先ずは目の前のロープウェイを乗ってメンリッヒェン(Mânnlichen)に。そこからクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩き、次に登山鉄道でユングフラウヨッホ(Jungfarujoch)展望台に行く、というものだった。帰りは、アイガーグレッチャー(Eigergletscher)からクライネ・シャイデックまで歩き、そこからまた登山鉄道でヴェンゲン(Wengen)に戻ってもいいし、余裕があれば、歩いて帰ってもいいと思っていた。
ロープウェイのキャビンの上にオープンデッキのバルコニーが設えてあり、そこからの眺望たるや、何もさえぎるものもなく、度胆を抜くものに違いあるまい。そう思って迷わずに追加料金を支払い、母をキャビンに残し、威勢よくキャビンの中から上のデッキに出る螺旋階段を上ってみると、そこは未だ誰もおらず、太陽も差していない冷たい朝の空気だけがあった。
しっかりと下調べをすることで、理解も深まり、より一層あらゆる角度で楽しめることもあるが、偶然の出会いこそが旅の醍醐味ではあるまいか。勉強不足を棚に上げるようだが、ヴェンゲン(Wengen)の村からロープウェイでメンリッヒェン(Mânnlichen)に行くことは、現地に着いて決めたことで、ロープウェイから一体何が見えるのか、ましてや、メンリッヒェンからの眺望など、実のところ、全く分かっていなかった。
オープンデッキから見える透明で真っ青な空に、ただ一人興奮していた。係員がくることもなく、何の前触れもなく、キャビンが動き出した。
ヴェンゲンの村には未だ朝の太陽が差し込んでいなかった。太陽に輝く氷河を抱いた山脈は、迫力を持って間近に見えるようだが、どうやらかなり遠くに連なっているようだった。目をどんどんと上って行く山あいに移すと、そこは東山魁夷の世界が広がっていた。
風景との出会い。「花は今、月を見上がる。月も花を見る。」
中学生の頃、この文章に打ちのめされ、すっかり参ってしまったことを覚えている。学校の授業で、白墨の粉にまみれ、教師によって解体されてしまう形で出会う文学や芸術論を、非常に敬遠し、胡散臭く思い始めた頃であった。それなのに、この一文の前で、従順にも平伏してしまう自分がいた。
凝縮した一瞬を画家はキャンバスに見事に描き出していた。以来、東山魁夷の作品には、畏敬の念を持ち続けている。特に静謐な山を描いた作品は心に残っている。その彼の世界が眼前に広がっていることに、心が震えた。
ケーブルカーはどんどんと上に上にと昇っていく。息をのむ程の神々しい眺望に、すっかりと参ってしまっていた。どうやら目的地のメンリッヒェンに着いたらしく、何の前触れもなくケーブルカーは止まった。アナウンスがなくても、何ら支障がないことを今更ながら知らされる。誰もが足元に気を付けてキャビンを下りる。キャビンでこれまた大いに眺望を楽しんだという母と、さてクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)は、どの方角かと言いながら歩き始めた途端、ぬっと、思いもしない存在感で、目の前に山が立ちはだかっていて、正に度肝を抜かれてしまった。
それが、我々とアイガー(Eiger)との出会いであった。
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