2021年5月27日木曜日

プロ根性

 





ガトーブルトンを焼いたことに触発されてか、長女バッタがブルターニュはグロア島の名産、ゴシュテルを焼いた。ゴシュテルとは、いわば大型ブリオッシュで、何がどう特別なのか、初めて口にした時は分からなかったし、実は今でもあまり分かっていない。ただ、グロア島のロックマリア村のパン屋で売っていて、バッタの父親がグロア島に行くたびに、朝食はゴシュテルじゃなくっちゃと毎朝パン屋に買いに行っていた。恐らく、その習慣は今でも続いていて、バッタ達もバカンスでグロア島に行くたびに朝はゴシュテルを食べたのだろう。


ゴシュテルのレシピを調べてみると、どうやら幻のレシピらしい。幻想的に謎に包まれているように書かれているが、なんのことはない、恐らく大したレシピなぞなく、各家庭でそれぞれ、えいやーの感覚で作ってきたのだろう。おふくろの味といったところか。ガトーブルトンのレシピも似たり寄ったり。


どういう基準で長女バッタがレシピを選んだのかは分からないが、エスプリはしっかりと伝わっていて、驚くほどアバウト。生イーストが10~15グラムとあれば、最初は10グラムを計りながらも、ちょこっとつまんで余計に使うことにしている。小麦粉もざっくりと計って、篩うことさえしない。ダマになってもしらないぞ、と脅しても、どこ吹く風。ブルターニュの家庭に篩なんかないだろうし、撹拌機もないだろうからと、フォークでがしゃがしゃとかき混ぜている。OMG!


しっかりと膨らんだし、こんがりと焼けて、先ずは合格かと思いきや、本人は味にご不満。どうやら甘過ぎるらしい。こんな時、製作者が責任をもって完食すべきと思うのだが、そこはプロ根性が未だない。半分以上も大きなブリオッシュのお化けが残ってしまって、数日間キッチンに置きっぱなし。栄養価高い土作りに寄与とも思ったが、流石にそんな勿体ないことはできない。お昼にサンドイッチ代わりに、結局私のお腹に収まってしまった。


プロ根性の問題なのだろうか。この間は、末娘バッタが友達を呼ぶからと張り切ってマカロンを二種作った。ガナッシュがうまくいかなかったと、二倍の量作るし、焼きあがったチョコレート味のマカロンは正直失敗作。その後友達が遊びに来てしまったので、本人は忙しく、ピンク色のバニラ味のマカロンを作っただけで、他は放置。


その後、寮に戻ってしまったから、出来損ないのチョコマカロンを美味しく作れたガナッシュではさみ、結局は出来損ないのマカロンを私が作る羽目になってしまった。冷蔵庫に入れっぱなしになっていた出来損ないのガナッシュは、後日溶かして、パンに塗って食べた。


どうも食べ物は捨てられない。失敗して捨てるぐらいなら、作るな、と厳しく言いたいところだが、じゃあ、と責任とって全部その場で食べられても、あまり良い気はしまい。次回から作らなくなっても、それはそれで困る。成功作であれば、喜んで寮の友達に持っていったり、ご近所さんにお裾分けするだろうから、仕方ないか。


願わくは、そう失敗作を作ってくれるな。


プロ根性とは、時には潔さも求められるのであろう。そう、潔く失敗を受け入れ、破棄。そんな勿体ないことはできまいと、次回からは大いに気を遣って美味しい理想の味に近づくよう努力する。それこそが、プロ根性ではなかろうか。そうか。で、あれば、ここは涙を飲んで、作品の処理を製作者に任せようじゃないか。たとえそれが、破棄することであっても。



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