翌日、後ろ髪を引かれるようにしてホテルを出てツェルマット村まで登山鉄道に乗った。相変わらず無茶なてんこ盛りプランを密かに温めていたが、お天気は今一つであったし、今回は小さいとは言えスーツケースを引っ張り、リュックを背負っての移動だったこともあり、また、落ち着いてきたとは言え、未だ腫れぼったい母の鼻の様子からも、すんなりと引っ込めてしまっていた。
ツェルマットからインターラーケン(Interlaken)に行くまでに、カンデルシュテーク(Kandersteg)で途中下車し、アルプスの宝石と言われているエッシネン湖(Oeschinensee)に立ち寄ってみたいと思っていたが、その楽しみは次回に譲ることにした。
インターラーケンはその名が示す通り湖の中間地点であり、トゥーン湖(Thunersee)とブリエンツ湖(Brienzersee)の間に位置していることを地図で確かめていたので、そこでお昼でもと思っていたが、生憎の土砂降りだった。雨だったからか、インターラーケン・オスト駅前は、これまでの旅心を誘うような魅力を放っておらず、どうしても知らない街に繰り出したい、との思いが湧き起こらなかった。それは母も同じだったようで、キオスクでサンドイッチとビスケットを買って、電車で食べることにした。
雨模様であれば、さっさと目的地のヴェンゲン(Wengen)に行ってホテルにチェックインしてしまおうとなった。インターラーケン・オストからラウターブルンネン(Leuterbrunnenn)まで行き、そこで乗り換えてヴェンゲンまで。駅からホテルはそう遠くもなさそうだったが、腕が未だ本調子ではない母を荷物を背負って歩かせたくはなかった。駅ではホテルの送迎車に来てもらうことになっていた。
ユングフラウ(Jungfrau)地方を旅するにあたり、拠点をどこにするかで、かなり悩んだ。グリンデルワルト(Grindelwald)にしようかと思ったが、色々とネットで検索しているうちに、アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」の壮大な姿を一度に仰げる場所として、ヴェンゲンに両親を連れて行ったという女性の旅行記を目にし、ヴェンゲンに決めた。
場所が決まるとホテルも決めやすかったが、正直なところ、マッターホルンの雄大な景観を楽しめるリゾートこそ時間を掛けて調べて決めたが、他はそこそこの予算に抑え、清潔であれば問題なしとの姿勢にあった。それでも、3泊するヴェンゲンのホテルは、口コミ評価も幾つか調べ、値段も、リッフェルアルプ程ではないにしろ、背伸びをしたものではあった。
ヴェンゲンの村は雨こそ降ってはいなかったが、すっぽりと雲に覆われており、一体、どこに壮大なユングフラウ三山を望めるのだろうかと、不安と期待に入り混じった思いで、分厚い雲の層を仰いだ。
ホテルは、リッフェルアルプのリゾートに比べ、明らかにグレードダウンとなり、通された部屋はこれまた到って簡素で小さかった。ネットで見ていた画像との乖離に戸惑ってしまった。家具やベッドはウッド基調だったが、虫食いの跡が明らかに安物を感じさせた。綺麗好きな母に至っては、部屋をティッシュで拭き掃除し、蜘蛛の巣を取り払ったと嬉しそうというか、やや自嘲気味にしている。正直、がっかりしてしまっていた。
慌てて既に支払い済みの部屋の値段を確認するが、パリのちょっとしたホテルのツインの値段は優にしている。ここがリゾート地だからなのだろうか。申し訳ない程度のテラスに面していたが、そこからの眺めは曇天ですっかりさえぎられていたし、目の前のミニゴルフ場では、幼い子供たちの賑やかな声がうるさく響いた。
こんな筈ではなかったのに。
悲しくなりそうな気持を振るい立て、とにかく部屋にいても気分が落ち込むだけなので、外に出ようと母を散歩に誘う。村をぐるりとしてみよう。レストランを覗いて、夕食の場所を決めよう。
ぐるりと歩いてから、素晴らしい眺望の高台を見つけた。どうやらリゾートの開け放たれた庭らしく、そこで珈琲でも、となった。ホテルのカフェ・バーに入り、珈琲二つを注文すると、バーマンが非常に申し訳なさそうに、これはゲストのウェルカムドリンクなので、宿泊客以外の方にはサービスできないと教えてくれた。お金を払うので、と言っても、ゲストオンリーと断られてしまう。そうか。このリゾートを予約すれば良かったとの思いが高まる。既に宿泊代は払ってしまっていたが、つまらない思いをして3泊するより、思い切って新たにここを予約しようかと思ってしまう。そう思い込むと行動が早い私を、母が引き留める。次があるじゃないの、と。
そうして、我々の宿であるホテルに戻り、そこのレストランで夕食をとることにする。ところが、早く予約をしていなかったので、満席だと言われてしまう。なんてこと。そこに支配人が現れ、早目のディナであれば、テーブルをちょっと作れば良いので問題ないと笑顔で対応してくれた。
リッフェルアルプがあまりにリゾートとして完璧であったのだろう。落差に馴染めずに、せっかく母を驚かせ、喜ばせようとしている旅なのに、すっかりしょげてしまっている私を見て、逆に母が元気になった。
いつもは煩い母なのに、俄かにできたテーブルの場所も問題ないと笑顔で答えている。そして、選んだ夕食が大当たり。地元の素材を生かした野菜に、こんがりとローストされたポークを口にし、母が大喜び。目の色が変わり、ここは素晴らしいと称賛し始める。
嬉しそうな母を見て、単純な私はすっかりと気持ちがほぐれ、漸くゆっくりと楽しめるようになった。夕食後、部屋の窓から外を覗くが、やはり厚い雲に覆われている。さあ、明日はユングフラウ三山が拝めるのであろうか。
翌日の山歩きのコースを地図やガイドブックで下調べ、少しだけリッフェルアルプのホテルを懐かしく思いながらも、その夜はぐっすりと寝入ってしまった。
にほんブログ村
↑ クリックして応援していただけると嬉しいです
皆さんからのコメント楽しみにしています
0 件のコメント:
コメントを投稿