効率的であること、それが最重要だと思っていた時期があった。特にバッタ達が幼い頃。如何に時間を効率的に使い、多くのことをするか、考えてばかりいた。当然、車のスピードは常に制限を上回り、買い物行くにも、先ずどこで何を買って、その後どこに行くべきか、どちらが効率的か、と考えて行動した。どの道を通ると、より速く目的地に着けるだろうかと考えて道を選んだ。
バッタ達の父親との買い物でも、一緒に買い物をするのではなく、一人はスーパーで日用品、もう一人は薬局で薬、といった風に仕事を分担することで効率化を狙っていた。
バカンスにしろ、始まった日の夜の便で移動し、仕事開始の初日の朝一で戻る計画を良しとしていた。
何々している間に、何々をする、といったこともしょっちゅう。
従い、常にぱつんぱつんの予定で動いていた。用事を二件、三件掛け持ちなんて、いつものことだった。そして、ちょこっとでもずれが生じると、すべての計画が狂ってしまったかのように思い、いらいらした。
無駄のない人生。
現役で大学に入り、4年で卒業し、すぐに就職。3年後の夏に渡仏し、語学学校に夏だけ通って9月からはグランゼコールで授業開始。卒業とともに就職。出産時には3か月の育児休暇のみで職場復帰。
とにかく、すべてが駆け足。
バカンス先では貪欲に遊んだ。水平線から日が昇る様を楽しんだり、山の端に夕日が落ちるのを眺めたり。知らない街を歩いたり、山を制覇したり、美味しいものを食べに行ったり。
何もしない贅沢、との感覚が分からなかった。
いつからだろう。そんなに慌てないようになったのは。メールも着信と同時に返信、がモットーだったが、今では返事すら覚束ない。赤信号ものんびりと待てるようになった。追い越されてもイライラしないようになった。
最短距離で目的地にたどり着くことだけが全てではないと思えるようになった。いろんな道があっていいし、寄り道してもいい。買い忘れがあっても、それがなくてもなんとかなる。どうしてもその日にやらなければならないことなんて、そう滅多にあるものではない。
ここまでのんびりとしてしまうのも、どんなものだろうか。今頃家庭菜園ではかぼちゃの苗が夕方の涼やかな風に葉をなびかせていても良いのに、種まきが遅くなり、芽さえ出ていない。まあ、なんとかなるか。
松ぼっくり拾いも、今日はこの辺にしようか。卯の花の香りが甘く切ない。
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