雨の日も土日も関係なく森を闊歩するのは、犬とその仲間達だけではない。夕方、日が暮れかける頃に出会う、ロマンスグレーの紳士もそのうちの一人。山歩きにぴったりの出で立ちで、颯爽としている。特に編み上げの靴が眩しい。
始めの頃はすれ違う時に簡単に挨拶をする程度であった。トンカは面白いことに、森の中で出会う人間に対しては、我関せずの態度を一貫して取る。犬仲間には、どうしても挨拶をしないと気が済まず、鹿や狐に至っては、追いかけずにはいられないのに、不思議なものである。
従い、くだんの紳士に対しても、ちらりとも見ずに通り過ぎてしまう。紳士も紳士で、にこりともせず、トンカに目を向けるでもなく、歩くリズムを全く変えずに真っすぐ前を向いて歩き去る。
それでも冷たい態度ということは全くなく、すれ違い様にトンカにふわりと手を差し伸べた時が一度ならずとあったし、醸し出す雰囲気が上品で、こちらも自然と背筋を伸ばして挨拶をしてしまう。
先月末には暖房を入れねばと思う程の寒さだったのに、今は逆に季節にしては穏やかで、やもすると暑い程の日が続いている。それでも小雨は降るし、森の中は秋色に染まっている。どんぐりはばらばらと楽し気に地面をたたくし、栗のイガも容赦なく降ってくる。
そんな秋深まる夕刻、紳士が森の奥から現われた。すれ違い様、ボンジュール、ムッシューと声を掛けた瞬間、いや、それよりもほんの一呼吸前に、ベレー帽をさっと取り、ボンジュール、マダム、と渋い声の挨拶が響いた。
夕空が今にも泣きそうな色をし始めた。森の秋はますます深まる。
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