「変化とは、求めるものではなく、自分から行動を起こして得るもの。」
ずしりと重い言葉を残して、40年間の現場での経験を経たクリストフ ボシュアの教育理念に関する二時間のスピーチが終わる。そして、次は実践。
ほんの少し前まで、ママの膝を離れられなかった子達が舞台に10名ほど揃い、スケールの練習が始まる。ミ、シがフラット。ト短調(ソルミナー)なんて名称を知らなくても、彼らは自分のものにして優雅に弾いている。クリストフの音に複雑なリズムが加わるが、集中力のなせる業か、続く子供たちは皆ぴったりと揃っている。そして、バッハのガボット、ソルミナーが始まる。「ここはどんな風に弾こうか」「今の感じ、どう思う?」子供達との対話が始まる。「ほれ、ここはこんな感じで。ほれっ!」なんとも愉快。蜂の集団が近づいてくる感じ、養蜂家が養蜂箱の蓋を閉めた様子、勝手に蜂が出ていく様子、などなど。楽しみながら練習していくうちに、具体的なイメージが音に乗る。教師の指導もさることながら、その教えを見事に反映させる生徒達も立派だと思ってしまう。
子供たちがサイツの曲を弾き始めると、バッタ達が4年前に師の教えを受けた日のことが鮮明に思い出される。そういえば、あの日は私が彼をポワシーの駅に迎えに行ったのか。突然の役割に戸惑うものの、バイオリンを手にした人はそういまい、と、田舎の駅に車を飛ばした。クリストフは驚くほど気さくで、毎年南アフリカの孤児院に行き、子供たちにバイオリンを教えているといったことを、非常に淡々と語ってくれたことが印象的だった。
Perpetual Motionを片足を上げたり、折ったり、跪いたり、飛んだりしながら子供達と弾いてレッスンは終わる。1時間弱。なんというエネルギーだろう。彼は疲れ知らずなのか。休む間もなく次のレッスンを受けるバッタ達が既に舞台には押し寄せていた。
クリストフとのレッスンではヴィヴァルディのコンチェルト、ラミナー(イ短調)の第三楽章およびソルミナー(ト短調)の第一楽章が予定されていた。さびの部分を先週は100回弾くことが課題としてマリから出されており、バッタ達がひーひー言いながら練習していたことを知っている。丁度、そのさびの部分が取り出され、皆が弾くのを聞いて、クリストフが「おお、いいねぇ。ちゃんと練習しているね。」とコメントするや、観客席の隅でマリが円満の笑みにガッツポーズ。マリにしてみれば、普段の彼女の教えを評価されていることにも繋がるわけで、謂わば、子を褒められて嬉しがる親そのもの。バッタ達も満更でもなさそう。様々な弓使いの指導を受けている子供たちを見て、ふと、息子バッタの姿勢に目を見張る。まだまだ大樹のように、ずっしりと構えて立ってはいないが、あれだけ注意しても治らなかった姿勢が気にならない。ヴァイオリンが下を向いていて、まるでそれではチェロじゃないかと嫌味の一つも言いたくなる程だったのが、今ではしっかりと上を向いている。そして、クリストフの冗談を嬉しそうに笑っている。
グループの中では一番の年長となる長女バッタが、爽やかで素直な笑顔でいることも嬉しい。反応も良く、クリストフも、つい彼女に向けて話を進める。いや、そんなことはない。ちゃんと一人一人と対話をし、僅かな時間で皆との温かな交流が感じられる。末娘バッタもひた向きなバンビの瞳で真剣に取り組んでいる。ボーイング、アクセント、ちょっとした指示が音に幅と軽妙さをもたらす。
実は、この二つの曲は、バッタ達にとって随分前に弾いていたもの。それを今回改めて丁寧に詳細に渡って、情緒も加えて弾き方の指導を受けることで、彼らには新たな喜びと発見があることに気が付く。次の曲、新しい曲、と進むことしか考えなかった余裕のない日々も懐かしいが、立ち止まって、昔の曲に戻ることの大切さ、過去と今の連続性と継続性に思いを馳せ、そこに常に新たな発見が満ち溢れていることに気が付いたことに、嬉しさを噛みしめる。
レッスンはあっと言う間に終了してしまう。クリストフが子供達を労っているのだろう。皆、ちょっと下を向いてはにかんでいる。勉強も大変となり、スポーツなど他の活動にも時間を取りたい中で、練習を続けている彼らを激励してくれたのだろう。
「すごい速さでついていけなかったよぉ。」「自分の音しか聞こえなくて心細かった。」「もう終わっちゃったの。」がやがや言いながら、子供たちが舞台から降りてくる。夜のTGVでリヨンに帰るのだろうか。クリストフが外套に身を包み、帽子を被る。そこにバッタ達が駆け寄る。「先生、ありがとうございました。」一人一人を腕に抱いて抱擁し、外に一歩踏み出しながらクリストフが大きな声でにっこりと微笑みながらバッタ達に伝える。「がんばれよ。将来は君たちにかかっているんだぞ。」
思ったほどの渋滞もなく、パリから我が家に戻り、慌てて作った夕食を囲んでいる時、「ほら、いいぞっ」って、何回も褒められちゃったよな、と息子バッタが嬉しそうに言う。「私ね、子供には、もう二歳の頃から音楽を始めるわ。それから、ダンス、そうね、クラシックダンスをさせてあげて、スポーツも何か一つさせてあげるつもりよ。でも、絶対に音楽は二歳から始める。」そう宣言する長女バッタ。「子供の前に、相手がいないと。」そう混ぜ返す息子バッタ。
でもさぁ。それって、ママがみんなにしてきたことじゃない。ママがしたことに賛成してくれるってことよね。
そう言うと、暫く考えた長女バッタが、にっこりと微笑む。「そうだね。そうだよ、ママ。」
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