2023年7月8日土曜日

深読み

 




大学時代所属していた自転車部のOB会の大先輩から、久しぶりに紀行文が届く。毎年のようにご夫婦で世界中を旅行していて、その度に川柳を散りばめた、舌鋒鋭い、紀行文をお書きになっていた。数年前にパリにいらした際にお会いしたことが縁となって、以来ずっと送っていただいていた。


ところが、二年前に奥様を失くされ、形見となってしまった老犬の世話があるので、と遠出をなさらなくなったご様子だった。最愛のパートナーを失ったことで、がっくりとなさっているのだろと心配をしていたが、今回、久しぶりの持ち前のパワー漲る毒舌が効いている文面に接することができ、大変うれしく感じた。


しかしながら、先輩のメールの文章に、どうしても心引っかかるものを感じて、それが棘の様に残っていて、どうもかなわない。昭和の世代と言えば良いのだろうか。日本的な儀礼的な表現方法であり、書き方と言えば、それまでなのだが、「分不相応」との言葉に違和感以上の嫌悪感さえ抱いてしまった。


「小生としては分不相応に格式の高い温泉旅館に一泊してきました。」


先輩の文章を揶揄するつもりは毛頭ない。しかし、それなら、私がフランスに今いることは「分不相応」なことではあるまいか。離婚したというのに、一軒家に住んでいるということは、「分不相応」なことではあるまいか。と、なぜか怒りの思いさえ感じてしまうので、自分自身でも戸惑ってしまった。


悶々としていると、ふっとある思い出が鮮やかに蘇った。


はるか昔、高校一年生の時に、中学時代の元同級生に年賀状を送ったことがあった。当時も今も、地元の中学を卒業後、電車に乗って市内の高校に行くのだが、進学しない生徒もいたり、いわゆる進学校と、そうではない高校もあったり、男子校、女子高と分かれていたりするなど、同じ高校に通う中学時代の友人は多くはなかった。


女子高に通っていたこともあり、特にボーイフレンドなどいなかったので、中学時代の男子の元同級生に年賀状でも送ろうといった気軽な思いではあったが、それでも、返事を心待ちにしたことは確かだった。


嬉しいことに、賀状の返信は届いたのだが、文面に「天の上の人になってしまった貴女」といった表現がなされていて、一体何を言っているのだろうかと訳が分からなくなり、目の前が真っ暗になったものだった。


どうして、こうやって人は線を引くのだろう。哀しい思いが一気に押し寄せた。


葉書一面に小さな文字で書かれた文面は、意地悪な様子も、ちゃらんぽらんな感じもなく、むしろとても真面目に、丁寧に書かれていて、そのことがなおさら辛かった。中学時代にお互いにひかれているだろうことを感じていたからこそ、賀状を送る気になったのだが、そして、文面では彼も少なからず好意を寄せてくれているだろうことは分かるのだが、決して手を差し伸べるものではなかった。


実家に帰ることがあっても、郷里の友達と会うことはない。同級会など、あるのかないのか。


こうしてみると、大先輩は「分不相応」としながらも、その老舗の温泉旅館に宿泊をしているという事実が非常に重要なことに思えてきた。それこそ、先輩らしいではあるまいか。いつもよりも短めの紀行文には、温泉旅館の施設やサービス、お料理については一切言及されていなかったが、奥様がお元気な時に、一緒に来たかったな、との思いが行間から溢れてくるようでならなかった。


どうやら、深読みをし過ぎてしまっているようなので、この辺で、そろそろトンカと森に行くことにしようか。何も考えずに、緑の風に遊ぶことにしよう。



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2 件のコメント:

  1.  クッカバラさん こんにちは

    戦後の日本らしい卑下と曖昧さとか日本語表現という印象があります。
    それとは別によく若者の日本語はと言う人がいますが、論点がずれた内容も戦後に多いです。
    日本語とは言っても、戦前生まれの日本語は日本語と日本風土がしっかり表現できた文章などもありましたが、今の日本でそのような素晴らしい日本語を見聞きすることはありません。。どんなに文章がうまい人でも日本語が活きてません。。
    美しく素晴らしい日本語を私がぎりぎり見かけたかたでも、15年前、かなりの教養もある高齢のその方、その年齢世代でもほぼいないぐらいの感動を覚える日本語でした。今でもその方の日本語の本当の美しさを抜く人はいません。。

    またその方とは別の方でハワイに在住日系人から挨拶とお礼のお手紙がありました。戦後の日本語でなく、今の日本人でも読めない人がいるレベルの高い日本語です。それなりに特待生だった私の父も珍しく美しい日本語だと言い深く感心していました。流暢に日本語を話し読み書きもできる若い白人にその手紙を渡す役目もありながら、しかし、日本語が難しく翻訳してと言われましたが、英語の単語に違い表現をかなり選ばないと伝わりにくい素敵な日本語でした。
    私は翻訳してから少し意地悪に知っている日本人に読んでもらったらと若い白人に提案しました。その日本語を読めない日本人いるからと(笑
    その日本語を読めるレベルの人は日本人の元外交官のあなたの友人のお父様なら読めるよと(笑)
    若い白人は周りにその事実確認した後、私に日本語を教えてというので、無理だと返答しました(大笑。
    纏めると、上に書いた美しい日本語を知っていた二人に共通することは、地に足が着いた日本語ということです。
    分不相応な書き方や話し方や聞き方は戦後の教育レベル低下にも繋がった枠組みだと思います。

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    返信
    1. 匿名さん、

      ご無沙汰しております。
      非常に貴重なご経験をお伝えいただいていたコメントに、お返事が遅くなりましたこと、お詫びします。ごめんなさい。大先輩とのメールのやり取りを、身勝手にも感傷的に分析し、こうして投稿してしまったことを深く反省し、私のその自己流の分析に対し、非常に細やかに反応してくださった、匿名さんに申し訳ないと思う気持ちで一杯です。

      私の投稿内容はさておき、匿名さんのご体験、そしてコメントはとても貴重な内容です。美しい日本語を操るには、言語能力以上に、人としての在り様や、いかなる矜持を有しているのか、といったことが重要な要素であるということでしょうか。身を引き締め、出来うる限り美しい日本語が書けるように精進していきたく思っています。

      日本は暑さがまたぶり返しているとのこと、どうぞお身体大切になさってください。

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