ひょっとしたら本当は末娘バッタは未だ心が揺らいでいるのではないか。
「ママがいたら違っていたよ。」
そう呟いた彼女の声がいつまでも心の奥底で響いていた。
母親不在の一年間。悔やんでも悔やみきれない一年間。
「分かっているよ。ママは行かなきゃいけなかったんだもの。」
しっかり者の末娘バッタ。一人にしたつもりではなかった。それなのに、彼女が必要としている時にそばにいてあげられなかった。話を聞いてあげることもできなかった。
母親がいたからといって、何も変わらなかったかもしれない。同じように彼女は苦しみ、もがき、辛い思いをしたかもしれない。それでも彼女をしっかりと抱きしめることはできたはず。
だから、もしも彼女がもう一年頑張って再挑戦するというのであれば、大いに応援するつもりでいた。いかに精神的にも肉体的にも過酷であろうとも、彼女が頑張りたいのであれば、反対はしないつもりだった。
それでも、結果を冷静に受け止め、そこから新しい道を切り拓いていくことで、何かが見えてくるかもしれないと思ってもいた。運命に流されるというのとは少し違っていて、肯定的に運命を受け止め、自分のものとしていく、ということ。
最終的に彼女は進学することにし、一人で学生寮を探し出し、新しい出発をすることにしていた。寮に引っ越しする時、新しい仲間や教師との出会いに心弾んでいるのかと思ったが、どうも様子が違うので、考え込んでしまった。本当に良いのだろうか、と。
それを口に出して息子バッタに伝えると、彼が言うではないか。
「そういう波のサイクルがあるんだよ。僕だって時々ふと、なんで僕この学校にいるんだろう、って思う時があるよ。」
彼は今の学校を最高にエンジョイしているのだと思っていたから、とにかく驚いてしまった。そうか。そんなに簡単に皆ページがめくれるわけでもない。
息子バッタがそんな風に感じていたとは思いもよらなかったので、そのことを長女バッタに告げると、今度は彼女が言うではないか。
「みんなそうじゃない。私もあの時オランダに行っていなかったら、って思う時あるよ。ママだってそうじゃない?」
え?
ママは受験は、、、。いや、確かにそうだ。共通一次の結果をみて、急遽第一志望を変えたが、あの時どうしても法学部に行きたいと強く願っていたら、と思ったことは一度だけではない。
大学3年の専門を決める時、就職の時、フランスに留学した時、、。いつだって選択してきた。そうして今がある。その数ある選択を悔やまなかったことなどあるだろうか。
バッタ達のことを子供だとばかり思っていた。確かに彼らは私の子供だが、もう大人で、既にしっかりと自分たちの道を自分たちで選択しながら歩んでいる。その事実に愕然とする。
末娘バッタの心の揺れは、人生を選択しながら進んでいく者にとって、息子バッタが言うように波のように時々訪れる自然なこと。そう思ったら、心のざわめきはすっと収まり、静寂が訪れる。
嗚呼、彼女の新たな学生生活に幸多からんことを!
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