バッタ達の学校関係の友人から久しぶりにメールが届く。丁度お嬢さんが高校3年でこの夏で卒業。進学にあたり、末娘バッタと同じ二年後にグランゼコールのコンクールを目指す理数系のプレパ(準備級)を希望しているらしい。アドバイスが欲しいとのこと。
文面の最後に、
「コンクールでの成功をお祈りしています。たゆまぬ努力が報われますように」
と、コンクール期間中の末娘バッタへの温かな応援メッセージがあった。
はた、と思ってしまう。
今回のコンクールは、たとえばピアノのショパンコンクールとは違う種類の物。一体、何をもってコンクールで成功と言えるのか。そもそも、コンクールでの成功って、なんなのか。
二年間の就学中たゆまぬ努力が続けられない時もある。そんな時にどうするかとの問いと常に背中合わせ。
人生、無駄なことなど何一つない。
想像していた結果にならなくとも、行くべくして進む道というのがあり、先々では花も小鳥も皆歓迎して待っているけれど、本人は知る由もなし。
精神的に追い詰められて健康を害する生徒も少なくなく、不眠症に悩まされ、とにかく休みなしのぎゅうぎゅう詰めのスケジュールにあっぷあっぷ。仲間かと思った途端に足をすくわれることもあり、人間不信にも陥る。
一方、周りは腫れものの様に接するから、本当の敵は自分自身であるとのことに気が付かず、世界は自分中心に回っているかのような錯覚をおこし、自己中な態度に家族は振り回されること多し。
全国から我こそはと優秀な生徒たちが集まり、その優秀な生徒でも10人いれば、1番から10番まで成績が付く。教師は問題が解けない生徒を罵倒することもあると聞く。君には無理じゃないか、と。諦めて他の道を選ぶべきじゃないか、と。
プライドなんてかなぐり捨てて、必死でもがく。
飛びぬけて優秀な生徒は一握り。あとはドングリの背比べ状態。それでも順位が付き、気が付くと遅れをとっていたり、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうこともある。
大学に進学した高校時代の友達が、学生としての自由な時間を謳歌している時に、とにかくがむしゃらに勉強をする。それが将来的に糧となり、実力に繋がっていくのだが、辛い時には自分は何をしているのだろうと思いがち。
そうやって、精神的にも学問的にも自己研鑽に努めることになる。
自分のポジションを見極め、受け入れ、それでも自分の可能性を信じ、若干背伸びしながら、コンクールに臨む。
本人ではないと知りえない多くの葛藤を抱えているに違いない。どんな結果となっても、それを受け入れ、そこから自分の可能性を最大限に生かせる道を模索し、そして明るく、元気に、希望を持って、大いに羽ばたいていって欲しい、そう切に願っている。
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