全てのものには二面性がある。
私がクリスマスの25日を二人のバッタと丸々過ごせたということは、バッタの父親は彼らとは過ごせなかったということ。子供は時に残酷で、親に平気でこんな仕打ちをしてしまう。しかし、元を糾せば原因を作ったのは親の方ではある。
パピー、つまり、バッタの父親の父親は、この時期毎年恒例のごとく息子のいるパリに遊びに来ていたのだが、諸般の事情でそれが叶わなくなってしまった。そこで4日間ばかり、パピーに会いに父親が家族と一緒に行くと言う。我が家からは長女バッタのみの参加となった。
用意していたシュトーレンの包みを渡し、パピーと皆で食べてね、と彼女に伝える。息子バッタと末娘バッタが、クリスマスカードに寄せ書きをしている。今年は自分たちが牡蠣を開けたことを報告している模様。牡蠣好きのパピーとバッタ達が、一緒に牡蠣を開けている様子を想像する。パピー、どんなに喜んだことだろう。
末娘バッタが、バッタ達3人が写っている写真を幾つか印刷し、長女バッタにクリスマスプレゼントとして贈っていた。その一つをパピーにあげたいので、もう一枚印刷してもらえないかと長女バッタが末娘バッタにお願いをした。
それはいい。パピーが喜びそう。そう思っていたが、どちらからともなく取り下げてしまった。バッタ達の義理の弟への配慮だと分かって、愕然としてしまう。思春期を迎え、世の中の全ての苦悩を抱えているかのような彼の様子を想像する。これまで思ってもいなかったが、彼は彼なりに、自分という存在に対する思いを深めている時期なのかもしれない。
バッタ達の方が、親よりも遥かに成長してしまっているではないか。いや、そもそも子は親よりも優れているのだろう。
多くの煩悩を抱えた俗人の我が身を振り返る。
嗚呼、31日には除夜の鐘を聞かねばなるまい。108つの煩悩を祓い清めよう。
👇 拍手機能を加えました。出来ましたら、拍手やクリックで応援いただけますと、とても嬉しいです。コメントを残していただけますと、飛び上がって喜び、お返事いたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿