「マダム、マダム。」
遠くの方で声が聞こえると思っていたら、
実は隣の席の青年から声を掛けられていた。
私としては、真剣に目の前の文章を読み砕いていたので、
まさか声を掛けられるとは思っていなかっただけに、ぎょっとする。
パリに向かう電車の中でのこと。
癖のあるフランス語で聞きずらかったが、
単純に無視をすることができない性格を見破られたのか、
青年は言葉を重ねる。
どうやら、カナダからの宣教師。
朴訥とした話し方。
「あなたには信仰がありますか。」と聞かれる。
遠い昔、大学のキャンパスでの宗教勧誘を思い出してしまう。
今の私には、そんなに隙があるのだろうか。
目的を持たない、
不幸せで、心が満たされていない、
何かにすがりたくとも、何にすがればよいのか分からない、
そんな根無し草に見えるのだろうか。
一瞬、悲しみが胸を過る。
それにしても、
と、若者を見つめる。
つぶらな大きな瞳は綺麗な空色。
ちっとも濁っていなくて、
何にも分かっていない、
人生の辛苦など経験したことのない、
何も映していないような瞳。
どこまで傲慢なのだろう、そう思ってしまう。
20歳そこそこの若者が、
その倍は生きている人間に対して、
何かを説教したり、悟らせようと思うなんて。
円らな瞳で彼の質問は続く。
「私は神、イエスキリストを信じていますが、あなたはどうですか。
あなたは神を信じますか。」
私は神を信じているとしても、その神の名は、イエスキリストではない、と伝える。
「あなたは、あなたの神と会話をしますか。対話がありますか。」
もちろん、いつだって対話をしている、と伝える。
苦しい時の神頼み、の話をしてあげようかと思うが、ぐっと堪える。
「私にとって、家族は大切です。母、父、きょうだい。あなたには家族がありますか。イエスは、私たちにとって、永遠の家族なのです。」
私には、家族がいない、とでも思えたのだろうか。
一瞬、そんな思いが過る。
「人は何のために生きているのだと思いますか。」
幸せになるため、と答える。
「幸せとは、では何ですか。どういうことですか。」
にっこりとして、辛抱強く、諭す。
幸せとは、自分の心の底から感じるものであり、
定義できるものではない、と。
そうして、
あなたの信ずる神はイエスキリストという名前を持っていて、
私の信ずる神は、別の名前を持っているが、
神であることには違いなく、おそらく、同じ神なのであろう、と。
分かったのか、分からなかったのか。
青年は、まったく濁りのない透明な空色の瞳をさらに大きくして、
「僕はもうここで降りなければ。」
と、電車が駅に滑り込むと立ち上がり、握手を求める。
悩みを持たないことが幸せなのではない。
辛い思いをしないことが全てではない。
一瞬であっても、心の底から湧き上がる満足感を得られたら、
それは幸せではあるまいか。
あの何も映していない透明な空色の瞳に語り掛けてあげたくなる。
笑止。
それこそ、同じ穴の狢、か。
電車は何事もなかったかのように、
数人が降りた後、新たに何人かを乗せて、
先ほどと同じように揺れながら走り出す。
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