2018年9月18日火曜日

意味のないことなど、ない








ハイジハウスで預けていたザックを受け取り、お礼にとコインを手渡すと、そんなの必要ないと受け取ってもらえなかった。それより、山頂は眺めが良かったでしょう、と声を掛けられる。思わず、そのホスピタリティに胸が熱くなる。改めて丁寧にお礼を言って、ザックを勢いよく背負うと、駅までの道を急いだ。思った以上にハイジの村から駅までは距離があり、予定していた電車の時刻にぎりぎりであった。それを逃すと次は一時間待たねばらない。しかも乗り継ぎが良くなく、最終的に移動にかかる時間が長くなってしまう。

慌てていたからか、気が付くと見慣れない葡萄畑が広がっている。大きな粒が見事に揃った房がたわわになっていた。ちょっと味見ができてしまう程の至近距離にある。うーむ。まずい。普通ならば、道ぐらいちょっと違ったところで、全ての道はローマに通ず、ではあるが、電車の時間を考えれば最短距離を選びたかった。

ここを曲がった方が駅に近いに違いないわよ。

母の土地勘は素晴らしく当たる。海外だろうが、山の中だろうが、海だろうが。それでも、ほんの時々、あっけなく間違うこともある。今回は残念ながら、珍しく外れてしまい、遠回りとなってしまった。まずいぞ。電車が行ってしまう。初心者コースだったとは言え、3時間ばかり山を登り、急ぎ足で下ってきたばかりである。そして今度はザックまで背負っている母を小走りにさせてしまっている。

遠くに電車が見え隠れする。已む無し。どうやらスイスの電車は田舎であっても時刻通りに動いているらしい。

一時間、次の電車を待つしかない。これでは、サンモリッツの到着時刻が遅くなってしまう。温泉施設に遊びに行くことも難しいだろう。サイトで急いで確認すると、健康的なスイスの温泉施設だからか、18時にはサービスが終了してしまうことが判明した。ハイジハウスで十分で、それから山登りをしなければ良かったのよ、と母が冷たく言い放つ。予定を変えるからこうなるのよ、と。

母がスイスの温泉施設を味わってみたいことは分かっていたし、既にバートラガッツは諦めてもらっていた。焦りに焦り、タクシーでサンモリッツまで行けないかUberサービスを見てみる。或いは、マイエンフェルトは田舎なので、ここからクールなどに一旦車で出て、そこから電車に乗ってはどうだろうか。お金が問題ではない。とにかく、いち早くサンモリッツに行かねば。

あらゆる手段を講じて、このミッションを遂行せねば。

ところが、金に糸目をつけようが、つけまいがに関わらず、近間の大きめの町に行ってもサンモリッツ行きの電車は、結局は遅い時間しなかなく、また、タクシーなどという代物はこの地には存在しないようだった。

母は諦めが早く、久しぶりの山歩きの疲れもあって、のんびりと電車を待つことになった。アナウンスも何もなく、なんの前触れもなく小さな駅には定刻にクール行きの電車が滑り込んだ。クールでの待ち時間が呆れる程長いので、そこで翌日乗る予定の氷河高速のチケットの支払い不足分を払ってしまおうと思っていた。その時には、クール駅でチケット売り場を利用したことが、その後どんなに助けになるか知る由もなかった。

そう考えると、実に人生とはなるべくしてなるものだと思わずにはいられない。

そもそも、マイエンフェルトでハイジハウスだけで満足していたら、電車に乗り遅れることもなく、乗り継ぎも上手く、クールでの待ち時間もなく、サンモリッツに早々と着き、温泉施設に行って遊んでしまうところだった。しかし、そうしていたら、翌日のクール駅での事件の際に、無経験で臨むことになり右往左往するところだったし、下手をすると、散々な旅となる可能性だって孕んでいた。

そうなると、当初購入予定であったトラベルパスからハーフフェアカードに変更したことで、氷河高速のチケットの半額を支払う必要に迫られ、クール駅でチケット売り場の窓口まで行ったことまで、伏線を持って感じられてしまう。

この世の中、意味のないことなど、ない、と思えてしまう。




クールからサンモリッツまで。実はその路線は翌日乗る氷河高速と同じであることは、乗ってみて初めて分かり、車窓の外を見ながら、こんなところでタクシーを飛ばそうと、少しでも考えた自分の馬鹿さ加減に笑ってしまった。





トンネルを抜けると、そこは晴れ間が広がっていて、明るく輝いていた。サンモリッツ。その名の響き通り、太陽が燦燦と降り注いでいた。一日中歩き回った身体を優しく包み、労わってくれる、そんな余裕に満ちた街に、我々はすっかりと見も心も委ねてしまっていた。








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