「カルロスが皆と食事をしたいというので、一緒に行きましょうよ。」
フランスからの取りまとめ役を買って出てくれる、英仏語はもちろん、イタリア語が堪能なスペイン人のべリンダが、自慢の金髪のロングヘアを揺らしながら声を掛ける。
カルロスとは、イタリアの演奏チームの長であり、バイオリンの師であり、今回のコンサートの総指揮者。ミケランジェロの手によるローマの皇帝の彫像を思わせる堂々とした風格。エネルギッシュな指揮ぶりと、包み込む笑顔に魅了されていたが、二日間に渡るコンサートを終えた今、カルロスがフランスからの遠征軍と食事をしたいなんて、嘘っぽいと思ってしまう我が身に戸惑っていた。
今回のコンサートは、もともとイタリアチームが主体であり、彼らの厚意によって、フランスチームも参加させてもらっている。従い、人数はもとより、選曲もイタリア側で既にされ、彼らは一年かけて練習を積み重ねてきている。一方、フランス側が楽譜を手にした時期は9月に入って。本格的に練習を始めてから日が浅い。曲自体はそう難解でもないらしいが、テンポについていけないとフランスチームの奏者は良く嘆いていた。実際には、オーケストラの第二部門に参加するフランス側の奏者は、今回は5人のみ。うち3人が我が家のバッタ達といった格好。一方、第一部門へのフランスからの参加者は、第二部門の参加者と合わせて総勢12人。皆、親きょうだい同伴が多く、今回の旅では全体で30人を超える団体ではあった。
前日の聖堂でのコンサートは、大勢の聖職者たちに交じって、一目我が子の晴れ舞台を観ようとする親族で溢れかえり、会場いっぱいの観客となった。バイオリン、ビオラ、チェロ、と演奏者の数も少なくない。後ろからでは奏者の表情が見えにくい。せめて姿だけでも、と移動していくうちに、気が付くと円柱の柱によじ登って立ち見をしていた。神聖なる聖堂で、神聖なる柱に土足で登るとは、と気が引け、途中で靴を脱ぐが、すると今度は、イタリアではベッドに入る以外は靴を脱がない、という某エッセイストの文章を思い出し、靴下でいることは、土足以上に神聖な場所を凌辱しているのであるまいか、と余計な心配をし、結局、靴を履き直して柱に登る。
フレスコ画をバックにした演奏会場。荘厳な雰囲気にすっかり酔いしれ、疲れを知らぬエネルギッシュな演奏の数々を味わいながら、バッタ達の頼もしい姿に目を細める。
さぞや満足感に浸っているだろうと、演奏後、にわか楽屋となった祈りの場に駆けつけると、周囲の目も気にせず、息子バッタが黙々と着替えをしている。真っ赤な顔は演奏の興奮が冷めやらぬのか。声を掛けると、今にも泣きそうな顔で、ひどい演奏をしてしまったと告げられる。いや、立派だったよ、と言っても、本人は一層表情を硬くする。どうやら、配置の関係で、後ろに一人にされてしまい、音響の点で決して最高のコンディションではない場所柄、皆の音が聞こえず、曲に乗れずに疎外感を味わった模様。確かに、今回の配置では、イタリア勢のトップクラスの奏者が4名、ずらりと一番前に揃い、ソロよろしく、それぞれが大いに身体ごと曲に乗って弾いていた姿が印象的であった。
我が身の練習不足や、能力不足を苦々しく味わったということか。
夜9時を迎える時間であり、夕食も未だであったが、これからすぐに寝所に戻り、練習をすると言う。
しかし、それよりも、一人にさせるなど、配置に問題がなかったか。フランスからの応援団をカルロス達は蔑ろにしていないか。
つい、親ばか丸出しで本気で怒ってしまっていた。フランス勢の中では、一番練習量も多く、おそらく、それなりに弾ける筈の息子バッタ。辛く思う彼に、成長の姿を見出し、逆に非常に満足そうな末娘バッタに幼さを見出すべきなのか。
そうして、翌日、劇場での演奏。
幕が開いて、唖然とする。劇場という場所柄、どちらかと言えば奥行きがあるが、ステージは狭い。しかし、しかしだ。フランス勢の顔が見えない。照明が当たらない脇に押しやられてしまっている。
それでも、第一部は人数も多く、幼い奏者を前面に出すことからも、納得がいこう。
ところが、第二部が始まって、怒りが沸点に達してしまった。
前日、息子バッタが後ろに一人にさせられたことを取りまとめ役のべリンダに相談していた。彼女からカルロスに一言伝えてくれることになっていた。だからか、今度は彼は長女バッタの隣となり、一列前に仲間入りする。が、末娘バッタと、もう一人の奏者が今度は後ろに追いやられ、顔さえも見えない場所になっている。
はるばるローマまでやってきた結果がこれなのか。
オーケストラという集団の演奏において、実力あるものは引き立てられ、前面に押し出され、力のないものは、後ろでサポート役。この役割をこれからも喜んで引き受け、彼らは演奏していくことになるのか。この事実を受け入れないことには、これから、ますます力の差が出てくる年齢の彼らをオーケストラや室内楽に参加させるわけにはいくまい。
愕然とする。
主役だけが人生ではない。そんなことは分かっている。だが、この照明さえ当たらな場所での演奏には、堪えた。
演奏後、どう声を掛けたらいいのかさえ分からなくなっていた。
そんな時のべリンダの誘い。
一体、カルロスは、フランスからの遠征チームのことをどれだけ思っていて、彼らの存在をどう感じているのか。我々は、参加すること自体、歓迎されているのか。大いに疑問に思ってしまっていた。
バッタ達に、さり気なく聞いてみる。カルロスとランチに行く?
親の悶悶たる思いなど意に介さず、嬉しそうな返事が返ってくる。
彼らは仲間と食事に行くことに喜びを見出している。
それじゃあ、そうしようか。カルロスは後片付けや、劇場の責任者への御礼回りで少し時間がかかるらしいけど。
ところが、待てど暮せどカルロスは姿を見せない。
イタリア勢は、皆挙って他の先生たちと連れ立って、先にレストランに行っているという。
えっ?彼らも一緒に?100名にもなろうか。
これって、一体、現実的なのだろうか。
ついつい、待っている間に、フランス勢の親たちに対して、疑問と不満をぶちまける。
私ほどの過激な意見は出ないも、後からこっそり、貴女の言う通りよね、と肩を叩く人もいた。午後2時も過ぎると、ちっとも姿を見せないカルロスに不満の声が大きくなる。もちろん、カルロスに対してではなく、取りまとめ役のべリンダがスケープゴートとなってしまう。
漸くカルロス登場。皆で、通りを楽器を持ってうねり歩く。カルロスはローマの出身ではないらしく、レストランの住所をところどころで訪ねては歩いていく。ほとほと、一行から離脱してしまおうかと思い始めた頃、大きな広場に出て、そこのレストランのテラス全体に見知った顔が食事をしていることに気が付く。驚くほどの早業で、レストランの一部に長いテーブルが揃い、皆が席を確保する。
程なく注文した料理が出てくると、満足の声があちこちで上がる。
さっきの文句はどこへやらで、大人たちも腹が満ちると笑顔が広がる。
と、イタリアの奏者がカルロスのところにやってくる。挨拶かな、と思っていると、嬉しそうに姿が消える。それを合図にテラスの方が騒がしい。どうやら、子供たちが演奏を始めるらしい。フランス勢にも声がかかる。あっという間に広場の一角でコンサートが始まる。曲の順番も、スピードも、すべて子供たち任せ。アップビートなダンス曲では手拍子が聴衆から巻き起こる。ピッツァカートの曲が嬉しそうに弾け出す。どの子も笑顔。皆、それぞれに目で合図をしあっている。バッタ達も仲間として堂々と場所を陣取り、皆との呼吸もぴったり。
気が付くと、隣でカルロスが大きな声で子供たちに向かって何か言って笑っている。
と、隣の出店のおばさんらしき人が、目を三角にして怒鳴り込んでくる。あんた達のおかげで、お客が入らないと文句を言っているのだろうな、と想像する。責任者は誰なの、と騒いでいるように聞こえる。それを合図に、子供たちは演奏をぴたりと止め、それぞれに楽器を仕舞始める。
予想だにしていなかったコンサートに胸が熱くなる。
先ほどの苛立ちは、すっかり姿を消し、ゆったりとした満足感と深い感動が押し寄せてくる。
ローマに来て良かったね。楽しいコンサートをありがとう。
バッタ達に心の中で呟く。
お誘いいただいてありがとうございます。
今度はカルロスに感謝を込めて呟く。
べリンダには、近寄って頬にビズ。
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