緑濃い庭の片隅で深紅の薔薇が一輪だけひっそりと咲いている。
前の家主ご夫婦が丹精込めて作り上げたお庭。春にはクロッカス、水仙、ヒヤシンス、チューリップと咲き、サクランボ、ミラベル、クエッチの花がにぎやかに、軽やかに咲き誇り、次いでリラが香る。5月にはスズランが可憐な白い花を鈴なりに並べ、薔薇が咲きだし、卯の花が甘く切なく薫ることで初夏の訪れを知る。見事な大きさの牡丹が咲き、芍薬が甘い香りを届け、いくつもの背の高い菖蒲が丸く円を描いて咲く。紫陽花が大輪を咲かせる頃には、庭の奥で枇杷のオレンジの実が膨らんでいる。
どうしても手入れが行き届かずに、ダメにしてしまった木もある。椿、皐月、そして藤。
できるだけ、ご夫婦の思いを引き継ごうとしているが、そう簡単なことではない。そんな中、どうしてここに、と思われる場所に一株だけ薔薇の木が植えてあり、毎年、一輪だけ、ひっそりと深紅の花を咲かせる。
その孤高の高貴さに、思わず見入ってしまう。
マダムはお元気だろうか。15年以上も前のことながら、初めてこの家を訪ねたことを鮮明に覚えている。「家が家族を選ぶのよ。」そう言って、嬉しそうに3人の幼いバッタ達のいる我々に、家を渡すことをすぐに決めてくれた。
一度だけ、近くに来たからとご夫婦で立ち寄ってくれた。ご主人が大病をし、もしものことがあったら、マダム一人で一軒家に住むことになってしまうので、今のうちにパリにいる娘夫婦の近くに住むことにした、というのが引っ越しの理由だった。パリのアパートには庭がない、とご夫婦がひどく残念がっていたことが印象に残っている。
帰りに、庭の卯の花の枝を数本切ってお土産に手渡すと、真っ白な花に顔を埋めてマダムは喜んでくれた。
その後、風の便りに、ご主人が亡くなったことを知った。マダムは脚が悪くなり、なかなか一人で外出もままならないらしいと聞かされた。
あの頃、私自身に心と時間の余裕があれば、庭の薔薇の花束をお届けしたのに。
この深紅の薔薇を見ると、何故かマダムのことを思う。娘さんご夫婦の近くに住んでいるのだから、寂しいことや、困ったことなどないだろう。でも、きっと、残していった庭の花たち、木々のことを思い出しているに違いない。
マダム、よろしかったら、遊びにいつでもいらしてください。
さあ、明日からまた雑草取りに精を出すかな。
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