末娘バッタが俳句を詠みにクラスで遠出。
森なら近所にあるのに、バスで一日掛けて遊んできたらしい。もとい、自然に遊び、感性を研ぎ澄ませ、句を詠み合ったらしい。
しかし、いくら霧深い中を分け入り、ひっそりと木の幹に隠れている鹿を見つけ、心震わせたからといって、一朝一夕に俳人の仲間入りができるはずもない。二、三回、みっちりと俳句の学習を授業でしても、所詮付け焼刃。フランスで生まれて、フランスで育っている、100%のフランス産なのだから。
当然、日本で生まれて、日本で教育を受け、特に詩心がなくとも幾つかの俳句を諳んじている普通の日本の高校生とはスタートが違う。
それなのに、まったく、この年頃は怖いもの知らずで、高慢。
国語の教師から、俳句の指導を受け、青菜に塩どころか、猛反発。
「クラスの数名」とぼかして話していたが、そのうちの一人は末娘バッタに違いない。俳壇に投稿しても採用されない教師から、意見されてもなんだかな。ひょっとしたら自分たちの詠んだ作品の良さが分かってもらえていないのかもしれない、ときた。
いやあ、すごい。
末娘バッタは目に涙をためながら訴える。何を書いても、ダメ、おかしい、こんな表現はない、これでは文章、俳句になっていない、と全て却下された、と言う。
それじゃあ、見せてごらん。
今回の遠足、もとい、俳句を詠む日に向けてクラスで編集し作成した栞を大切そうに持ってくる。後ろの作品を書くページに、いくつもの作品が書き連ねてある。
張り切って作っている末娘バッタの様子が手に取るようにわかる。彼女の気持ちが先走ってしまっている。あれも、これも表現したくてしょうがいないらしく、体言止めはもちろん、切れ字も取り入れ、香りも、色も、笑い声も、盛り沢山。
17音がはち切れている。
そうね。
これなんか、どう?ちょっと表現を変えてみる。言葉を入れ替えてみる。
あら、これ、面白くていいんじゃない?
友達と楽しくおしゃべりに夢中。隣の子をみたら、鹿だったので、びっくり、といった作品。
でも、先生が、友達と鹿の顔を見間違えるなんて変だって。
きっと日本のマミーなら分かってくれるよ。と、鹿の写真のカードを出してきて、自分の作品をいくつか書き始める。
私が手直しをした作品は、ママとの合作なんて、いやだなぁ。どうしよう。と躊躇しつつも、書き記す。
先生に褒められた数人のクラスメートのことを羨ましそうに話す末娘バッタ。
たくさんの作品を味わい、自分の心で感じとることが大切なんだよ。そうして、ようやく、他の誰かの心を震わせる作品が書ける様になるんだよ。
霧まとい 鹿も我らも 駆け抜けん
天高く 鹿も木立も 我も友も
鹿探し 抜き足差し足 青き空
森の霧 リュックに詰めて 帰り道
空高し 吸い込まれんや わが心
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