ビバルディのバイオリン協奏曲。
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲。
ここ数年、「v」は「ヴ」にて表記するようになって久しい。そんなことは分かってはいたが、バッタ達の社会の教科書を見て、隔世の感を禁じ得ない。ヒンズー教ではなく、ヒンドゥー教。イスラム教ではなく、イスラーム教。エルサレムがイェルサレム。ヴェネツィア、ジェノヴァ、ヴェトナム。レオナルドダヴィンチ、カルヴァン。ヴァスコダガマ。イヴァン4世。もちろん、ヴェルサイユ条約。奴隷解放の父はリンカン大統領。ナイティンゲール。ソヴィエト。ニューディール政策を推進した大統領はフランクリンローズヴェルト。蒋介石は蔣介石。
世界で一般的に通用されている(『de facto』的な)発音を重んじるのか、現地の発音を重んじるのか。実は曖昧なところ。偉大な音楽家バッハは、英語圏および仏語圏ではバックと通常呼ばれていることは、多くの人が知っていよう。では、ドボルザーク、いや、失礼、ドヴォルザークはいかがであろうか。ドヴォジャークこそが、チェコ語の発音に近いらしい。
遠き昔、オーストラリアの田舎の高校で、生意気なクラスメート相手に当時のイギリスのサッチャー首相について、背伸びしながらも、馬鹿にしないでね、それぐらい分かっているわよ、の思いを込めて言及したところ、まったく相手にされなかったことを思い出す。あんた達、サッチャーも知らないの?と言わんばかりだったが、漸く私の発音が「th」ではなかったことが原因で相手に伝わっていなかったことが判明。「Oh ! Thatcher !」と叫ばれたことを鮮明に覚えている。「th」と「s」の相違なんて、カタカナ表記ではできない。何故、日本の新聞にサッチャー首相(Margaret Thatcher)程度に表記されていなかったのか。いや、それぐらいは英字新聞や雑誌で目を通してしかるべき『常識』だったのかもしれない。が、いかんせん田舎の16歳。あの時ほど悔しかったことはない。
従って、「b」「v」の違いをカタカナ表記で分別することには至って賛成である。が、だからと言って、日本語での発音自体は正直なところ変わりはないだろう。実際のところ、日本の発音には「v」はないのだから。同じように「r」と「l」の違いはどうだろうか。「Rome」と「London」はいずれも「ローマ」、「ロンドン」の表記。これしかできないのだから、困ってしまう。「th」と「s」の相違を表わせないことと一緒。だから、「b」と「v」の違いをカタカナ表記で分別することなんて、ちゃんちゃら可笑しくて、臍で茶が沸いてしまう。日本語として日本の文化に未だ取り込めていない言葉として、ふわふわと浮いていて頼りない気がする。「バイオリン」で結構ではないか。何を迎合するのだろうか。
「Obrigado/Obrigada」
ブラジルで頻繁に耳にする言葉であり、恐らく「tucano(トッカーノ)」や「capivara(カピバラ)」、「arara(アラーラ)」以上に数多く口にしたであろう言葉。男性であれば「オブリガード」、女性であれば「オブリガーダ」と語尾が変化し、使う相手によってではなく、使い手によって変わるという、特殊なケースであることに大いに興味を持った。
ブラジルに渡って半世紀が過ぎようとしている日本人の方に、それ以上に興味深い話を聞く。「obrigado」とは、そもそも「恩を着せる、ありがたく感じさせる」といった意味があるとのこと。英語で言えば「オブライジ、オブリゲーション」が語源であり、そこから派生したのであると教えられる。日本語でも、「ありがたき幸せ」などと昔は使われていたが、今では単純化して「ありがとう」となっており、なんとなく感覚的に分からなくもないですね、といった感じで、その時は盛り上がった。
ただ、何かが引っかかった。へえっー、と感心しながらも、何か違和感を覚えた。
その方と別れて一人になった時に、先程の違和感が何であったかが判明。つまり、英語の「オブライジ、オブリゲーション」は「oblige , obligation」と表記するではないか。「obrigado」は「r」。流石に「l」を持つ単語が語源となる筈はあるまい。
きっと、そうやって文化というものは生きており、常に変化しており、その時々で解釈が変わりつつ、受け継がれていくのだろうな、と変に感心してしまった。
ところが、である。
話す主体によって語尾の変化があることに興味を持ったことから、「obrigado/obrigada」について改めて調べてみると、これは動詞が形容詞化したものであることが分かる。ポルトガル語は動詞の末尾の「ar」の代わりに「ado/ada」をつけて形容詞にするらしい。となると、「obrigado/obrigada」の元の動詞は「obrigar」。これは、誰かに恩義を感じさせる、義務を負わせる、という意味らしい。つまるところ、「貴方は私に恩義を感じさせている」。丁寧に考えれば、「貴方は私に恩義を感じさせようという気はないかもしれませんが、私は恩義を感じるほどに感謝しています」、となるとのこと。だからこそ、形容する対象の性に一致することで、主語と動詞が省略され、女性は「obrigada」、男性は「obrigado」となる。
それよりも何よりも、「obrigar」は正に英語の「oblige」と一緒ではあるまいか!
「r」と「l」の表記がいつから、どの段階で入れ違いになったのか。
いや、待て。先程のカピバラにしろ、ポルトガル語表記は「capivara」だが、英語表記は「capybara」。「v」と「b」の混合。
声も出ない。
書き手主体の表記法で一切問題はなかろう、との結論になりそうである。
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皆さんからのコメント楽しみにしています
私も日本語を書くときvとbを発音のままに書くかそれとも日本語的に書くか迷います。一時発音道理に書いていたもの日本人の書いている文章を見て日本ではこう書くのかとまたもとに戻してしまったり。現在文部省の教科書新しく改革されたのですね。そしてさらに日本の外来語は英語で行き届いているから私は文章を書くときお料理のボキャブラリーどうしようかなど考えてしまうこと多いです。
返信削除ポルトガルでもvとb、lとrの発音の違いが日本と同じようにないのでしょうか?ポルトガルは日本とは鎖国時代に縁のあった国なんとなく不思議な気がします。明日主人に質問したいと思います。
こんにちは! ブラジルからお帰りなさい。クッカバラさんも突っついている点、僕も気になっていたあたりのことなのでついコメントを。
返信削除日本語のひらがなとカタカナというのは表音記号なので外来語を持ち込む場合に − 同じ漢字表記のまま持ち込んで和風読みしてしまう中国語の輸入の場合は例外ですが − なるべく現地発音に近い形でカタカナ表記しますよね。その点は僕はけっこうエライと思ってきていたのですが、ご指摘のとおりThとSの違いやLとRの違いには日本語はほぼお手上げ。しかしBとVの違いはビーとヴィーというふうに区別できないことはないので、これまで僕はバイオリンの代わりにヴァイオリンのほうが・・・などとかすかに思ってきてはいたのです。お子さんたちの教科書でそんなふうにこのごろは表記に変化が現れてきているのを聞いて「へぇー!」とちょっと感心ぎみに驚いています。
で、ポルトガル語のobrigado という単語の中の r がいつのまにかもともとの l から r に変わってしまっているようだという点、面白いです。たぶん同じように l から r に変わってしまったという単語が他にもあるのではないかと思うのですが、僕たち日本人にとっては何やら安心してニンマリしてしまいそうな現象。なんだ、君たちも L と Rの区別がちょっと苦手だったわけね、と。
そして BとVですが、あまり正確には知らないのですがスペイン語ではこの二つの違いがほとんどない、あるいはもうどっちがどっちでも構わないという感じですべてB発音をされているとか。そのことを知ったとき僕は「なんだよ、僕たち日本人は外国語を勉強するときBとVの違いとかにはずいぶん神経を使って覚えてきたのに」と言いたい気分でした。さらについでながら、スペイン語ではSの発音をThの発音のようにマヌケな感じで発音する人が多くいませんか? 最初は前歯に隙間がある人が仕方なくそう発音してしまっているのかと思ったのですがどうもそうではない。だからValenciaという町を発音するともやはBalenthiaというふうに聞こえてきます。
さらについでに、フランス語ではLとRの違いは厳格に守られていますが、でもフランス人たちのあのRの発音の仕方、あれはいったいどういう起源からああいう妙にひねくれた発音方法となったのでしょうね。おそらくフランス語全般に見られる発音傾向、フランス人の口の動かし方の基本形に適合した形で生まれたものだと思うのですが、僕はつねづね言語の発音やイントネーションやリズムからはその国民の性格性質がものすごく如実に読み取ることができると思ってきているので、こういうことにはマニアックに興味を持ってしまいます。
今度、その他いろいろなブラジル土産話を楽しみにしています。
Fleur de selさん
返信削除共感いただき嬉しいです。ご主人は言語学を学ばれたと記憶しておりますが、どんな風に仰っていましたでしょうか。
Fleur de selさんのレシピの中でも恐らくクネルと同じぐらい愛して使わせて頂いているトンカ豆入りtruffeですが、Fleur de selさんはトリュッフと書かれていますよね。ニンニクは大蒜と漢字での表記ですし、なんとなく、Fleur de selさんの思想と言ってしまうと大げさですが、生活の息遣いが感じられるようで、大切に思いながら読ませていただいています。
!せっかく今朝マルシェに寄ったのですが、ベルガモットを見つけずに、目当ての大根だけ手に入れて帰ってきてしまいました。季節ものとのこと、次回は忘れずに見つけたいと思っています。
Siriusさん、こんにちは。
返信削除このテーマでぜひSiriusさんと話をしたいと思っていたところでした。詳細なるコメントいただき嬉しいです。ちょっと感覚優先で書いてしまってはいたのですが、この際、感覚こそが重要な要素を占めているテーマではありますよね。
実は、ブラジル(ポルトガル語)で、お早うの「bom dia」。発音は「ボン ジァ」と聞こえるのです。パンタナルの玄関口でもある空港がある地、「Campo Grande」は、「カンポ グランジェ」と聞こえるのです。そこで、現地の方に「d」は英語の「j」のような発音になるのかと聞いてみると、答えは「d」は「d」というのです。これには唸りました。
それにしても、Siriusさんが指摘するところの、フランス人の口の動かし方の基本形に適合した形で生まれたとされるフランス語の発音。まさに、彼らの口の動かし方を真似して発音をせねば、と改めて思わされました。そして、肩をひょいと上げて、目を大げさに丸くして、、、。なるほど、なるほど。性格、性質が如実に浮かび上がってくるようですよね。
これからも貴重な体験から基づくコメントぜひお願いします。楽しみにしています。