あの時、相談を持ち掛けてきた女性の友人のことを本気で心配し、心から応援し、時間を作って話を聞いて、専門家を紹介し、出来る限りのことをした。必要あらば書類を作成し、彼女の利になるように証言する文書をしたため、居住証明に署名した。
彼女を庇うこと、支援することに必死だった。だから、彼女の不用意な行動が全く関係のない第三者の別の友人に迷惑をかけてしまったことに対して、無頓着ではなかったにしろ、あまり気にしないで放置してしまっていた。
その第三者の友人は、全く潔白であるにも関わらず、よからぬ嫌疑をかけられ、変な噂を立てられてしまっていた。何人かには、それは全くの間違いで、事実無根であることを伝えはしたが、馬鹿な噂というものは、卑劣であればある程皆喜ぶらしく、もっともらしくあっという間に広がっていて、どこでどう火消しをしようにも、収まる様子はなかった。唯一の救いと言えば、当の本人が一向に気にしていなさそうなことだった。
同時に、あの時、私自身が突如思いもよらぬ落とし穴に入り込んでしまったので、自分自身のことだけで精一杯となり、外の世界との繋がりを遮断し、ひっそりと全ての扉を閉めてしまったので、友人たちのその後について何も知らず、友人達とも会うこともなくなってしまっていた。
もう7年以上も前になるのだろうか。
久しぶりに、本当に久しぶりに、第三者の潔白であった友人の細君と年始の挨拶をメールで交わした。するとどうだろう。彼はここ数年鬱でやる気のない状態が続いていると知らせてくれた。金槌で頭をかち割られたような衝撃を受ける。
私が知っている彼は、陽気で、ユーモアがあって、おどけていて、仲間の人気者だった。鬱なんて言葉は彼には似つかわしくない。一体、何だってそんなことになってしまったのだろう。
あの時、もう少し私自身に余裕があれば、もう少し、彼のことを思いやる心の余裕があれば。そう悔やまれて仕方がない。
ヴァンセンヌの森で屋外コンサートを一緒に聴いたこと、満天の星空の下でBBQを楽しんだこと、毎週一緒に勉強会をしたこと、夏の暑い日の夜、パリのビストロで食事をしたこと、彼の会社の冴えなそうな同僚を紹介され、その彼から変にアタックされて辟易したこと。色々なことが走馬灯のように思い出される。彼が鬱になるなんて信じられない。
森の散歩に誘ってみようか。そうだ、そうしよう。靴はぬかるみだらけでドロドロになるけれど、頭の中はテトリスのように、思い煩っていたことが、ストン、ストンと綺麗に片付いてしまう。彼の春の陽だまりのような笑顔が懐かしく、おぼろげに脳裏をよぎる。
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