息子バッタが学生仲間5人で始めた共同生活も、この2月で一旦終了を迎える。フランス国内は勿論、スイスや英国など、皆それぞれの研修先に散っていく。パリ近郊に残るのは、息子バッタともう一人の友人のみとなり、今度は二人での共同生活を始めることにすると教えられた。
息子バッタは既に昨年の9月から博士課程に進学していたので、雇用契約保持者ではあるが、最低賃金に毛が生えた程度の収入。一方、友人君は企業研修の身分で、しかも未だ内定という。従い、この二人がアパートを借りるとなるとかなりハードルが高い。アパートを借りる上で、学生の身分の方が有利というから不思議である。
恐らく、学生の場合は保証人の経済力に先ずは着目するのだろう。そして、なけなしながらも本人に収入があるとなると、本人の経済力が審査の対象となるのだろう。
当初の目論見とはやや違ったようだが、それでも漸く二人はパリ近郊の、息子バッタの研究所からそう遠くない場所にアパートを見つけることができた。家具付きと言っていたが、最小限の家具らしく、テーブルや椅子を調達せねばならないらしかった。
それなら、今の家に引っ越しするまで使っていた伸縮式の丸テーブルがあるけど、と伝えると、久しぶりに我が家に寄って、地下室で眠っていたテーブルを吟味し、やや難点はあるものの保存状態も悪くないとして、友人君と相談をし、それを使うことに決まった。
漆黒の丸型テーブルで、伸縮式なので楕円形にすることができ、余裕で6人分の場所がある。モンパルナスのステュディオで、友人達と皆で鍋を囲んだことを思い出した。漆黒のテーブルに、壁一面に同じトーンの漆黒の本棚を並べて、シンプルながらも大いに気に入っていたアパート。
バッタ達のパパとは、別の人生を歩むことになってしまったが、あの頃の彼のことを今でも愛しく思うし、当時の二人での生活を懐かしく思い出す。いや、思い出すことが出来る程、時間が経過したということなのか。幸せな時間を紡いだ、その瞬間、瞬間を静かに見守ってくれた家具を、こうして息子バッタが使うことになるとは思いもよらなかった。
ちょっとセンチになっていたのだろう。バッタ達の父親が別件で連絡をしてきた際に、息子バッタが引っ越すこと、我々が以前使っていて、地下室に眠っていた漆黒のテーブルを彼が使うことを告げた。
漆黒のテーブルなど、もう忘れちゃったかもしれないけれど。そう付け加えたところ、全く覚えていないとの返事が返って来た。彼にしてみたら、音信不通で一切連絡が途絶えている息子バッタの今の状況をとにかく知りたい気持ちが強く、彼の健康状態、研究の進み具合、居住空間、一緒に共同生活する仲間のことなど、別のことの方が気になるようだった。
そうか。覚えていないのか。一瞬、哀しみが走った。
彼は一切合切の過去を捨てて、出て行ったのだから当たり前だろう。いや、一切合切の過去を残して、出て行ったのか。そして、私はその過去に、まだ囚われているのか。いや、待てよ。過去に捕らわれない人間など、いるのだろうか。過去があって、今があるのだから。
こんな時にはケーキを焼くに限る。ちょうど、血がしたたるようなオレンジサンギンヌがある。このオレンジで、ふんわりと軽いケーキを焼こう。甘い香りがキッチンに溢れてくる頃には、気持ちは既に南仏の燦々たる太陽と、爽やかな青空の下で遊んでいる。
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