「だから、土曜に戻ってきたら、その足でボルドーに行くよ。」
呆然として声が出ない私に、電話の向こうで
マラケシュの香りも熱気も感じられない無機質音を背景に、
彼は続ける。
「週末どうするか、決めていなかったよね。」
慌てて、日曜のコンサートの話をする。
勝手にバイオリンのママ友がバッタ達をプログラムに載せてしまって行かねばならないことを。
てっきり、バッタ達を連れてボルドーの彼の母親に会いに行きたいのかと思っていたが、
どうやら、そうではないことが分かってくる。
週末の子供達の行き先が決まってほっとしたのか、彼は饒舌になる。
「まったく、困ったもんだよ、あいつも。僕の携帯が繋がらないと、大騒ぎするんだ。そして、今日は4回も電話をしてきて、泣きつくんだよ。慌てるなって言っておいたよ。」
違うよ、分かっていないのは、妹のシルヴィじゃなくって、あなたの方。
二年前に乳癌を化学放射線療法で治療したばかりのバッタ達の父の母親。
その彼女が今度、膵臓をやられたらしい。
バカンス前にそれらしいと話があって、
マラケシュにいる時に検査結果が分かるけど、取り敢えずは予定は変えない、と聞いていた。
癌は3年間、再発しちゃいけないんだよ。
大学の入学式に出てくれた父が、
それ以降、入院し帰らぬ人となった時の記憶が甦る。
ちょうど三年前、
私がオーストラリアに留学していた時に、
父の癌が分かり手術をしており、その時にあらゆる情報を得たのであろう妹が、
父の入院を知って、
大学から帰ってきて号泣した、あの叫びを今でも耳の奥に覚えている。
あの時、
私は泣けなかった。
知らなかった。
再発の恐ろしさを。
癌の恐ろしさを。
そう思ったとたん、
電話口で泣いていた。
「君のお父さんのことを思い出したの?」
彼は至って暢気に聞く。
そして、化学放射線療法を来週から3ヶ月は続けること、
母親は疲れていて、誰にも会いたくないこと、
でも、漸く、無理を行って週末だけでも会いに行くことにしたと告げる。
覚悟は、しておいたほうがいい。
出来るだけ、早い時間に、子供たちも行かせて会わせてあげるといい。
でも、近くのホテルをとって、
あちらの負担にならないように。
そんな私の話も
彼にとっては煩わしい様子。
何を言っているんだ、と。
治療をすれば、大丈夫なんだよ、と。
こんな時、どう言えば良いのか。
言葉なく、
涙があふれるばかり。。。
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