つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
懐しい友の顔が 一人一人うかぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代
平岡精二作詞作曲のこの曲がペギー葉山によって歌われたのは昭和39年、奇しくも東京オリンピックが開催された年。両親の学生時代と重なることもあり、特に母が大好きで、私が幼いころに良く歌っていたことを思い出す。今でも、時々口ずさむ程。
そんなこともあってか、蔦に対するイメージは非常に懐かしく、ロマンチック。家の壁に蔦が這っている様子など、風情があって好きだった。
そう、好きだった、と過去形。
我が家の庭のクエッチの木に蔦が絡まっていた時、息子バッタが丁寧に取ってくれたことがあった。離れの物置の壁に蔦が這った時は、庭師の若い衆が建物が傷むからと取ってくれた。
松の木に絡まり始めていた時は、ぼんやりと見ているに留まってしまっていた。庭師を頼む時間さえ見いだせず、気持ちの余裕もなく、庭を荒れ放題にしてしまっていた。
ちゃんと付けは回ってくるもの。
さくらんぼ、クエッチ、すもも、ミラベル、松、杉、リラ、葵、石楠花、椿、ジュダ。
あらゆる木に蔦が絡まり、あらゆる木が蔦に絡めとられてしまった。
花壇が蔦に覆いつくされ、
石の階段の隙間から蔦が這いまわり、
一見緑に見えた地面は、芝ではなく蔦で覆われてしまった。
なんたる生命力、そして破壊力!
そして、蔦だけではない。
月桂樹、ヘーゼルナッツ、クルミの芽が、あちこちで成長し、今ではしっかりと根を張ってしまっている。
このところ、銀の雨が降り、気温が一桁の日が続くが、今のうちにテコ入れをしないと、いつの間にか、この家全体が庭も一緒に蔦に絡めとられてしまうかもしれない。蔦の動きを食い止めることが出来ても、庭は月桂樹やヘーゼルナッツ、クルミの木がうっそうと繁ってしまうかもしれない。
そのためにこそ、今この時間が与えられているのだろう。
我が使命を漸く見出す。
雨合羽にズボンカバーを履き、軍手をつけて、鍬を振るう。
明日は長靴でも買おうか。どろどろになった運動靴を見つめてつぶやく。
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