午前中ひと泳ぎしたので満足してしまったからか、夕方、仕事を終えた長女バッタと息子バッタとでエトルタの断崖の上を海岸線に沿って歩く予定になっているからと言って、末娘バッタは午後からの散策の誘いを断った。
夜一人で寝る時になると、どうしてもコンクールを思い出し、物理の問題の解決法を考えてみたり、発表の仕方のまずかった点を考えてみてしまうと言う。眠れぬ日が続くと言う末娘バッタ。できたら、お昼寝をして休養したい様子だった。
まったく違う理由で、浅い眠りが続いていたが、好奇心の方が勝っていた。その日に行かないことには、次の機会はいつになgるか分からない。今回の滞在の期間では難しいことだけは確かだった。何故か、午前中に行けなかったもう一つの海岸に心が奪われていた。
Google Mapで検索すると、車で15分とある。末娘バッタが午前中に村で検索した際には、車での乗り入れはできないとなっていたので、なんだか不思議な思いがした。とにかく行ってみよう。
村まではすぐにたどり着き、干し草畑の脇を通る砂利道を進んだ。目的地まであと2分。GPSでは右折の表示が出ていたが、自転車以外車両進入禁止の標識が目に入った。さて、どうしたものだろう。
田舎道なので、路肩に自動車を停めておく場所はなく、もとより駐車場などあるはずがなかった。一方、未舗装の砂利道ながら、道幅は狭くはなく、車一台問題なく走れると見て取れた。
干し草畑とはいえ、私有地。そこに不法侵入し、無断で駐車することの罪と、道路交通法違反となる進入禁止を遵守せずに車を乗り入れる罪と、どちらを選ぶべきか。
今思えば、後退は選択肢にはなかった。
かくして、私有地への不法侵入および無断駐車の罪を選び、静かに車を停めると、1㎞の距離を歩き始めた。
左手には牧草地が広がり、牛たちが呑気に昼寝をしていた。爽やかな風を楽しみながら、足早に砂利道を急ぐ。ふと、一人で人気のない田舎道を歩くことは、大いなる危険を冒しているのではとの思いが過るが、鳥たちの囀りは明るかったし、見事な野生の紫陽花に夢中になり、むしろこれから出会う風景に胸をときめかしていた。
思った以上に海岸までの道は長く、開けた場所に簡易なプレハブのような家があり、そこで何人かが遅い昼食を楽しんでいた。
と、目の前に青い海が見えてきた。しかし、海岸に降りると思われる階段の前には、赤と白のビニルテープが何重にも巻いてあり、進入禁止であることが一目で分かり、落胆してしまった。せっかくここまで来たのに、進入禁止とは。1990年の政令による、と物々しく書いてある。
仕方があるまい。断崖からの景観を楽しもう。できるだけ足元がしっかりとしていながらも、海が良く見えるところまで行き、トルコブルーと紺碧の海の色を楽しんだ。
階段の脇の断崖には大きな穴があり、そこから海が見え隠れしていた。自分が断崖から落ちないように気をつけながらの写真撮影。
さて、そろそろ帰ろうかと思っていたところで、英語で声を掛けられた。若いドイツ人のサイクリストだった。私が進入禁止の奥にある階段を恨めしそうに眺めながら写真を撮っていたところを見ていたのだろうか。「進入禁止のテープを乗り越えちゃえば、問題ないし、乗り越えるのが嫌なら、わき道を使って階段を下りればいいですよ。」そんなことを言うではないか。
えっ?だって進入禁止のテープがあるじゃない。
サングラスで表情は良く分からないが、もう一度、テープを乗り越えれば問題ないと言う。自分たちも今行ってきたところだと。戸惑っていると、ちっとも危険ではなかったが、もちろん、判断はお任せしますよ、と、言う。
貴重な情報にお礼を言って、改めて進入禁止のテープを見に行く。テープを乗り越えることなど、考えもしなかったが、ひょいと足を上げて、えいやーと飛び越えてしまった。遵法精神が高いことは、恥でもなく、非常に尊いことながら、ここでは好奇心の方が勝ってしまった。見たい。行きたい。
そもそも、進入禁止の法令を犯すことは、環境破壊につながるのではなく、我が身を危険にさらすことであり、自己責任の範囲内で処理できうるもの、と勝手に解釈し、即断。
しかし、コンクリートの階段は非常に狭く、急で、危うげで、足元を見たら足が竦んでしまいそうなので、出来るだけ海を見ることにした。ちょっとした踊り場に出るが、今度はそこから海辺までの階段が恐ろしく急で、手すりが欠けているところがあり、安全とはかけ離れたものだった。コンクリートながら海水で劣化が始まっているように思われ、いつ崩壊してもおかしくないような様相を呈していた。
慌てることはない。踊り場からの景観を楽しみ、左手に広がる断崖をじっくりと観察し、ゆっくりと階段を下りて行った。
海は残念なことに満ちていなかったので、波の中に突き出た階段というシュールな絵は撮影できなかったが、逆に満ちていたら、怖くて怖くて、それ以上階段を下りることはできなかっただろう。
階段の最後の一段は非常に高く、一人で這いあがって上る自信がなかったので、海辺には降り立たなかった。今となっては後悔しているが、その時は、それだけでも十分だった。
慌てて急勾配の階段を震えながら上り、もう一度階段の踊り場で海を見下ろし、後は一気に最後まで階段を上りきる。今度は進入禁止のテープをまたぐことなく、迂回して階段の入り口に戻った。
心臓がばくばくしていたが、急勾配の階段を上ったからだけではなかった。恐怖と同時に大自然の美しさと厳しさに畏敬の念を覚えた。
帰り道はあっという間だった。砂利道の先に車が数台停まっている様子が見て取れた。まさか、取り締まりの車が運転手の帰りを待っているのか、と一瞬思うが、そんなことはあるまい。恐らく、一台車が停まっていることを良いことに、そこがいかにも駐車場のように、他の車も気安く停め始めたのだろう。
このちっぽけな冒険談をバッタ達に早く伝えたかった。怖さによる震えは、いつの間にか、貴重な体験への感動の震えに変わっていた。
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