怪しげなボトルが冷蔵庫に鎮座している。長女バッタに聞くと、彼女の手作りの「ニャマクジ」という。
バッタ達が幼い時のヌヌ(ベビーシッター)の一人、ディアン。
彼女の話をこれまで書いてきているに違いないと、自分で書いたブログを検索してみるが、何も引っかからない。ひょっとしたら、キーワードに問題があるのかもしれない。いずれにせよ、機会をみて、数名いたヌヌ達の話をいつか書きたいものである。
ディアンにまつわる話なら枚挙にいとまない。しかしここでは、彼女がコートジボワールの出身で、バッタ達にとって本当に大切な人であったことを記すに留めておこう。いや、一つだけ紹介しなければ。
良くあることなのか、ないことなのか、ディアンという最初に見せられた身分証明書の名前は彼女の本名ではない。恐らく何十人、ひょっとしたら何百人のディアンというコートジボワール出身でフランス政府からの滞在許可証を持っている28歳の女性が、当時フランスでヌヌであったり、お店の売り子であったり、カフェの給仕であったり、レストランの下働きであったりと、活躍していたかもしれない。
きっちりと三つ編みをした、非常に明るい笑顔で、控えめで落ち着いた話し方のディアンがヌヌ候補として我が家に訪れた際、バッタ達の父親と一緒に、すぐに気に入ってしまった。すらっとした背で若く溌溂としている。こんな女性に子供たちを任せたい、そう願った。末娘バッタが誕生した年で、会社復帰の際にバッタ達3人の面倒を見てくれるヌヌを探していた。
ディアンは期待を裏切らず、本当に愛情をもってバッタ達に接してくれたし、バッタ達もすぐにディアンに懐いた。大きなノートに毎日の様子を綴るという私からのリクエストにも、ちゃんと対応してくれていた。何時に何を食べたか。昼寝の時間。うんちの回数。散歩の時間。
彼女が我が家でバッタ達の面倒をみることに喜びを感じていると思えることは、本当に嬉しかった。
そして、一年後のある日、会社から帰ってくると、マダム、お話があるのです、とキッチンに呼ばれた。
すっかり懐いた末娘バッタを膝で遊ばせながら、ディアンが語ったことは、あまりに衝撃が強すぎた。
一年前に見せてもらった身分証明書は彼女のものではないこと。従い、彼女の名前もディアンではないこと。フランス人の彼がいて、もうすぐ結婚すること。だから、もうすぐ本物の滞在許可証が得られること。
え?ディアンじゃないの?28歳でもないの?
24歳です。
どうして、最初から言ってくれなかったの?
マダム。私が最初から不法滞在だと言っていたら、マダムは私のことを雇ってくれるはずがないじゃないですか。でもご安心ください。もうすぐちゃんと滞在許可証が取れますから。そして、どうか是非、結婚式に子供たちと一緒にいらしてください。お願いします。
黒いつぶらな大きな瞳がゆるぎない自信に満ちていた。
長女バッタが生まれた時、初めてヌヌを探した時、アルジェリア人の女性が候補として我が家に訪れた。とても機転が利く素敵な女性だったが、あまりに頑張ってなのか、長女バッタを愛しそうに抱っこしてくれていたが、長女バッタの異変には気が付いてくれなかった。間の悪いことに、寝起きの長女バッタは気持ちよく大をしてしまっていたのだが、まったく平気で抱っこしてしまっていたので、彼女が帰ってから慌ててオムツを交換すると、お尻がべっちゃりと汚れてしまって、かわいそうだったし、その時点で彼女にはヌヌをお願いできないと決めた。
翌日、不採用の電話を入れると、最初は平静を保って対応していた彼女が、突然金切り声で、自分がアルジェリア人だから採用をしないのだろうと喚き始め、最後は罵りに変わってしまったことには驚いた。今思えば、仕事を得ることに必死だったのだろう。
アルジェリア人でも、何人でも、人柄が一番。アルジェリア人だからとお願いしないわけではない、と言ったところで、彼女の気持ちは収まるわけがない。
ただ、確かに、不法滞在者と知って採用するだろうか。
ディアン、もといエブラッドの今まで知らなかった強かな一面を見せつけられた思いがした。何十人、何百人もいるディアン達の。彼女の膝では何も知らない末娘バッタが愛らしい笑顔を振りまいている。
戸惑う気持ちに急いで整理をつけ、結婚を祝福し、子供たちもすっかりディアンに慣れているので、ディアンという名前で引き続き呼ばせてもらうことを告げた。つまり、不法滞在、公文書詐欺といった罪に目を瞑ることにし、下手をすると我々が不法就労助長罪に問われるリスクを敢えてとる立場に追いやられたことになった。
さて、そのディアンが時々作ってくれた彼女の故郷のドリンク。ニャマクジ(Gnamakoudji)。生姜とレモンがたっぷりと入っている。
暑い時には冷えたニャマクジはリフレッシュに最高だし、疲れた時にも活力をもたらしてくれる。
未だ行ったことのない灼熱の地コートジボワールに思いを馳せ、ディアンの控えめな、それでいて強い生命力を感じさせるまなざしを思い出しながら、ゆっくりと飲み干す。活力が漲る。
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