2023年11月19日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~プロローグ

 



マチュピチュの時もそうだった。母は「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」そう言い放つのだった。ちょっと待ってよ、私も行くわとばかりに慌てて企画し、バッタ達も引き連れて皆でインカ帝国の魅力の虜になったのが、早6年前。


母のバケットリストには「アンコールワット」もあって、一緒に行こうと誘われていたのだが、私自身がカンボジアにはポルポト政権による残虐なる爪痕が生々しい時代に出張で訪れており、当時の思いが蘇ってしまって二の足を踏んでいたら、お仲間とさっさと一人で行ってしまった。


その後、スイスで山歩きを楽しんだ頃から、「エベレスト街道トレッキング」なるものに誘われていた。世界最高峰のエベレスト登頂を目指すのではなく、エベレストを含むヒマラヤ山脈の名峰を愛でながら、トレッキングを楽しむということだった。


次はヒマラヤですな、を合言葉としていたのだが、物事にはどうしてもタイミングというものがつきものである。その時の仕事の事情、バッタ達の進学の事情、母の事業の事情、あらゆるものが重なりあって、極めつけは世界中を同時に震撼させた前代未聞のコロナ禍に見舞われてしまい、実現できずに、実現することさえも考えられずに時間が経過してしまっていた。


いつもなら威勢よく「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」と言い放つところだが、ある時ぽつりと「80過ぎちゃったから、もう無理かもね。」と弱気なことを言うので、思わずどきりとした。ありがたいことに母は健康に恵まれていて、母親の年齢を通常意識したことがなかった。80を過ぎていたことが、なんだか信じられなかった。


極めつけは実家に帰った時のことだった。母は食器棚の扉に注目イベントとしていつも写真やらカードやらを挟めて飾っているのだが、その一つが以前私が送った母の日のメッセージであった。


母は私たちが幼い時、一度だって約束を反故にしたことはなかった。その律義さは、子供の私が驚く程だった。今でもよく覚えているのだが、幼稚園から帰って来ると、母が既に仕事を終えて家にいて、ミシンを踏んでいた。母はよく枕ちゃんと称して、私たちに顔や手がついた枕の縫いぐるみを作ってくれていた。ところが幼い私は車酔いが酷く、長時間のドライブともなると枕も一緒に車に乗ったので、時々悲しいかな、お陀仏になってしまうのだった。


母は確かに、私たちが幼稚園に行く朝に、今日は枕ちゃんを作ってあげるからね、と言ったのだと思う。母のコーデュロイの黄色いスカートが、可愛い枕ちゃんになっていく様子を、うっとりと見ていた自分を思い出す。


山登りもそうだった。仕事柄母は土日はもとより、夏休みや冬休みといった学校の長期休暇時はいつも忙しくしていた。それでも、朝、裏山に登ろうね、と言って仕事に出て行ってしまったと思ったら、ちゃんとお昼前には戻ってきて、おむすびを作って、さあ、行くわよ、となるのが常だった。


そんな母に対して、私はどうだろうか。調子よく、空手形を切ってきたのではあるまいか。


母の日のメッセージを以下一部抜粋。


子なるもの 親の背を見て 育つもの

多くの山を 共に登りつ


登りせし インカの歴史 ワイナピチュ

コンドルになり マチュピチュ俯瞰


最強の 行動力で 突破する

次なる目標 ヒマラヤ山脈


ヒマラヤに一緒に行こう、その時、強く思ったものだった。


そうして未だ太陽の光に冷たい芯のある今年の春先、母から早朝のウォーキングを開始したとのメッセージが届いた。「エベレスト街道トレッキングに向けての準備開始ね!」と書き送ったところ、「え?本当に行くの?」との返信。「もちろん、行くわよ!」と返事をした。


あの時、ぱっと世界が明るく開けて、体中にエネルギーが駆け巡って、ものすごい高揚感に包まれたのよ、と、その後母は語ってくれた。人生に目標があることが、生きる上でいかに重要なことなのか、母は身をもって教えてくれた。


母はありがたいことに健康で、足腰に問題なく、エベレスト街道に挑みたいとの強い願望がある。世界最高峰のエベレストを仰ぎ見て、シェルパ族の生活に触れ、ナムチェバザールを闊歩したい、そんな母の夢を一緒に実現できたら、これ程嬉しいことはない。


不思議なことに、私の仕事の状況も、バッタ達の進学の状況も、あらゆることがエベレスト街道トレッキングを実現する上で追い風となってくれた。最後のネックは、母と一緒にカトマンズ入りするために、私が一度パリから東京に行かねばならないことだった。時差はもとより、時間も旅費も大幅な負担増になるので、出来ればカトマンズの空港で落ち合いたかった。


しかし、それは流石に兄が反対し、私に東京に来てもらって、二人で一緒にカトマンズに行って欲しいと母にやんわりと言ったらしい。


ちょっと待てよ。こんな人生のビッグイベントに、双子の相棒を誘わぬ手はないではないか!彼女も海外で生活をしているが、台北から東京といったら時差も1時間だし、所用時間もパリ東京の比ではないだろう。もちろん、その為だけに彼女に声を掛けるわけではない。


母と彼女との3人での旅行といったら、社会人一年生の時の夏に行ったヨーロッパ旅行以来ではあるまいか。いやいや、お互いに子供達が生まれていない時に行ったケープタウンがあったか!彼女の末っ子ちゃんの高校受験が丁度終わるタイミングでもある。


やはり人生にはタイミングというものがあるものだ。不思議なことに、あらゆることがうまく回転し、かくして、母と双子姉妹の3人による夢のエベレスト街道トレッキングが実現する運びとなった。


ついついスポーツ専門店に行っては、高機能防寒インナー、手袋、ダウン、果ては新たにトレッキングシューズを調達してしまったが、後は何か足りないものがあったらカトマンズで手に入れようと腹を括り、エアインディアにてデリー経由、カトマンズに乗り込んだのが10月も末の頃。デリー行きの飛行機に乗る時に、デッキから一瞬切り取られたような夜空に煌々と輝いていた満月を仰ぎ、幸先のよい旅となりそうな嬉しい予感に胸がときめいた。



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