雨は苦手なトンカも、不思議なことに雪には大はしゃぎ。薄化粧をした地面に鼻を擦り付けたり、凍った氷を齧ったり、真っ白になった草原を駆け回ったりしている。バッタ達も幼い時はそうだったし、大人になった今でも雪と聞けば大はしゃぎをする。雪には人の魂を突き動かす何かがあるのだろう。
息をする度に鼻の先が凍り付いてしまいそうな凍てつく朝、手袋をした指先と防寒靴の足の指が徐々に冷たくなっていく感覚を味わいながら、いつも通りに、いや、いつも以上に足取り軽くスキップをしている様なリズムで前を歩くトンカを眺める。
寒さで心なしか色が濃くなったキャラメル色の艶やかな毛並みとスレンダーな体躯に無駄なくぴっちりとついている筋肉は、狐の子と見紛うよう。これで尻尾がふっさりと見事であれば、後姿は狐として十分通ろうか。
そんな思いに捕らわれていたからだろうか、息子バッタが小学生の頃に冬休みの宿題で「手袋を買いに」という作品の感想文を書いたことを思い出していた。ひょっとしたら宿題ではなく、授業中に彼が書いたものだったのかもしれない。その辺の記憶は曖昧ながらも、今でも鮮明に覚えている一文がある。
「きつねは手袋をしません。だから、きつねの子がてぶくろを買いに行くこともありません。」
我が目を疑ってしまった。先生を困らせようとか、何か特別なことを書いて驚かせようとか、そんなてらいもなく、愚直なまでの子供ならではの感想。いや、いや、いや。
一体なんだって想像力の欠如としか思えない、いわゆる子供らしさを持たない感想なのだろうか。呆れてしまった。想像の世界で遊ぶことが大好きだった自分自身を振り返り、我が子のあまりに現実主義さぶりに声も出なかった。
長女バッタは毎晩魔女の学校に通っていると吹聴し、末娘バッタをうらやましがらせていたし、末娘バッタもどちらかと言えば想像の世界に遊ぶタイプ。同じ環境で育っていながら、子供とはこうも違って成長するものなのかと、本当に驚いてしまった。
そんな彼も、ハリーポッターは好きだし、SF小説も好きなのだから、学校と言う場所で、想像力を豊かに引き伸ばす情操教育なんて堅苦しいことが嫌だったのかしら、と思うしかあるまい。
諸先生方も恐らく色々とご苦労なさっているのだろう。息子バッタの非常に現実的な感想に対して、担任の先生がどのようなコメントを書いたのか、ちっとも覚えていない。ひょっとしたら、コメントなしだったのかもしれない。
「確かに現実の世界では、狐が手袋を買いにくることは決してありませんよね。でも、そんな世界があると想像してみてください。ちょっと楽しくなってきませんか。狐のお母さんも、人間のお母さんのように、狐の子の手が寒くてかじかんでしまうとかわいそうだからと心配をして、手袋を買ってあげようとしたのでしょうね。狐の子の手を自分の手で包んで、はーっと息をかけて温めてあげたこともあるのでしょうね。○○君のお母さんも、○○君の手をそんな風に温めたことがあるのではないでしょうか。」
なんて、私なら書くかしら、ね。今度息子バッタが家に帰ってきたら、この話をしてみよう。今の彼なら、どんな感想文を書くだろうか。
さあ、トンちゃん、そろそろお家に帰ろうか。お手てがかじかんでしまう前に、ね。
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