確信のこの強さを。
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