2011年9月20日火曜日

若さとは


 ミッドナイトブルーとでも言おうか、墨色に紺青を混ぜた濃厚ながらも暗黒ではない世界。それを恰もびりびりと破いたかの様に、太い一筋のターメリックが覗く。東に向いながら、そのうち満天の星空の下を通勤することになるのか、とつぶやく。

 それにしても若さとは何だろう。もうすぐ14歳になる長女の顔を思い浮かべる。

 4歳から始めたダンス。それこそ最初は兎のダンスさながらだったが、あれは彼女が8歳の時だったか。初めてのスペクタクル。時刻だけ告げられ、街の大きな劇場の観客席に座りながら、彼女が集団の中心になって、嬉々として明るく楽しく踊りあげている姿を見て、思わず涙してしまった。所謂エトワールの役を頂いていたことを、一言も母親に告げていなかったので、心の準備もカメラの準備もできていなかった。

 当時、週に2回のダンス教室通いは、近所に住む二人のお友達のお母様たちのご好意に甘え、送り迎え共にお願いをしていた。その頃、一緒に行ったスーパーで、娘がダンス用のオヤツを買って欲しいと言うので、幾つかビスケットを選びながら、彼女がお店で何かを買って欲しいとねだる事は、ひょっとしたら初めてかもしれないと思ったりもした。その後、お母様たちから、実はお友達二人が、娘をいじめていることを聞かされた。「あんたのお母さんはお金儲けばかりしか考えられないから仕事をしていて、あたし達のお母さんがあんたのことをダンスに連れて行ったりしているのよ。あんたのお母さん、お迎えに来もしないじゃない。せめてオヤツぐらいは持ってきなさいよ。」そんな風に言われていたらしい。娘の口からではなく、お友達のお母様から聞かされ、どんなに驚き、どんなに胸を痛めたか。今思えば、そればかりではあるまい。ダンスの世界は厳しい。子供の世界も厳しい。そんな中で、エトワールの役をもらってしまったら、他の友達から羨望と嫉みを一身に受けたのではあるまいか。

 次の年からは、一人でバスに乗って通わせた。ママは送っていってあげられない。だから、あなたが一人で通って頂戴。それができないのなら、ダンスは諦めましょう。そんなことを言ったと思う。上手い具合に、同じ時間帯にバスに乗るお友達がいて(その子もお母様が一緒だったが)、そのお友達と一緒に通うことができた。でも、翌年からは一人でバスに乗り、一人でシニヨンをし、通ったものだった。

 親としては毎年恒例のスペクタクルが楽しみであった。彼女が華麗に舞い踊る姿を見ることは、子供の成長を確認し楽しむことと、彼女の姿に誇らしげな気分も相まり、至高の時であった。

 バレリーナを夢見る少女として、トゥシューズを履くことは、一段とプロの世界に近づくことになり、この上なく気分が高まるらしい。一方で、それに従い、練習も週3回となり、時間帯も夜の8時、9時になる。勉強やテストとの兼ね合いも大変になる時期ではある。トゥシューズを履けた初めての年は、会場の問題でスペクタクルは中止となった。翌年は、練習場のコンディションの問題で、トゥシューズを履いての練習は稀になってしまった。そして、気がつくと、彼女の周りは普通校の生徒はいなくなり、皆、日中もダンス専門コースを選ぶ生徒達となってしまっていた。

 今年6月の待ちに待ったスペクタクル。前半、4つ下の妹が、それこそ、4年前の彼女を髣髴させるかの如く、嬉々として明るく楽しく、皆の中心でダンスを披露してくれた。後半の部で、黒い衣装に身を纏った彼女が出てきて、ドキリとした。相変わらずの指先まで表現している華麗さ、優美さ。ところが。彼女の顔は冴えない。何か人生の深淵でも覗いてしまったかの様。あの煌く自信に満ちた彼女はどこにいったの?ダンスをすることは、もう喜びではないの?妹の、幼いながらも、体中で喜びを表現するダンスを見たばかりなので、その対照的とも思われる彼女の姿に愕然としてしまった。

 親になって難しいといつも思うことは、子供への対応。子供が上手く何かをした場合は、手放しに喜び褒めちぎれば良い。でも、ちっとも評価できない内容であったら?余りに悲惨な算数のテスト。でたらめな漢字ばかりの作文。ちっとも埋まっていない白紙寸前の解答用紙。

 いや、そんなことより、ティーンエージャーとなった娘が、今、彼女らしさを見失って、精気さえもなくしてしまっていることを目の当たりにして、その事実の重さに当惑してしまっていた。勝手に出て行ってしまった父親のところに、親権があるからと2週に1回の割合で週末行くとき。以前は、嫌だと泣いて、私を泣かせた彼女。最近は、何も言わずに黙々と、当たり前の様に2歳下の弟と、4歳下の妹のパジャマの準備までし、それこそ以前は何も分からずにパパのところに行っていた弟や妹が、行きたがらずにぐずる姿を見守る役割をしている。仮面の様な、静かな笑みを湛えながら。そんな彼女に追い詰めてしまったのは、親の私ではあるまいか。そんな風に思ったりもした。

 8歳の時から始めたバイオリン。一年前に始めた弟にあっと言う間に追いつき、楽しく練習をしていたが、ダンスで冴えない顔を見せた頃、すっかり自信を失ったかの様に、人前で弾くことを嫌い始めた。音色にも力がなく、なんだかんだと言っても、才能というものがあって、我が子には、バイオリンの才能がなかったのだな、などど思ったりもしていた。そうして、勉強の時間がとれないのか、学業も低迷飛行に思われ、何れは勉強に専念するためにも、バイオリンも辞めることになるのかな、とぼんやり思ってもいた。

 ところが、だ。
 そんな彼女が変身した。

 彼女の中で何かが弾けたのであろうか。

 あれは、掛かり付けの医師に子供達の健康診断書を認めてもらっている時。今年は陸上をしない、との弟の声を聞き、彼女が呟いた。私がしようかな、と。へぇ、悪くないんじゃない。走るの速いものね、と私が応じると、ぱっと顔を明るくした。その後、既に今年度分のダンスの申し込みをした私に対して、遠慮がちに、ダンスも陸上も両方はできないから、陸上をしたら、ダンスを止めなきゃならないけど、と言う。まさかダンスは止めまい、と思うものだから、そりゃあそうよ。選ばないとね。と告げると、ダンスを止めて陸上を始めるとのたまう。陸上に仲良しの友達がいるわけでもない。それなのに、あれやこれやと、あっと言う間に、自分でダンスの先生に断りに行き(すごい覚悟!)、自分で陸上の申し込みに行ってしまった。

 4歳から続けていたものを、すぱっと諦め手放してしまえる強さ、それが若さではあるまいか。
継続することの尊さ、継続することで得られる力、それを簡単に放ってしまったかに思えたが、そうではあるまい。

 プロのバレリーナにはなることのない彼女は、これまで培った表現力と心の豊かさを、別のことに発揮してくれるに違いない。8年間のダンスの世界は、これから彼女の人生を豊かなものにしてくれるに違いない。そうして、明らかに自信に満ちて、輝かんばかりの健康体の彼女が奏でる音は、驚くほどに聴くものの心を打つようになった。バイオリンの練習量も明らかに違っている。

 この一年で、また大いに悩むであろう。いや、人生はこれから。
 
 とりあえず今は、好調なスタートを切った彼女に心から応援の拍手を送りたい。

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記事へのコメント、お待ちしております。ぜひお残しください。

2 件のコメント:

  1. 「選ばないとね。」
    そうだった、人生は選択と決断の連続。天賦のタラントをして、時に一心に磨き、時に諦め、時に再会し。。。そのすべての決断が、時に叶って自ら為せるなら、それを祝福された人生と言えるのではなかろうか。

    ありがとう。元気になりました。

    今年は秋の訪れが早く、昨日からは、色づきはじめた樹々を震えさせる霧雨が続いてます。それに同調するかのように、あの時の選択を後悔し、塗り直すことの出来ない過去に涙してたところでした。
    状況に迫られた決断であっても、それを選んできたのは私なのだから、私の人生。迷走も苦渋も、過ちであったにしても、全てが愛おしい。貴ブログ拝読して、涙も乾きました。静かな週末の夜に、虫の声が響きます。外の雨も止んだのかな?

    感謝を込めて、14歳嬢の若さに乾杯!
    豊かな人生を!

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  2. 木蓮さん

    心に響くコメントありがとうございます。クッカバラの囀りが、木蓮さんの琴線に触れ、木蓮さんの言葉で綴られるという、素敵な展開となりました。

    元気で楽しい週末を!
    また、ぜひ訪れてください。一緒に囀りましょ。

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