水と油といおうか、
違う世界の人間といおうか、
とにかく、驚くぐらい感覚が合わない相手とはいるもの。
たまたま、
ある集まりの責任者として一緒に活動をすることになった仲間の一人が、
どうも、この手の相手であった。
仕事は出来る、
が、
人に物を頼むことが出来ない。
いや、頼み方を知らない、といおうか。
文章は書ける、
が、
丁寧語が使えない。
特に、相手の非を指摘するときには、
最新の注意を払うべきなのに、
あっさりと、そして、がんがんと、書いてくる。
そして、彼女にとって、悪いことに、
彼女は他の人々よりも若い。
フランスでは、年齢はそう関係ない、と言えども、
されど、である。
やはり、目上の者に対する話し方、書き方があるだろう。
私が古い世代なのか。
ここのところ、週末は彼女からの、執拗なまでのメール攻撃に辟易する。
今週も、金曜からその兆候あり。
それでも、丁寧に対応し、
彼女に対する返事は、深呼吸を何度もし、何度も書き換えて送っていた。
ところが、
彼女は、若さがそうさせるのか、譲歩を知らない。
糾弾は延々と続く。
理論的な説明をしても、跳ね返ってくる。
さらりとかわしても、食いついてくる。
なんなのだろう。
いい加減、目を覚ませ、と怒りのメールをぶつけたくなる。
が、深呼吸。
そんなことして、どうなる。
ブーメラン現象として私に跳ね返ってくるであろう。
そうして、彼女の執拗さを熱意とし、彼女の自己中心的思考回路を真摯さと捉え、
もう一度、丁寧に、ゆっくりと、彼女を褒めつつ、こちらの非を詫びつつ、
なるべく、諭すスタイルではなく、歩み寄る形での一体感を作り上げ、
彼女の立場にたっての理解を示し、結果的には総合的判断で、今回は別の意見を採用したが、決して、彼女の意見をないがしろにしたわけではない、と謝りつつも説明。
青息吐息。
漸く、バトルに疲れたのか、
そこまで深遠なる思慮に驚き感謝、との言葉が返ってくる。
そして、この様なしつこいまでのメールの交換によって、多くのことが学べ、色々な人との出会いによって、魂が洗われていくことをありがたいと思うとまで書いてくる。
同じ目的の下に集う仲間であるのに、
うまくいかないこともある。
とりあえず、今回は難を逃れたか。
ただ、正直、ものすごいエネルギーを奪われる。
難しいことは、お互いに大人であり、そうそう指摘できないことか。
ここは、年齢に関わらず、謙虚になり、自分の意見こそが真っ当である、なぞと思わぬ方がいいであろう。
と、書きながら、
結局のところ、意見の違いこそあれ、彼女と私は似たような感覚の持ち主なのかと思い至る。
分かり合える同志になれるかもしれない、との思いが
漸く、落ち着いた心に拡がっていく。
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皆様からのコメント楽しみにしています。
とても「をかし」な読感でした。
返信削除「と、書きながら」で締められる結文が、冒頭からうっすらと予感され、同時に、かつてのクッカバラさんに、今のクッカバラさんのごとく遇されたであろうどなたかを想起させられながら、読み進んでいました。
織りなされた思いが香気となって、日曜の夜の心に拡がっていきました。ありがとう。
木蓮さん
返信削除世界のどこかで共感してくださる方がいるとは!いや、「をかし」。。。
どうもありがとうございます。とっても勇気付けられます。
これからも、ぜひ一緒に囀ってくださいね。