2018年10月14日日曜日

マッターホルンの湧水







リッフェルアルプ(Riffelalp)からグリュンゼー(Grünsee)までの道のりはマラソンコースにでもなるのだろうか。山あいながらもしっかりと整備されていて、ハイキングコースとしては大きなアップダウンもなく、初心者向けだろうか。標高の高さがそうさせるのか、小動物を一切見かけないし、蝉の鳴き声はおろか、小鳥の囀りさえも聞こえなかった。ひっそり閑としている。母の歌声と私達二人の足音しか聞こえない。






灰褐色の大きな岩が瓦礫の中にあちこちに散乱していて、マッターホルンのピラミッド型の斜面の岩肌を思いこさせた。マッターホルンの登頂に挑むのではなく、マッターホルンの存在を五感で感じつつ、散策することに、静かな喜びを覚えた。




ツェルマット村に流れていた川は、雪や氷河の溶けた水に一緒に岩石の粒も溶け込んでいるらしく白濁しており、ものすごい水量と勢いで流れていたことを思い出した。実は、清冽な水を思い描いていただけに、白濁していることに、最初はぎょっとしたが、不純物の混入によるものではないことに思い至ると、逆にその流れが如何にも大自然の象徴のように思えた。





どのぐらい歩いただろうか。水の流れる音が聞こえてきて、沢が近くにあることを知らされた。突然にして、目の前をこれこそ清水と言いたくなる透明な湧水が流れている。母はさっそく手を入れ、その清らかな水を口に含ませる姿勢を見せたので、思わずそれを制止してしまった。20代の頃に、アジア諸国で水にあたり、肝炎になったことや、サルモネラ菌に侵され、苦しんだことを思い出したからである。

地元の山に登り、湧水が流れていれば、口にすることが習慣になっている母は、大層残念がっていた。前日のハプニングもあったことで、母を守らねばとの思いが強く出てしまったのだろう。確かに目の前の清らかな流れがサルモネラ菌に侵されているとは考えにくく、母が従来から山では湧水を口にしているのであれば、たとえ初めての土地とはいえ、マッターホルンの湧水を口にしても、問題ないのではないか、との思いが過った。

こんな人里離れた山奥で流れている湧水が、一体何に侵されているのか。

私の自問に答えを見たのか、母は意を決して水の流れに手を入れる。そうして、一口。ああ冷たくて美味しい。

こうなると、この親にしててこの子なり。これまでの躊躇など嘘のように、跪き、水の流れに手を入れた。歩いて火照った身体に水の冷たさは心地よく、口にしてみた水は清らかだった。

ああ、美味しい。

そう、腰に手を当てて、ひとごこちしたところで、ふと視界に何かが入る。じっくりと見てみると、どうやら人家らしい。驚いた私の様子に、母もその人家に気が付き、今度は大笑い。人里離れた山奥だからと、ああ、おいしい、と湧水をいただいていたところ、実は、すぐそばには人が住んでいるとは!その家から、誰かが我々の様子を目にしていたら、どんなに滑稽なことだったろう。涙が出る程笑い続けた。あまりに歩いてからの道すがら静かだったので、相当な山奥に来ているものと錯覚してしまったのだろう。

そこはグリュンゼーにあるロッジだった。




ロッジでハーブティーをいただき、一服する。恐らくあのあたりがマッターホルンが聳え立っているんだろうと分かる程度で、空は厚い雲が立ち込めていた。

そこからは、どんどんと谷底に下りていくような道が続き、白濁色で流れも急な川を渡ると、上り坂が続いた。ライゼー(Leisee)に着いた頃には小雨が降り始め、スネガ(Sunnegga)では土砂降りになり始めた。ツェルマット村まで急勾配の地下ケーブルカーに乗り、暫く降り続けそうな雨の中、最寄りのパン屋兼カフェに入り込む。

こうして、雨にも大して降られることなく、半日のハイキングコースは無事完了。午後はホテルに戻り、プールやジャグジー、ハマン、サウナを楽しむ予定にしていた。マッターホルンの湧水が体中にめぐり始めたのだろうか。身も心も充実感で満たされていた。









にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ
にほんブログ村

↑ クリックして応援していただけると嬉しいです
皆さんからのコメント楽しみにしています


0 件のコメント:

コメントを投稿