季節の違いはもちろんのこと、満ち潮、引き潮、時間帯、その日の天気によって、こうも景観も印象も違ってしまうのも面白い。
初めての出会いはクロード モネによる「エトルタ」。実際のところ、モネは朝、昼、夕方、嵐、凪など、多くの違った環境下の「エトルタ」を色んなアングルで沢山描いている。そして、その連作のうち、どの「エトルタ」が私にとっての初めての「エトルタ」であったかは、覚えていない。
象の鼻の形をした白亜の断崖のアーチが眩しかったことが強く印象に残っている。
潮風に髪を乱されながら実物の「エトルタ」と出会った時は小雨が降っていた。未だ行ったことがないので是非行きたいと言うと、あまり良い思い出はないと言いながらも、友人が車を出してくれた。
20代の頃大失恋をし、失意のどん底にいた時に、母親と一緒に訪れたと言う。あの断崖からいっそ身を投げたらどんなに楽だろうと思い、死をも考えたが、その前に美味しいものをお腹一杯食べようと、レストランに行き、蟹、伊勢海老、ラングスティーヌ、牡蠣、巻貝の豪華海鮮盛りを注文し、シャンペンで乾杯し、高価な白ワインを開けたと言う。母親と一緒に黙々と食べているうちに、お腹が満ちてきて満足感が顔をもたげ、死のうとしていたことが非常に馬鹿らしくなって、最後は自分でも自分がしていることに笑ってしまい、母親と楽しいひと時を過ごしたとか。
どこまで本当なのか、笑っていいのか、同情すべきなのか、判断に大いに迷ったが、黙って聞いていた。
今思うと、バッタの父親に出ていかれてしょんぼりとしていた私を慰めてくれたのだろうか。何があっても、先ずは美味しいものを食べて元気になるべし、との逸話。「エトルタ」に行くたびに、この話を思い出す。この話の方が強烈で、その時のエトルタの印象は余りない。小雨だったので、ちょっと降り立って象の鼻のアーチを拝んで、そそくさと車に戻ってしまったように思う。いや、流石に断崖の上までは歩いただろうか。
次の思い出は長女バッタが北京の留学先から戻って来た夏。母と一緒に三人で来ている。とても晴れていてトルコブルーとエメラルドグリーンの海の色が印象的だった。断崖の上の教会まで歩いて行き、その後母の大好きなムール貝を昼食にとり、午後はゆっくりと象の鼻のアーチの断崖が良く見えるところまで断崖の上を海岸線に沿って歩いた。
ピンクや黄色の高原植物の花が可憐に咲いていて、海の青と空の青との狭間に柔らかな色彩をもたらしていた。
あの時はアルセーヌ ルパンの作家、モーリス ルブランの旧邸宅も訪問している。ルパン大ファンの母が大いに喜んでいたことは言うまでもない。
その後、末娘バッタと今年に入って行っている。あの時は友人夫婦も一緒で、小石の海岸で寝そべってサンドイッチを頬張った。オリビエのフランクフルトをカモメがさらってしまい、驚くやら、大笑いするやらのハプニングもあった。
エトルタの海岸は砂浜ではない。丸い小石が敷き詰められている。だからか、海水は非常に透明度が高い。エトルタからディエップに向かっての海岸は皆小石の様に見受けられた。一方で、オンフラーからドーヴィルの海岸は砂浜。
今回、エトルタが初めてという息子バッタも伴って、家族4人揃っての散策。夕方5時にきっかりと仕事を終えた長女バッタの運転で小一時間走る。エトルタは快晴とは言えないも、ちょっと風がある程度で散策にはぴったりの天気で我々を待っていてくれた。こんな時、フランスの夏の日の長さに感謝してしまう。
夕陽が差す断崖は亜麻色に染まり、優しく、静かだった。
海岸線に沿って草原に寝転がったりしながら、断崖の上を長いこと皆でふざけ合いながらおしゃべりして歩いた。どうやら天気予報は予告の時間だけ間違えていて、雷雨になることは間違いないようだった。そろそろ戻ろうかと、今度は海岸線からちょっと中に入った道を歩いた。
急に太陽がぎらっと出てきて、空が青く光る。雨雲を蹴散らす強烈なパワーを放っていた。
惜しみながら海辺を後にし、末娘バッタのナビで街中のビストロに向かった。
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