2022年9月28日水曜日

郷に入っても郷に従わず

 





知り合い数人と食堂でランチをしていた時のこと。一人の男性がポピーシードのバゲットのサンドイッチを、トレイなしで頬張っていたので、テーブルにパン屑とポピーシードが散乱してしまっていた。すると、男性の目の前にいた女性が、ナプキンでささっとテーブルを一払いして、パン屑とポピーシードを床にばらまいてしまった。


開いた口がふさがらない。


せっかくナプキンがあったのなら、テーブルを綺麗にしようとの気持ちがあったのなら、どうして、ナプキンでパン屑を集めてトレイやお皿に載せて、後で捨てようとしなかったか。


早朝の散歩の時に、その光景が蘇る。朝6時半。通りは人影もないのに、学校の体育館からは煌々とした光が漏れていて、誰かが掃除をしている様子が窺える。三階建ての小学校の建物も、誰かが掃除をしているのか、一つの教室に明かりがついている。


ビストロやレストラン、カフェでも、早朝の掃除はフランスでは良くみかける光景ながら、そうか、と合点がいってしまった。


日本では小学校の頃から皆で毎日掃除する清掃の時間があり、その時には児童も教師も、時には校長も、皆で自分たちの教室、トイレ、校庭、体育館など校舎を掃除する。掃除をすることが当たり前だと、誰しもが思っている。


ところが、ところ変われば、それは常識でもなんでもない。学校の校門近くにゴミが散乱しているのも、掃除業者の仕事と割り切っている節がある。共働きの家庭や、高収入の家庭では、掃除をしてくれるメイドさんを雇っているところが多い。そんな環境で育った子供たちは、自分で自分の部屋やトイレを掃除するという習慣が全くなく、誰かがやってくれるものだと思ってしまう。


そんなメイドさんがいない家庭であっても、一旦家から外に出れば、誰かが掃除をしてくれるものだと思ってしまう。恐らく。環境がそうさせるのであろう。


ああ、フランスの学校に全員で掃除をする一斉清掃の習慣を導入出来たら、社会はどんなに変わるだろうか。私が校長であれば、そうするのに。まあ、一部の親から、我が子に掃除をさせるなんて、と突き上げをくらってしまうのが落ちか。


郷に入っては郷に従え、とはいうものの、こればかりは受け入れられない精神。今日も通りに落ちているゴミをそっと拾い、近くのゴミ箱に入れる。


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