2023年2月2日木曜日

自然体

 





グレングールドのバッハが流れると、トンカはとっても落ち着く。バッハの螺旋階段を駆け上っていくスタイルに共鳴するものがあるのだろうか。グールドといえば、小学生の頃、ピアノを練習していた双子の妹が弾く曲だとかで、母が彼のレコードを買ってきたことがあった。


皆で居間のソファーに座って、神妙にスピーカーから流れる音を拝むように聴き入ったのだが、途中で母が変な顔をし出した。いや、母だけではなく、妹も困ったような顔をしている。スピーカーに問題があるのか、レコードに傷がついているのか、途中で低い唸るような音が混じっているのである。


それがグレングールドの鼻歌であったことは、そのレコードについていた解説書を読んだ母が解明し、教えてくれた。すごい衝撃を受けたことを覚えている。ピアノを弾く時は、姿勢を正して、正確にリズムをとって、楽譜通りに音を出すものだと思っていた。いや、正に「音を出す」ことしかしていなかったのである。音楽を奏でることへの理解が、ちっとも深まっていなかったし、それがどういうことなのかも、考えることさえしていなかった。


当時の子供たちのピアノの発表会なんて、そんなものだったし、プロの演奏会に行く機会も滅多になかった。プロが陶酔して演奏している姿を見ても、それを真似ようとは思いもよらなかったし、そんな風に弾くものだとも思わずに、別世界のことだと思っていた。


恐らく、子供ながらに、我を忘れて何かに没頭する姿を人に見せることは、気恥ずかしく、禁忌なのだと思っていた節がある。何故だろう。自分の感情を表に出すことは、恥ずかしいこと。そんな風に教育を受けたわけでもなかろうに。


幼い頃はとても泣き虫だったので、人前で泣くことは恥ずかしいことで、親が死んだ時ぐらいにしろ、とは言われたものだったが、なにゆえに四角四面な性格になったのかは、謎である。そして、その四角四面な性格がぱちんと弾けて、大らかになったきっかけはオーストラリアへの高校留学だったことは、以前にも言及している通り。


こうして、グレングールドの奏でる音楽をこよなく愛するトンカの様子を見ながら、自然体であることの素晴らしさと、大切さをしみじみと思うのだった。



👇 拍手機能を加えました。出来ましたら、拍手やクリックで応援いただけますと、とても嬉しいです。コメントを残していただけますと、飛び上がって喜び、お返事いたします。




にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ
にほんブログ村

↑ クリックして応援していただけると嬉しいです
皆さんからのコメント楽しみにしています

0 件のコメント:

コメントを投稿