そうして、定刻通りに扉が叩かれる。
その時間は事前に分かっていて、
すぐに手渡せるように頼まれたものを準備し、
お土産になればと、庭のミラベルのジャムとリキュール漬けを用意していた。
お洒落な瓶も、機能的な密封性の高い瓶もなく、
手頃なネスカフェの瓶を熱湯消毒し、ミラベル酒を入れてみると、
思いの外、くびれたガラス瓶の中で、
飴色の液体とぷっくりとしたミラベルの粒が輝いて見えた。
それなのに、
約束までの時間までに
ちょっとした文書の見直しに熱中してしまっており、
現実世界との繋がりを絶たれた小舟のごとく、
ぼんやりと、それでも慌てて、身だしなみを整えることもなく、
玄関の扉を開ける。
ふわりと、春風の様な佇まいと
子リスの様なくりくりとした瞳が目に飛び込む。
お会いしたら、あれもこれもと考えていた話は
すっかり頭から飛んでしまい、
このところ、冷たい雨が降って寒くなりましたね、
などと月並みなことを言ってしまう。
「あら。そうでもないですよ。ほら、晴れ間が出てきました。」
驚いて身を乗り出すと、あんなに暗く雨が降っていたのに、
青空が輝いている。
と、手にしていた袋を手渡され、
以前、冗談でリクエストしていた手作りの品が入っていることに、
驚嘆し、狼狽し、
お礼も十分に伝える間もなく、
春風のように、ありがとうと言葉を残して去って行ってしまう。
扉を閉めながら、
頭に閃光が走る。
思わず扉を開けて、もう姿が見えなくなった春風に向けて大声で呼びかける。
「本!本をお渡ししなくっちゃ。」
大急ぎで二階の寝室に駆け上がり、
読み終えたばかりで、未だ心で躍動している、ほかほかの小説を二冊、
ちょっと迷って、今年の夏に出会って、二度読み返している小説を一冊手に取る。
本を誰かに貸すことは、
ちょっとした思いを共有することになり、
特に、思い入れが強い本ともなれば、
自分の心をも曝け出すような、恥ずかしさがある。
声が届いたのか、
春風さんは、扉の前まで爽やかに戻ってきてくれており、
三冊の本を受け取ると、嬉しそうに青空の中、軽やかなステップで消えていく。
その夜、いただいたジャムの瓶を開けてみると、
今までに見たこともない大きさの極上の栗が、
ほんのりと紅色のシロップに漬かっている。
これほどの大きさの栗を包むイガを想像する。
そして、
それを森の中で丁寧に選ぶ春風さんの姿が目に浮かぶ。
悪戯っぽく、くりくりと動くまん丸の瞳を思いだし、
いや、春風さんは、
やっぱり狐の子かな、
と呟いてみる。
秋たけなわ。
にほんブログ村
↑ クリックして応援していただけると嬉しいです
皆さんからのコメント楽しみにしています
0 件のコメント:
コメントを投稿