2011年10月13日木曜日

お疲れモードの時~蕗の葉を毛布代わりに~


ミケランジェロの天井フレスコ画の下で、静謐に厳かにバッハのシャコンヌを弾きあげることができたら、世界に平和がくるだろうと、少年時代に心底思い、練習を積み重ねたというユーディ。疲れたからといって、今日は飛ばない、とする鳥がいないように、鳥が飛ぶごとく毎日バイオリンを弾いてきた、とする。天才はつくられる、か。

今週はお疲れモードかバッタ達が練習をしている様子がない。

「なんで人間は寝なきゃならないの?」

ぼやく傍から睡魔に襲われ寝息を立て始める息子バッタ。

「これからしようと思っていたんだよ。」

そう言ってバイオリンを手にした末娘バッタだが、宿題が終わっていないことが発覚し、宿題優先に。

長女バッタに到っては、9月から開始した陸上の練習が堪えるのか、夕食の途中でワープ状態に。

私自身が幼い頃の夏休み、夕食の時間にどうしても眠くなり(とは、後から考えてのこと。実際は突然思考停止状態に陥る)、箸を持って寝入ってしまった経験を持つだけに、分からなくはない。

毎週何かの教科でコントロールがあり、宿題も少なくないのか、このところ毎朝6時に起床している彼女。

夜の9時には静かになってしまったキッチンで、ユーディの言葉が蘇る。

「疲れたからといって今日は飛ばない、とする鳥がいないように、鳥が飛ぶごとく毎日バイオリンを弾いてきました。」

多分、以前の私なら、子供達に対してもっと厳格であったと思う。バッタ達が赤ちゃんの時、強迫観念のように、午後は必ず2時間のお昼寝をさせねばならないと思っていた。夜は夕食後8時には寝ないといけない、と思っていた。夜更かしする赤ちゃんは存在してはならなかったし、ましてや夜泣きする赤ちゃんなどありえなかった。

赤ちゃんが3ヶ月になると同時に職場復帰。フランスの産休は3ヶ月。

久しぶりの地下鉄の階段をヒールの音よろしく駆け下りた時の何ともいえない開放感を今でも昨日のように覚えている。勝ち取った自由。

それまで一度は夜中に目を覚ましていた長女に、会社に戻る日の前の晩に言い聞かせる。

「夜はぐっすり眠るんだよ。ママは明日から会社に行くからね。夜中にママを呼んでも、ママは来ないわよ。」

そうしたら、本当にその日から夜通し寝てくれるようになる。

3匹のバッタ達は、こうして、それぞれママの期待に応えてくれた。

子供のリズムを尊重しようと、必死になっていた時代。実は、そのリズムとは、大人の私が勝手に子供にとりベストだと思い込んで作りあげたものであったのだが。

フランスでは当たり前のように幼い子供を親や親戚、ベビーシッターに預け、若い夫婦だけで週末やバカンスに行く。夜のレストランは当たり前。

私にはそれができなかったし、欲してもいなかった。仕事をしていて会えないぶんだけ、週末やバカンスは子供達と過ごしたかった。

そうして、末娘バッタが2歳の夏、双子の妹が当時まだ2匹の子猫を連れて(我が家はバッタだが、彼女の子供達は猫)遊びにやってくる。

『愛に生きる』鈴木鎮一著。

今彼女が夢中になっていると言って手渡してくれる。近所にバイオリンの先生を見つけたので、子供達を通わせることにしたと告げられる。

彼女の滞在中に一気に読んでしまう。

フランスの伝統的システムであるコンセルヴァトワールではソルフェージュが必須であり、子供達が楽器を手にできるのは早くて6歳。

バイオリンのことなど全く知らなかった当時。暫く連絡をとっていなかったが、パリで仕事をしており、バイオリンもピアノにも造詣の深い留学時代の友人に大慌てでメールを送る。

有難いことにすぐに返事がくる。

幼い子供にとって、ピアノは立ち向かわねばならない大きな存在ですが、バイオリンは自分の指の延長、身体の一部になってしまいます。

確か、そんな内容であったと思う。そんなものか、と大いに感心してしまった。まったく上手く言い当てていると思う。今の私なら、バイオリンとは、歌を歌うように、自分の心(頭)にある音を紡ぎだすもの、と付け加えるだろうか。ピアノとバイオリンの根本的な違いは、ピアノは初めてでも鍵盤をたたけば音が出てくるが、バイオリンはそうはいかないこと。

さて、こうして、いつの間にか我が家のバッタ達は皆バイオリニストとなる。

最初の年は長女バッタはコンセルヴァトワールでソルフェージュを習い、ピアノを続けていたのだが、3歳から受け入れるバイオリン教室の楽しさと、家族一緒のイベントとなるコンサート、バカンス中のスタージュ、なんといっても先生の魅力に大いに参ってしまい、翌年から彼女もバイオリンを手にとることになる。

そうして、5年前に私がアルトを手にしたことは以前にも記した如し(http://kookaburra-coo.blogspot.com/2011/09/blog-post_26.html)。

ひょっとしたら、と今でも思う。バイオリンの先生が私にアルトを手渡した狙いは、私の心の空洞を感じただけではなく、時に冷たいほどの厳しさで子供に接する私を感じたからではあるまいか。

我が子がママと呼ばないからと言って諦める親がいるでしょうか。何度でも、何百回でも、何千回でも「ママよ。」と飽きずに繰り返すでしょう。

音楽も同じ、と鈴木先生は説く。

分かっていてはいても、末娘バッタが、何度やっても『キラキラ星』を弾くことができず、色々なテンポの組合せを手で叩くことができないことに閉口した。3年間も同じ曲を続けていて、正直、私は呆れていた。

それでも、不思議なことに、末娘バッタは止めるとは言わず、それこそ、嬉しそうにバイオリンを手にするのであった。

息子バッタと長女は、どんどん新しい曲が弾けていった。それでも、私の心にある音ではない。姿勢が悪い、音が弱い、音が外れている。何度大声を出し、息子の弾いている弦を刎ね飛ばしたか。

教本の1冊が終わるごとに修了試験がある。1冊目の試験のとき、息子バッタはバッハのメヌエットの第3を弾いている途中で、第1を組み入れ、観衆をハラハラさせ(特に母親)、それでも平気で第3に上手く戻って終えた。

修了証書はもらえまいと思っていたが、笑顔で先生は息子を褒め称え、クアチュールと言うグループの演奏のビデオを貸して下さった。編曲のセンスがあるわよ、と。

そんなものか、と思った。正確さは求められないのか、と。

年度末のソロのコンサート。子供達は目一杯頑張って弾きあげる。それでも途中で間違えることもある。音が弱くて一向に聞こえないこともある。雑音に近い音のときもある。されど、我が子を称え、演奏した子供達を誉めそやす親達。

違う、何かが違う、と思っていた。

良いものは良い、と褒めたい。でも、良くない、素敵な響きではない、心に届かないものは、やっぱり、もう一歩だったね、と伝えるのが親の役目ではないか。

常に厳しい顔つきだったのだろうか。目の光が鋭かったのだろうか。ある時、一人のお母さんから声をかけられる。

「子供達、立派だったじゃないの。もっと褒めてあげなさいよ。」

戸惑った。上手に出来なかった時、へんに褒められたら、子供だって居心地が悪いのではないか。そんな思いに囚われた。

ところが、だ。

実際に自分でやってみると、世界が180度違って見える。

左手に集中していたら右手が疎かになる。弓の強さは簡単には出せない。音が外れても、とにかく最後まで弾いてしまう。そうして、人前で弾くことは練習をしている時に比べ数倍も上手く弾けない。

更には、毎日少しでも練習なんて、無理!無理、ムリ、むりっ!指の練習なんか飛ばして、すぐにも曲の練習に入りたいときもある。

疲れてしまって、やりたくない時もある。

家がちょっと汚くても、冷蔵庫が空っぽで夕食にサンドイッチを食べても、洗濯物が吊り下げられたままとなっていても、まあ、いいか。志は高くあれ、なんて思うときもあるけど、まあ、いいや、と心を弛緩させる時間も、実は悪くない。

だらだらだらっと過ごしていると、バッタの誰かが弾き始める。ユーディはああは言ったけど、実は鳥だって、蕗の葉を毛布代わりに被って、今日はお休み、と飛ばない日があるのじゃないか。囀らない日はないけれど


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皆様からのコメントを心よりお待ちしております。

2 件のコメント:

  1. あかうな14/10/11 21:14

    こんにちは。くっかばらさん。久しぶりのあかうなです。実は熱を出して転がっていました。ユーディンは厳しいですね。自分に。くっかばらさんと私があまりにも似ていたので、熱を押して出てきましたよ。私も子供が熱があってもバイオリンは弾かせてました。でも、今回分かりましたね。どんなに体がきついのか。。。風邪の元凶の息子には二日間のお休みを上げてしまいました。。。その息子、40度でもレッスン行った事があるんです。5歳の頃。もう伝説ですね。こうなると。鬼か!?バッタさんたちも夏のお疲れでしょうか。かわいいですね。いつもバッタさんのお話は。。。

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  2. あかうなさん!

    ご無理なさらずに。
    40度ですか?きつい、キツイですよね。息子さんはママの喜ぶ顔を見たいがために頑張ったのかしら。いや、もう、頭朦朧で、思考停止状態でしょうか。あちゃちゃ。。。どうぞ、どうぞ、お大事に。

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