秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、夕方、薄暗くなり始めたかと思うと、いつの間にか暗黒が支配してしまう。
パリから帰ってくるバスの中で、外の景色が次第にモノトーンとなっていく気配を感じる。車の明るいヘッドライトや赤いテールランプが目立ち始め、オレンジの街路灯が付き始める。
どんなに急いでも、トンカの夕方の散歩は暗闇の中でとなってしまう。それでも、最初の頃は未だトンカの栗色の肢体がしなやかに飛び回る様子がうっすらと判別できる程度ではある。そんな時、真っ白な大きな塊がすっと近寄って来たことがある。スイスのホワイトシェパードに違いない。トンカと挨拶を交わし、二匹仲良く暗闇の中に繰り出した。
羨ましいことに、純白のシェパードは光る首輪などなくても、どこにいるのか一瞬にして分かってしまう。7ヶ月というので、未だ年齢的には幼いのだろうが、体躯はしっかりとしていて、トンカの2倍はあるように思えた。
飼い主はしきりに、ここ数日足をくじいたようでいつものように走り回ることができない、と言って残念がっている。それでも、トンカとのじゃれ合いは簡単なウォーミングアップになるだろうし、二匹の相性が合っている様子なので安心だと喜んでくれていた。どうやら、大型犬との走り合いで足をくじいてしまった様だった。
大きいとはいえ、確かに未だ幼く、足元に甘えて鼻を押し付けてきた様子はとても愛らしかった。名前を聞いてみると「MIYUKI」と意外な答えが返って来た。ミユキ。
すっかり辺りは暗くなってしまったし、寒いのでしっかりと防寒具で身を固め、フードまでつけているので、曖昧ではあるが、飼い主は声の調子から恐らく初老の男性と思われた。私が「MIYUKI!」と感慨深げにつぶやいたからだろか、とても穏やかな声で名前の由来を語ってくれた。
「日本の名前なんですよ。雪を意味するんです。実は、昔学生時代にね、日仏の女性の友達がいたのです。彼女が女の子のお子さんに、MIYUKIと名付けたことを思い出して、拝借しました。」
私が日本人であることを告げると、へえ、とちょっとびっくりした様だった。それこそ、私自身も防寒具に身を包み、フードをしているので、女性ということしか分からなかったのだろう。
頭の中でMIYUKIがミユキとなり、美雪に変わろうとしていた時に、「MIYUKIはたくさんの雪だと教えてもらったのですが、たくさんとは広がりのある、つまり広大な雪ということですか。それとも、深さがあるということですか。」と聞かれ、深雪であることが分かった。
深雪ちゃん。
高校一年の時のクラスで、席が左斜め前の長い黒髪の美人の深雪ちゃんの顔がぱっと浮かび上がる。彼女のことを思い出したのは、何年ぶりだろうか。ひょっとしたら40年ぶりかもしれない。市内の唯一のお嬢様の中学から進学してきた、つぶらな瞳がバンビのように可愛らしい深雪ちゃん。
しんしんと降り積もる雪。懐かしい雪の香りとともに、郷里の雪景色が目に浮かんだ。
たっぷりと降り積もった純白の雪、そんな意味であること、とても美しい響きで、日本の女の子の名前として評判が良いこと、同じ名前の友達がいたこと、などを伝えた。
「深雪ちゃん」、そう呼ぶと、ちゃんと深雪ちゃんはこちらを振り向き、駆け寄ってくる。まだ足が本調子ではないから、と帰るという彼らとは、広場の端まで行ったところで別れてしまった。トンカとは、これから森の端を未だ少し歩き続ける予定だった。
深雪ちゃんはしばらく名残惜しそうにトンカとじゃれていたが、ちゃんと回れ右して飼い主の方に走り去って行き、トンカはトンカで、何事もなかったように私のそばで前に向かって走り出した。
犬に人間の名前を付けるのも、その名前が現実的ではないからなのだろうな、と漠然と考えた。たとえば私が幼い時に、白い熊のぬいぐるみに、マッキーと名付けたように。黄色いしもやけ兎はマーシャルだった。大切なあの子の名前は、と、どんどんと昔の思い出に浸り始めた頃、ふとあることに気が付いてしまった。
学生時代の友達の子供の名前ではなく、恐らく、その友達の名前なのではないだろうか、と。
深く降り積もった雪のように美しく、純白な毛並みが見事な深雪ちゃん、また近いうちに会おうね。きっとその頃には足が全快しているだろうから、トンカと一緒に森を大いに駆け回ってね。
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